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舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

なんちゃって売り子

相変わらずなんとなく不調病です。
微熱と頭痛が続いておりましてやれません。ぷわー

今日はお仕事にてイベント出店のお手伝いでした。
まー昨日までの準備が自分のメインの仕事だったので、今日はアッシーと食料調達担当みたいな。勢い余ってカッターで指先削った。いててて
基本的に先輩とひもじいひもじい言いながらいろんなお店見てた気がするけど。

いろいろ、イベントとか、ぷちかめのふとか、あったんですけどね。残念。本当は、浜田へいきたかったのですが。

それよりゆっくり休みたかったような。むむむむ



ずーーーーっと、実は気になっていたのですけれど、社中によって歌の節回しが違うのはまだわかるものの、個人差で音程が違うなーって。
なんていうか…よく繰り返す詞章の下の句周辺。

私は昔から音痴というか、音痴でして、自分の声もコンプレックスだし、高い音出ないし、だからといって低くもないし、半音下がる系な音痴なので、わからんのですけれども。
音感がそもそも無いんだろうなあ。


まあそれはいいとして、自分は師匠の歌が基準なのもありますが、なんか、お???ってなるときもあって、どうやって歌は覚えておられるなかな~と思っていましたが、耳コピなのですね。
まあそりゃそうか。

逆にあの和音を音符にするのが難しいか。

あの発音のしかたとか、発声のしかたが、堪らなく萌えなんですよねー。変態っぽいけど。

たとえば、「え」の発音に、"え""へ""ヱ"があるかんじ。"え"がむしろ少ないような?あー萌え
もっというと"ィエ"みたいな音が好き。

なんというか…あの発声、節回しもたまらん。
民謡とかああいうのもそうですよね。

より強調されてるけど沖縄の組踊りも結構好き。


耳コピかあ。難しいなあ。
音程ね。

胴とりと幕の中の人の歌が、当然音程が違うこともあるわけで、ふおおおおシズル感…!とか思うけどそれはそれだし、音程があってるとそれもそれで。舞を殺さないならそれが一番。

そういえば神楽歌がうまい人は、普通の現代音楽な歌もうまいんでしょうか。
気になるー。


で、本題は、つまり現代においても「耳」からの継承は重要であることは間違いないわけで、しかも、それはうまく言語化できない類いのもの。
人から人へ伝わることで、少しずつ差違が生じる。

ある先生の論文で、口伝による台本と継承の解離みたいな研究がありましたが、まさしく、思っていたのと違うな、という結果が生じるわけであります。
ナマモノゆえん。

だからといって、西洋の音階に無理矢理あてはめて音程を記録に残すことが正しいとも思えず…
そういうときには映像とか録音のほうが強いのかなあ。
でも電子音に変換した時点で実は音が変わりますから、それも絶対ではないし…


少しずつ、少しずつ、差違の幅は広がっていくんじゃないかなあ。

そのときの道しるべは、やっぱり古老になるんだと思う。
少しでも、だいたい基礎の音階に修正するには、古老の声帯と耳が記憶している音が必要なのだろうし、それを今度は自分の声帯に記憶させなきゃいけないのでしょう。

いまは映像見て覚えて簡単にまねできるけど、でもやっぱり先人、古老ありきなのだろうなあ。

ひそひそ

なんとなーく不調病。
まあこの時期に元気なことのほうがマレでありますが。

たぶん史上最大の経済危機も一因。
神楽ビンボーとかいってるときはですね、それでもうまいことやっているのです。
今回は完全にミスった。

心も体も、あーあ、なかんじ。やれやれ
そんなときにはなかなか思考も回りません。
ネガティブネガティブ。


私は、ほんっとうに運動神経が壊滅的な悪さでありますので、正直、神楽をやってみたいと思ったことはこれっぽっちもないし、もとより環境含め「舞う身体」をもたないものであります。

例えていうなら、デブねこタイプ。
とにかくすっとろい。本人的には頑張るんだけれども。
そしてものぐさ。動かなくていいなら動きたくない


師匠に舞を習えないこと、私は師匠に神楽を習うたんよーといえないことは、残念な思いがあります。
自分がああ素敵だなあと思える舞に倣えないこと、「舞う身体」を受け継ぐこと。身体から舞を、神楽を見つめること。
それが叶うひとをいいなあと思うことは、あります。
無い物ねだり。

師を持つこと、師から習うことについて、よくよく聞かされているからかもしれません。


あーなんか頭がまとまらんなあ


私は能楽と歌舞伎だったらやっぱ能楽が好きだし、神楽は歌舞伎より能に近くあってほしいとも思います。
どれも等しく受け継ぐべき大事なものではあるので、あくまでも好みの問題ではありましょうが。

能は舞、歌舞伎は踊りだよ。という言葉が納得なのであります。


能の美しさは、引き算の美。

究極まで具象を削ぎ落とした抽象が、実は本質をつくというか、リアリティを映し出す。
それが、所作というか、「カタ」なのでしょう。

でも、衣装そのものはすんごい豪奢よねー。
もーあれ眺めているだけでヨダレが出そうになる。
神や権力者の前で舞うからこそ、とびっきり良いもの、贅を尽くしたもので立ち居出るのでしょう。

もしもの話、能の最盛期の時代に、あの土地で石見やもとは高知だっけ?みたいな装束を作る技術があったとしたならば、それが能の衣装となり得たのかもしれないわけであります。そんなことは無いと誰も断言できない。
伝統となることで時間が止まってしまったから、金蘭衣装のままなだけ。


その点においては、神楽で染め抜きの装束を身にまとう土地があること、金蘭衣装を身にまとう土地があること、石見のような衣装を身にまとう土地があること、それぞれ時間が止まったタイミングが違うだけのこと。

興味深いのは、どれをとっても洋服にはならなかったことよね。

わからんけど、材質的にも構造的にもなるべく和服のままをとどめているんじゃああるまいか。
最近は浴衣とかで化繊も増えたけどね。
ザブザブ洗えるという点において化繊はたしかに便利。
でも足袋とか化繊だと滑るよなあ。
化繊の帯は滑って締まりやすいけど緩みやすい。浴衣は洗えるけど、綿より汗を吸わないし、胸元がずれやすい。

はあ。オチがない。



あ、あと、とある能楽師が、生み出される演目、廃れる演目、残る演目の分かれ目は「普遍的なテーマであるか否か」であるという話をしておられました。

ほんとそうなんだろうなあ。

じゃあ、石見神楽における現在の演目それぞれの「普遍的なテーマ」とはなんだ、ということにはなりますが。
ごく一部を除いて、能や歌舞伎のような色恋や敵討ちものはない。
だって、神楽だから。

うーん、これはまたゆっくり考えよう。



そうそう、なぜ、最初に、「舞う身体」の話をしたのかといえば、能楽を見ていて美しい立ち居振舞いは、頭があんまり動かない、軸がブレないことかなあと思ったんだけど、それは能楽視点であって、神楽視点ではどうなのかというのが自分の身では知り得ないし、追究し得ないことだと思ったから。

桜江の某先生は、八調子地域における舞う身体の西洋化を唱えたのだけれど、それはきっと事実だろうし、でもそれがすべてではなくて、そもそもの山のものと海のものの生活スタイルの違いも頭にいれておかなくてはいけない。

ま、素人目で見ていて、現在最も身体の西洋化を果たしているのは、あっちな気もするんですけれどもね。それとも見たところが良くなかったのかな…また別のとこ見てみないと、確かなことはなんとも言えんけど。

ともあれ、なんかよくわかんないんだけど、師匠とか、師匠が舞の師匠らしい(?)方々の舞とか見ていると、美しいなあと思うのです。でもなにが美しさなのか、よくわかんない。
速すぎて軸とかよくわかんない。動体視力追っ付かん。
ブレていないような気は、する。
なんていうんだろうなあ。

でんでん太鼓だって、軸棒がしっかりしてなければ、気持ちよく鳴りません。

あとはやっぱり所作かあ。


オチは、ない。

昨日のはなし

かめのふ

昨日のかめやま良かったなーで、一日過ごしたのであります。ねむー。

かめのふは、モジモジをもう少し無くしたいんですけど、なんかね、やっぱり、思春期女子になってしまうのです。モジモジ。だって、なんかはずかしーじゃん。
師匠に、話すことないんでとか言っちゃって、ほんとはたくさんあーだこーだ話したいんだけど、あああーあー。
まあ、皆さんに今年もどうぞよしなにのご挨拶ができたからそれでいいか。

昨日は、かめやまの「岩戸」、まつばらの「神武」、たにじゅうごうの「天神」、商業の「大蛇」、みやのき「大和葛城」、えーっと…まつばら「石神」、たにじゅうごう「塵輪」、かめやま「頼政」だったかいな。

なんたって眠かったので、ちょいちょいふらついたり、うとうとしたりしていたけれども、一応一通り見てはいました。


師匠にどがぁだったかと聞かれて、モジモジかめのふは良かったでーすしか言えんだったのですが。
あとでちゃんといったのだけれど、何が良かったかといえば、全体のバランスの良さ。心地よい空気感。


四人の神の舞だけではなくて、楽、歌、すべてが斎庭を作り出す祈りなんだなーとかぼんやり思ったのです。

はじめましてのコヤネさん、最初誰だかわからなかったけど、誰が舞っても気持ちがよいって、ええのう。人が変われば、舞は変わるけど、それでもコヤネさんはコヤネさん。謎かけみたいだな。
その役そのものがもつ雰囲気とか、伝統とか、そういうもの。立ち居振舞いとか、所作とか。

面とったら若返っちゃった!とおもったけど、それは、神からひとりの氏子として舞う舞だからなのですね。ふむふむ。

そういえば、益田辺りがなんでも面をはずすのは、おなじような意味合いがあってのことなのでしょうか。


はじめましてじゃない皆さんは、そりゃそりゃ。
久しぶりにタチカラオさんが力んで真っ赤になられてた。
まだよくわからなかったときは、ウズメちゃんとタチカラオに目がいったけど、四人で舞うことが大事なんよ、バランスなんよ、と教わって、それを感じられるようになってから、おじじさまお二人の舞がまた、ええのーと思えるようになりました。シンクロなかんじとか。


べた褒めしていますけれども、昨日は、なんか、すごく自分にとって良かったのです。とにかく。「ちょうどよい」かんじ。


まつばらさんは、なんかものすごくお久しぶりな感じでありますが…いったいいつ何を見たのかいまいち思い出せません…ううーん。どっかで見てはいるんだろうけど…というくらい、お目にかかる機会が少なかったので、よいタイミングでありました。
三隅は、益田の神楽に近いんでしょうか?
益田が三隅に近いというべきなのか?
むむむ…難しい。

「石神」も、なんかあらすじとかで見聞きした覚えはあったのですが、オチの、次の日に岩になってた、の部分が全然記憶になくてなんでかなーとか思っていたのですが、岩になって守護するね!という意味合いだったのですね。文字で読むわりに普通の終わり方だったから印象に残らなかったのかも。
でも、なんていうか…石神の姫神が、国引きの神に助けて!っていったから、のちのち、ものすごくあとになって、ふたりでひとつの県になったのかなーとか思うとなんかこしょばゆい気がいたします。別々の国だけどひとつの県となったゆえんはここにあるのかなーとか妄想。

ただ、チラシでのルビが、ヤツカミズ オツミ ノ ミコト だったのが、ものすごく気になりましたのです。
ヤツカミズ オミツヌ ノ ミコト だったと思うんだけど…
会社の出雲人たちにさんざん教わったので。
ヌは、訛りで、ノと読むのはあるんだろうけど、オツミ?ちと、おしい。
それともそういう読みもあるんかなあ。


眠くなったので、今日はおしまい


ほか、結構うつらうつらしちゃってたけど、安定の良さだったです。ねむねむ。いつみても、だいたい同じように、ええ舞が見られるのがよいです。
同じことを同じように舞うのが、よいです。
そうやって思っていても変わっちゃうのは、ナマモノゆえ。

よりまさ良かったなあ、ねむねむ。

月がこわい

かめのふ

今日の月はなんか不気味でこわかった
月は冴えざえとしているのに、周りは雪雲でいつもより夜が真っ暗だったから。

今朝は6時に雪かきして、浜田へかめのふしにでかけたのでありますが、静間過ぎるまでがデンジャラスすぎたのでした。

本当は途中引き返そうとおもったけど、凍結しているから、Uターンするほうがよほど危険で、文字通り滑るように前へ進むしかしようがなかったのですけれども。

帰りはワイナリー過ぎてから出雲よりの秋鹿くらいまで。ということはあのあたりが屈指のデンジャラスゾーンですな。トータルでは平田が一番おぞかった。
平田の交差点で、発進したらちょっとスリップしてピヤッとしたけど、それ以外、雪道運転はなんとか要領得てきたかも。この前の雪のせいだ。うん。
でもいつもの1.5倍くらいの時間ですんで良かったであります。

さすがに疲れたので詳細は明日。
とりあえず、無事につきましたことをご報告。


そりゃあね、なんでそこまでして私は浜田へ行くんでしょう、かめのふしに行くんでしょう、と思いました。眠いし寒いしこわいし。お腹すいたし。
でも、「岩戸」の囃子と歌を聞いたときに、ああこれのために来たんだって。

楽の一つ一つと、胴とりの奏でる音のバランス。

そこに舞が加わって、いっそう心地よくて、ふわあああってかんじ。(ボキャ貧)

いろんなひとがいて、いろんなこのみがあって、それに応えるいろんな社中がいるから、これだけ多様性ある神楽が、これだけいきいきとしているのですが、私にとっては、あの空間が一番心地よいのです。
楽と舞に浸かる感じ。温泉的な。

この前のはプールのなかで頭押さえつけられてる感じ。わからんけど。

小さかった?と聞かれたのですが、そのくらいのほうが、全体のメリハリが生まれるというか…リズム?抑揚?が出しやすいのではないでしょうかと、思ったりもしたのです。



ねむいから、またあした。
ねむねむ

ぶつくさ

まだ二回目の冬でありますが、それでも雷落ちると雪が降るってことと、風の音もしなくて、やけにしんとしているときのほうがドカドカ降ってるってことはわかりました。
ああ、明日がこわいなあ。
明日は引きこもるとして、かめのふはできるんでありましょうか。

あ、明日のうちから雪はかいておいたほうがいいのかなあ。
むむむむ

会社のおじさんたちに、一人は寒いねえ寂しいねえ(ニヤニヤ)って笑われてなんか悔しい。きいい
悔しいからビール飲んでやったで!高いビールなら、飲めるようになりました。美味しいとは思わんけど、前よりうげええってならなくなった。味よりアルコール摂取。


最近ちょっとね、書くことにモチベーション下がりがちなんですけれども、きっとかめのふしてないからだわと、思いつつ。
いろいろこの時期にやりたいと思っていたのですが、いざなってみたら寒くて布団から出られないので何もできません。あーあ。布団のなかでできるようなふうにしないとだなー。
図書館にいきたくても、インフルが怖くて行かれません。
あとこっちの図書館より浜田のほうがあかるいし私は探しやすくて好きなのであります。

やっぱり浜田に神楽基地がほしいよう


お宮でね、いろいろ調べたいことがまたできましてね。
師匠がお出かけされたおかげで新しい発見なのでありますよ。むふむふ

めっちゃ詳しい地図とか買って、書き込むようかしら

長浜・熱田あたりのお宮と、それ以外、みたいな感じで見比べるか、……やっぱり昔の主要な港と街道と地域もおさえないと、うまく仮説もたちません。
むむむ…妄想ひろがるー。

いつか、わたしも忌宮神社いってみたいなー。
岩国とか阿知須まで行けたんだし行けるんじゃあるまいか…

それより香川でうどん食べたい。
あの橋渡ってみたいんですよね。四国結んでる橋。二つあるんだっけ?
今年の五月の連休は大阪のつもりだから…どーしようかな。

そういえば神楽はあんまり四国へは行くことないのでしょうか。
九州はあるよねえ。近畿もたまーにあるっぽい。

四国も神楽はあったと思うけど…外出たり外の呼んだりはあんまりされないのでしょうか。

よさこいにとって食われてる?

四国でかめやまあったらルンルンでかめのふするんだけどなー。


浜田行けるかなあ。

春よはよう

石見神楽あたり

はよう、はよう。
めっちゃ、ソッコー壊れるフラグしか見えないけど、バケツ以外の雪かき道具をなんとかゲットしたのであります。わっしょーい

警報発令中ではありますが、本当にまた雪がもっさもっさするんでしょうか。


もっさもっさしたら、今年初のかめのふは断念せざるを得ないか、も。

この前みたいな雪が降っても、一応走れないことはないけど…いつものだいたい3~5倍の時間がかかったから…浜田まで9時間?
ぐぬぬ

それでも来いとは、きっと師匠(お父さんver. )はさすがに言わないと思うの。

でも、かめのふしたいよう。


どうなるのかなあ。



ぼやぼや思いを巡らせていて、ふと気がついたのですが、「頼政」好きなんですよねえ。子どもみたいで、言うの恥ずかしいけれど。
でも、この好きって、かめやまだけに適応されているので、かめやまの「頼政」が好き、が正確な表現。
いくつかほかの社中もみたけど、しっくり来なかった。

東京公演のとき初めて見て、その印象もあるのかな。
なかでも、あの、顔ぶれが一番好き。

ふふふふ


頼政は、「源三位頼政」と呼ばれるゆえんの従三位になったのは、じいちゃまになってからで、鵺退治のずっとあと。遅咲きというか…まあ源三位自体がそれまでの源氏の位からすれば異例のことなんだけど…
辞世の句が「埋もれ木の花咲く事もなかりしに…」であったり、なんか人生の端々に、権威への執着がみられる、貪欲なひとという感じ。まあ、器用貧乏でもあるのかもしれない。

多分、頼長の歌は、その生き方への皮肉もあるのだと思うのです。

頼長は、どストレートすぎて破滅したタイプ。
羨ましかったかもしれないし、憎たらしかったかもしれないし、両方かもしれない。


鵺退治も、いいとしになってからだけれど、私的には、その貪欲さというか、ギラギラした感じが、かめやまのお兄さんのとしでしっくり来る気がして。
…肉食系なかんじ?

鵺退治のとしは、じいちゃまだと、行きすぎなんだよなあ。いくら昔は寿命が短かったとはいえ、かなり長生きしてるし。
小町さん系。もはや人間辞めちゃってるかもみたいな。

能の「鵺」を、一度名手の舞でみてみたいものです。



とにかく、かめやまの「頼政」が、好き。という話。

ほかは、演目が好きであったりの事もあるんですけどね。

出雲の神楽なんかは、演目が好きだから、どこが舞ってもあんまりあーだこーだ思わない。オロチたんかわいいねーとか。



なんか風が強くなってきたで。

にゃんこさんとわたし

ぶつくさ

ようやく、にゃんこさんたちに、どうも私はたまに帰ってくるらしい、と受け止めてもらった…っぽい気がする。でも帰るときは悲しそうな顔をするのです。

というわけで、帰りもサンライズ

にゃんこ2号は、うちにきたとき伝染性の眼病で、しばらく私の部屋に隔離していたこともあって、なんか私のものは自分のもの、自分を私の姉のように思っている節があるんですが。
超久しぶりに一緒に枕で寝てくれて、わしうれしい。もっふもっふ。目が痒いけど我慢やで。


いやーしかしサンライズいいなー。寝てりゃつくのがいいなー。われらが東海道線だし。ムダがない。
今度の東京公演もサンライズにしようか悩み中。


師匠のお話を聞いていて、また面白い発見があったりして、やっぱり、きちんと浜田という土地について調べなきゃだなあと思ったのでした。
その話は話すかなあ。まだしばらくかなあ。
内緒事にしておきたいこともある。

その土地と、神楽との関わりを知れば知るほど、あんだけハコモノ建設ブームのとき(知らないけど)にあそこに神楽に関するハコをつくらなかったことへの、疑問とか疑問とか残念だなあという気持ちとか疑問とか、沸くのであります。
いまさら郷土資料館をつくるのもトンチンカンな気もするし…ちょっと、今更感。

なんか、うまくいかないね。
図書館は素敵なんだけどね。


下手に大きいから、みんなの考えがまとまることももしかして難しいんだろうか。ふむむ
そこで落としどころを探すのが議会ね。

ふむむ。

まったくそっちはわからんし、そこまで口だす筋合いないし、難しいことはよーわからん。


オトナは、難しい。


今回のは、いつも以上になんだかなあって気持ちになったこともあったりして、なんだかなあな感じ。
私じゃない方がよかったねえ。

ワンカップワイン飲んだら酔いました。おやすみなさい