舞ひあそぶ

神楽のこととか、備忘録の掃き溜め。

オチのない話

私は、ほんっとうに運動神経が壊滅的な悪さでありますので、正直、神楽をやってみたいと思ったことはこれっぽっちもないし、もとより環境含め「舞う身体」をもたないものであります。

例えていうなら、デブねこタイプ。
とにかくすっとろい。本人的には頑張るんだけれども。
そしてものぐさ。動かなくていいなら動きたくない


師匠に舞を習えないこと、私は師匠に神楽を習うたんよーといえないことは、残念な思いがあります。
自分がああ素敵だなあと思える舞に倣えないこと、「舞う身体」を受け継ぐこと。身体から舞を、神楽を見つめること。
それが叶うひとをいいなあと思うことは、あります。
無い物ねだり。

師を持つこと、師から習うことについて、よくよく聞かされているからかもしれません。


私は能楽と歌舞伎だったらやっぱ能楽が好きだし、神楽は歌舞伎より能に近くあってほしいとも思います。
どれも等しく受け継ぐべき大事なものではあるので、あくまでも好みの問題ではありましょうが。

能は舞、歌舞伎は踊りだよ。という言葉が納得なのであります。


能の美しさは、引き算の美。

究極まで具象を削ぎ落とした抽象が、実は本質をつくというか、リアリティを映し出す。
それが、所作というか、「カタ」なのでしょう。

でも、衣装そのものはすんごい豪奢よねー。
もーあれ眺めているだけでヨダレが出そうになる。
神や権力者の前で舞うからこそ、とびっきり良いもの、贅を尽くしたもので立ち居出るのでしょう。

もしもの話、能の最盛期の時代に、あの土地で石見やもとは高知だっけ?みたいな装束を作る技術があったとしたならば、それが能の衣装となり得たのかもしれないわけであります。そんなことは無いと誰も断言できない。
伝統となることで時間が止まってしまったから、金蘭衣装のままなだけ。


その点においては、神楽で染め抜きの装束を身にまとう土地があること、金蘭衣装を身にまとう土地があること、石見のような衣装を身にまとう土地があること、それぞれ時間が止まったタイミングが違うだけのこと。

興味深いのは、どれをとっても洋服にはならなかったことよね。

わからんけど、材質的にも構造的にもなるべく和服のままをとどめているんじゃああるまいか。
最近は浴衣とかで化繊も増えたけどね。
ザブザブ洗えるという点において化繊はたしかに便利。
でも足袋とか化繊だと滑るよなあ。
化繊の帯は滑って締まりやすいけど緩みやすい。浴衣は洗えるけど、綿より汗を吸わないし、胸元がずれやすい。

はあ。オチがない。



あ、あと、とある能楽師が、生み出される演目、廃れる演目、残る演目の分かれ目は「普遍的なテーマであるか否か」であるという話をしておられました。

ほんとそうなんだろうなあ。

じゃあ、石見神楽における現在の演目それぞれの「普遍的なテーマ」とはなんだ、ということにはなりますが。
ごく一部を除いて、能や歌舞伎のような色恋や敵討ちものはない。
だって、神楽だから。

うーん、これはまたゆっくり考えよう。



そうそう、なぜ、最初に、「舞う身体」の話をしたのかといえば、能楽を見ていて美しい立ち居振舞いは、頭があんまり動かない、軸がブレないことかなあと思ったんだけど、それは能楽視点であって、神楽視点ではどうなのかというのが自分の身では知り得ないし、追究し得ないことだと思ったから。

桜江の某先生は、八調子地域における舞う身体の西洋化を唱えたのだけれど、それはきっと事実だろうし、でもそれがすべてではなくて、そもそもの山のものと海のものの生活スタイルの違いも頭にいれておかなくてはいけない。

ま、素人目で見ていて、現在最も身体の西洋化を果たしているのは、あっちな気もするんですけれどもね。それとも見たところが良くなかったのかな…また別のとこ見てみないと、確かなことはなんとも言えんけど。

ともあれ、なんかよくわかんないんだけど、師匠とか、師匠が舞の師匠らしい(?)方々の舞とか見ていると、美しいなあと思うのです。でもなにが美しさなのか、よくわかんない。
速すぎて軸とかよくわかんない。動体視力追っ付かん。
ブレていないような気は、する。
なんていうんだろうなあ。

でんでん太鼓だって、軸棒がしっかりしてなければ、気持ちよく鳴りません。

あとはやっぱり所作かあ。


オチは、ない。

むかしのこと


眠いんで、ちょっとだけですが。
桜江の大先生が、邑智郡の一部の地域において残した音楽教育的功績とかは、すごいんだろうなあと思います。
反論してくる人なんていなかったから、嬉しかったと思うよ、生きていたらよかったねえ、とおっしゃっていただけて、ありがたい反面、なぜ反論せず古老は去っていったのか、にも目を向けるべきでもあり。うーん、複雑。


私が何よりも主張というか…師匠に教わったこと、自分の目で見たものを足掛かりに伝えたいのは、
そもそもの問題が、書く人いない問題が故に、某という人間とその親分が、長い神楽の歴史のなかのほんの数十年、関わりを持ち得た偏見や、思い、神楽という多角形のほんの一面でしかないものを、「石見神楽論」として島根県内外に、特に中央部の人間に刷り込ませ、通説としたことの罪についてなのであります。

彼らの生きる神楽の世界では、たとえそれが真実だとて、石見全域で当てはまるわけではなく、「石見神楽論」としては、偽りでしょう。

私も、師匠に出会うまで、あのものらの言葉が真実だと思っていました。
それしか、情報が得られないから。
でも、知れば知るほど、見れば見るほど、感じれば感じるほど、その言葉の嘘や、脆さ、矛盾が見られるわけで。

とくに、なんで八調子はけちょんけちょんにいって、新舞旧舞というご都合主義なものはむしろ好意的に思えるほどに認めているのかとかね。
身内に甘すぎやろっていう。


はあ。難しい。

ちょびっとつづき


昨日の続きで、ちいとおもったこと。

昨日は、大層な人入りでした。
年齢層高め、インテリな感じの人がたくさん。


もともとは敷居を高くすることで生き残った芸能なので、ジーンズやサンダルはNG、着物がベタ、という感じではあるし、自分もあんまりジーンズとかサンダルではあんまりいった記憶はないかな。
特に能楽堂は、演者のためにだったか、室温が低めなことが多いので、サンダルは夏でも寒いのです。

一日延々と能をやっている日があって、何回か、朝からでかけて時折うとうとしながら、座席でのーんびりくつろいで夕方まで見たこともあって。
あの感じ、心地よい。

自分は、あんまり大きいとこには行かなかったので、運が良ければ、こじんまりとした能楽堂で、謡と囃子に埋もれながらその空間に身を浸せるというか。

そういう経験ができたから、今の神楽の楽しみかたみたいなのがあるのだと思います。


でもでもでも、一昨年かな?美保の薪能の時もちょっと感じたのだけれど…まつえでの能は、なんか居心地悪い。
かたすぎて。
空間が遠い。
観客が近すぎる。


武士文化が根付いているし、文化レベルが高いのかな?みたいにいわれたけど…
本当に高かったら、もっと佐陀神能あたりも生き生きしていただろうに。
金銭的に能楽堂はつくれなかったかもしれないけど。

でも、城を、ボロボロにさすような人たちやん。
大半、撃沈して寝とりますやん。

悪口言いたいのではないけど、なんかもやもや。

なんていったらいいんだろう。

なんか、複雑な気持ち。


ハイカルチャーへの興味感度、知的好奇心的なものは高いのだと思うのだけど、神楽の時とみんなの態度が違いすぎてね、なんかね、もやもやしちゃうのよ。
媚を売っているような。

先人たちが大切に大切に守ってきたものは変わらないのに、それを、誰が、優劣、文化レベルの高低を決めていいのでしょうか。誰にそんな権限がありましょうか。自分達の一番そばに寄り添ってきたものを、どうして卑下して蔑ろにしていいのでしょうか。

卑下が美徳?それで失ってしまったものは、もう戻らないのに。
誇りと魅力がなければ、義務だけでは、本当の後継者は生まれないのに。



ふぐぐぐぐぐ…苦しいよう


文楽が偉いなら、益田の糸繰人形も偉いんだ。
むしろ、希少で、残してくれてありがとうなんだ。
でも、なんで、そっちにもっと優しい目を向けないの。

なんで、何を根拠に、能楽は偉くて、神楽は三の次四の次なの。とりあえず呼んどけみたいな。なんで、そっちにもっと優しい目を向けないの。なんで「とりあえず」が通用することのありがたさに気がつかないの。


それは、島根の人みんなに言いたい。
継ぐ人にも見る人にも。


神楽があって当たり前なんじゃあない。

ぐぬぬぬぬくやしいいいい



みんな、変わらずいとおしいのに。



ああ、あつくなって脱線してしまいました。
落ち着けー。ふうふう


そうそう、それでね、一階の後ろから2列目で思ったより後ろでびっくりポンしたわけなんですが。
そんな遠くから見たのは、相模国一宮の薪能くらいなんですけど…あのときは自然の囃子と相まってなんも見えないなりに、そこそこ気持ちよく、寒さに震えながら居た記憶があるのですが、それとはまたちょっと違う、ひたすらアウェイ感。

いつも以上に傍観者だったのかな。

神能あたりは比較的見る人は空間の傍観者、石見では空間の共有者、みたいな違いがあるんですが、その傍観者の最たる感じ?

入り込めなかった感がある。



うーん。

はじめての人たちだったから、自分的には慣らしだったのかな。



カジュアルだったり、なんかいろいろ挑戦してみたり、能楽もするのですよ。
ちなみに能楽は、能と狂言を合わせての呼び方なんだって。

能も狂言も。

舞台神楽と一緒で、ホールでできるのです。
奉納神楽と一緒で、神前にも奉ります。

柔軟に、柔軟に、時と場所を見ながらそっと寄り添う芸能です。能楽も、神楽も。人と神とが楽しむ芸能です。

生きていくために、使い分けだってします。

でも、ホールでできるんだけれど、舞台演出だって時には受容するんだけれど、やっぱり、そのものが生きてきた場所、地域のお宮、能楽堂での、そぼくな舞が、やっぱり一番のごちそうなんだよなあ。


あ、よく考えたら、神社での能楽の奉納って、だいたい舞台を組むので、拝殿とかで舞わないんじゃないかな。それともそういう小さいとこに呼ばれたことがありませんとか?
それはあるかも…



ふう。
ちょびっとが長くなってしまった

能の話とくわえて

松江での能楽鑑賞のはなし。

ベタというか、鉄板というか。
おめでたいときによく舞われる「羽衣」、仕舞は「高砂」「田村」「松風」、
たたらだよシリーズでなのかな?狂言「太刀奪」、能「小鍛冶」でありました。

比較的ポピュラー揃いなので、多分、全部見たことがあるんじゃないかと思われるけれども、それこそアーカイブをしていないので忘れてしまった。
やっぱり書いておかないとダメねえ。

能楽師狂言師は全員はじめてでありました。
京都方の方々なのかなあ。
いつも見ていたのは、東京方というか…あっちの方々。
なんとなーく、慣れないけど、こっちで見るとしたら京都方のほうが多くなるのでしょうか。

見る機会があるというのが大切かあ。


「羽衣」って、ベーシックな舞なぶん、多分、技量がすごく出るんじゃないかなあ。
どちらかというと「静」の舞なので、余計かも。

そういえば師匠も「鍾馗」や「八十神」の武彦さんは、その間の取り方が大切って言っておられた。

ずいぶん前に、どなたの舞か忘れたけど、天の羽衣を返してもらったときに、パアアッて、ああうれしい!って面が明るく微笑んだような空気になったことがあったような無かったような……なんとなく、その空気感だけやたらと頭に残ってる。…妄想かなあ。

仕舞というのは、その演目の一番いいとこだけをお送りします、みたいなCMに入る直前みたいな、超短い謡と素面紋付き袴で舞う舞なんですけれど、これって、能のお稽古のなかでは敷居が低いというか…それだけをやっておられる方とか結構おられます。場繋ぎ的役割もあるし、それだけで発表会とかされることもあります。
でも、久しぶりに見て思ったのが、選りすぐった型のシーンの断片みたいなものだからこそ、多分、蔑ろにしてはいけないものなのかなーって。

「神楽」と一緒とはいえないけど…一番シンプルな装束で舞うからこそ、型の美しさが見られるし、どれだけその型を習得しているかが傍目でわかってしまう。

仕舞で人を感動させる方は、能を舞われたときはもっとよりいっそう、人の心を揺り動かす方です。
観世さんの御宗家とか。


能楽では、膝を曲げて腰を落とす立ち居姿なのですが、歩いたときに中心軸がブレないので、どっしりと安定感あり美しいです。



あーねむくなってきた

狂言はおもしろかったー。
太郎冠者がおじいちゃまだと、おとぼけがいっそう味わい深いことが多いですね。
言葉の抑揚、所作、(見えなかったけど)表情、ひとつひとつがバランスよく組み合わさって、爆笑。


「小鍛冶」は、天ガンがまんま狐で、あー狐なんだなーって感じ。
たしか龍バージョンもあったような。

相槌ということばは、たたら、鋼からつくる日本刀を打つことから来ているんだったかな?

興味深いのは、当然のように神様が隣にいるというか、困ったから神力に頼むか…で本当に神様出てきちゃって助けてあげるねって。
その人徳ゆえだとしても、人と神との距離が近い。

あと、そんなこんなで打った刀?剣?は、お狐様が献上されるんだけど、天皇からの使いに敬意を払っている。
神様が、敬意を払っている。
天孫の子孫だから?

興味深い。

そんなこんな。


とりあえず寝てからまた書き足すかも

なやましきこと。

思うところあって、書きたいことがあるんですけど、書きはじめとか上手い例えが思い浮かばなくって、ううーん。
いいや、そのまま書いちゃえ。


神楽とか、郷土芸能のうち、部活や子どもだけの団体じゃなくて、世代混同の団体とかに小さいうちから所属するのって、社会性を育てる意味でもすごく、いいなと思うし、きっともともとそういう側面があったのではないかなと思うのです。

部活も、あれはあれでいいというか大切だとは思うんだけど…そのあとの受け皿がないと、結局継続することで得られる真の継承もできないし、そもそもその子達が土地に残らないよなあとも思ったりして…ちょっと複雑。

伝統文化の継承を、学校教育頼みにしてはいけません。触れる入り口ではあったとしても。
三年ポッキリで終わらせてはいけません。

あと、結局同年代ほぼ同レベルの集まりなので、なんというかなあ。


私自身の話をすれば、体力と根性がなかったのでほとんど習い事もしなかったに等しいし、なにかそういった課外活動?みたいなのに所属した経験も無いのですけれども…
でも、生まれ落ちてからずっと教会での団体生活はしてましたから、日常的に親族以外の大人とも接する機会はありましたねえ。
まあ、うっかりカルトだったので、大変でしたけれども。
おかげさまで、団体行動ができないことはわかりましたし、それなりに社会性というか、年上との関わりかたは学ぶことができたのだと思います。

敬意の払い方というかね。


そればっかりは、同年代ばかりの世界だけでは学ぶことができないなあって、思ったのです。
塾のバイトをしていても、その差は感じた覚えがあります。


今時の若者は…とかいって、敬語の使い方も敬意の払いかたも教えずに育てたのは、今時の親御様なんだけどなー。



ああでも、たまーに、そんな世代混同の団体生活を送ってきたからこそかな、年上とか関係なく人を検分して、ナメていいと思ったら徹底的に人をナメ腐るトンデモナイ人がおられるんですよね~。
あれは、なんでなんだろうなあ。
どうしたらそうなるのか、不思議でなりません。

本当は甘えたがりで、構ってほしくってナマイキになっちゃうな思春期とは性質が違う。

人を見下しているのか、自分がめっちゃ天上人だと思っておられるのか、ちょっと私にはわかんないのですが。

大体共通する傾向として、肩書きがあったり皆がちやほやしてたりする偉い人には、清々しいくらい恭順の意を示す。
傍目から見ている分には、そのあからさまな手を揉み揉みゴマスリとかワアオすげー!って興味深い。



でも、最近気がついたんですけど……
どうやらゴマをすっているからといって、尊敬していたり敬愛していたりしているわけではないのですねえ。

すられたことないけん、気付くのに時間かかったわ。


師事しています!先生!とかいいながら、その眼の奥は打算的なというか、やっぱりどこか見下しているというか、そのもののもつ権力しかみていないというか。

商売させたら強いんやろうか。
理性なき資本主義。


ただの利己主義。


ふーむ。


学生のうちはやっぱり限られた世界にいたんだなあ。オトナになるほどに、そういう人とも出会う。


でもさあ、私みたいなピヨピヨにも、ああ、あやつはあかんヤツやってわかるってことは、所詮上っ面良くしていたって、バレバレってことよねえ。


亀の甲より年の功。
やっぱり自分より年が上の人には、敬意を払うことが大切なんじゃないかなあ。
特に、団体生活ならなおさら。


というか、団体生活している団体のなかで、自分が一番優れているのに抑圧されていると思っていて、敬える人がいないなあって思っているのなら、それは今いる団体との相性が悪いのかもしれないし、団体を飛び出ていってしまえば起業か転職してしまったほうが、お互いのためなんじゃないかなあ。
団体行動を乱しているんだから。

どれだけ努力して取り繕っても、ナメ腐った空気とか、反抗心って隠しきれない。

団体には、団体のルールとか、伝統とか、あるやん。

それを壊したくなった人たちが別れ出て、宗教の分化とか、流派の分化とか、されたんでしょう。

乗っ取られてグチャグチャに破壊されるのが一番のバッドエンドだわ。


難しいな~。



困ったさんに遭遇して、翻弄されて、自分はナメられる側決定なんだけど、いろいろ困っちゃう。

やまのかみ

ちょっとだけ、きになったこと

天の香具山に住まいする山神さん。
出雲の「山神祭」の神様
イナタヒメのおとーちゃんたちのおとーちゃん
オオヤマツミ

私の本当の故郷には、だいせんと書いておおやまと読む雨降山がありまして、江の島詣でとセットで栄えた山があるんですけれども、そこの神様でもあります。
だから、なんか親近感。
ずうっと、常に、彼を視界の隅にいれながら育ったのです。


一説によると、たたらの神でもあるらしい。

これはもっときちんと調べないとだけれど。


で、ふと思い立って師匠に聞いてみたんですけれど、石見ではオオヤマツミって聞きませんね。神楽歌にも出てこないんじゃないの、って言われた。たぶんあの感じだと宮司さんの祭祀でもあんま聞かないんだろうなあ。


私の感覚でしかないんですが…出雲の「山神祭」は、佐陀系統ではあんま見た記憶ないんですよねえ。たぶん。この前のやつ調べにゃ。
三韓」「八重垣」が鉄板。
三韓」は、戦時中までは戦勝祈願で盛んに舞われたけど戦後の国際化!みたいな流れの中で内容的に舞われなくなって、ほとんど廃れたらしい。
石見の「皇后」も中身はほぼ同じだろうから、辿った道も同じでしょうね。

それにたいし雲南辺りでの鉄板は、「山神祭」「八重垣」な気がするんですよねー。
かなり、見る率高い。
そして人気も高い。私もすきー。

それって、岩戸信仰みたいなのもあるだろうけれど、たたらが関係しているんじゃあるまいかと、妄想しているのです。
というのもあの演目では、あえて、オオヤマツミによる悪切りが行われるから。
コヤネさんよりもオオヤマツミのほうが全体として存在の重要度が高い。

てことは、オオヤマツミの威徳を借りたかった。

その、威徳を借りたい人たちは、山に生きる人。
本当に関連があるなら、たたらを生業にする人。


佐陀系統は、もっと街のほう。

越えてましませ

今朝も自分とご近所さんの車の掘り出し掘り出されから始まりまして、結局雪にはまりまくってお客さんとこにはたどり着けませんでした。あーあ。

なんとかお昼休憩中に帰社して、開口一番にチビるかと思った、といったことは反省をしています。皆さまお食事中だったわ。
また上司にコイツバカだって思われただろうなー。

そんなわたし、定期的に会社から事故ってないか生存確認が入る、島根2年生。でもその電話で事故りそうです。

明日リベンジだけどそもそも家から車を出せる自信がありません。雪と凍結ヤバイ。からだバキバキじゃ。
まあ、去年じゃなくてよかった。
そして、客人が帰られてからでよかった。



すっかり忘れてたけど、今年初神楽は、松江での新春神楽で、「島根の神楽 新春に集ひしなんたらかんたら」でした。
出雲神楽と石見神楽と隠岐神楽。
この度の本命は出雲石見ではなく隠岐でした。むふふ

西日登さんもはじめましてかしらね。

順番はもううろ覚えですが
隠岐「巫女舞」「八神」出雲「香具山」石見「恵比須」隠岐「湯立」出雲「国造」石見「岩戸」だったかなあ。

「お祝い」がテーマらしいけど……お祝い、ねえ。
どっちかというと全体的に「祈り」とか「はじまり」だよなあと思いつつ、まあいいか。

三番叟的なのは出雲も隠岐もないんだっけ?
七座に含まれるんだと思ったけど…そもそも雲南でも七座はあるのか?
大原神職にはあった気がするけど、ほかは能舞だけなのかなあ。
なーんかいまいち出雲神楽も不勉強でいけません。


ああやって、三国の神楽を一気に見られるのはいいですねえ。
優劣とかではないのです。
神楽らしさとか、勇壮さとか、素朴さとか、そんなもので優劣をつけてはいけません。
共に生きてきた人が、土地が、歴史が、風土が違うんだから。

どれも美しい。
どれもいとおしい。

ただ強いて言うならば、いちばん「能」舞なのは出雲なんだろうなあって。演劇性で石見がフォーカス当てられがちだけど、出雲なんじゃないかなあ。
道行きとかの法則性みたいな、神楽全体のセオリーからみるとね。

もう少しでなにか思考の端緒を掴めそうなんだけど…ううむ。

箱庭のような、出雲。



隠岐神楽は、祈祷の神楽と、「祈り」にフォーカス当てられて紹介されることが多いけど、ぶっちゃけ「祈り」が主題なのは普通、神楽として当然のこと。
じゃあ、石見に祈りが介在しないかといえばそれは違う。
自分達はすでに意識の外においていたとしても、「石見神楽」そのものにはきちんと祈りが糸に織り込まれている。
神楽歌とか、採りもの、所作ひとつひとつ。

そういう点においては、出雲は所作で祈りの面影を探すのが少し難しいかも。だから、「能」舞だなって。能にも祈りはあるけどね。



隠岐はかつての神楽の担い手や、女性が重要なところにあるのが興味深いですね。
琉球では女性が祭祀を司りますが、隠岐もつきつめれば、ヤマト文化以前の原始的な信仰、女性による祭祀にも繋がるのかもしれない。
と、同時にヤマト文化における巫女神楽であるともいえるかもしれない。

隠岐は誰か調べてる人いそうですよねー。



ずいぶんと前に、師匠が、隠岐と石見は似てる気がするんよね、とおっしゃっていて、今以上にわからんちんだったので海の人たちの文化だから?とかテキトーなことを答えていましたが、はじめて自分の眼で見て耳で聞いて肌で感じてみたら、たしかに、かなり近いといえる気がするのです。

私は、身の内に石見神楽が染み付いてはいないので、そこらへんは師匠のほうが感度高いと思うですけど…
共通項を見つけるのはすごく簡単だし、延長線上に、花祭との関連も透けて見えます。


これで研究したら面白いだろうなー。ヨダレずるずるー。


あ、あと師匠からの問いかけで、「香具山」の出典も探さないとだ。

ねむい