舞ひあそぶ

神楽のこととか、備忘録の掃き溜め。

キャラクター


家で、いただいた神楽カレンダーと、前年までのやつで切って取っておいてある写真を、歯磨きながら眺めていて、やっぱり本質はこのキャラクターそのものへの愛情なんだよなあと思ったのです。

結局のところ、面を外して化粧を施すことでは、「個人」あるいは「我」を消し得ないというか。
なぜ面をかけるのかといえば「我」をあるものに"依り"添わすためだから…


たぶん、たぶんなんですけど、最近ことに言われるある人にたいする「おっかけ」が増えてきたのは、化粧舞の文化にも関係があると思うし、すごい語弊はあるんだけれども、「我」のある証拠なのだとも思う。
キャラクターの向こうにいる「個人」を見てキャーとしているというか…

まあ私も師匠キャーとか同じようなもんなんですけど。

何を舞っても、何を奏しても、魅せる人はおられます
あるいは、この舞はこの人!みたいな名手もおられます。

でもその場合って、「この人の○○はええなあ」なのですよね。
「この人の胴はええなあ」「この人の神はええなあ」「この人の鬼はええなあ」
その人を通して聞かせる音や、たち現れるものたちにたいしての"ええなあ"。


「○○のあの人がカッコいい」だと、それの向こうにいる「あの人」を見てしまっている。


化粧だと顔面の良さとか、声の良さとかそっちに意識もいってしまう。
面をかけて、顔がわからない、声も面越し、それでも美しい所作で魅せるか、どれだけそのキャラクターそのものに生き生きとした肉体を与えるかが、能とか仮面劇の真髄だとも思う。

うーん。よくわからなくなった。

くろつか

前に「黒塚」は、(石見弁が)何言ってるかわからんし、なんかネタ的によくわかんない。ってぶつぶつしたとき、でも「黒塚」はそれでも石見神楽の大切な演目なんよーって、教わったことがあるのです。

もともとは、夜明かし舞でしか舞わないし、なにより神仏分離令や、仏教要素排除の動きがあった時代に、それでも無くせなかった演目。

いわゆる、現六調子地域には無いやんってツッコミが入るかもだけど、そもそもあのあたりは夜明かし舞がまれであったのではないでしょうか。記録で見ると、能舞を奉ずる祭りが少ない。式年祭は神がかり神事がウェイトをしめるし。
例祭でも夜明かししちゃおーぜー!舞っちゃろーぜー!はお祭りが好きな?沿岸部の文化ともいえましょう。
もしかしたらだけど、執り行うお財布事情とかもあるのかもね。


鉄板ネタももちろんあるらしい。
ちょろっと聞いただけだけども。

いつか、ゴリゴリの、ほぼオンリー鉄板ネタの「黒塚」を見てみたいものであります。

鉄板ネタというのは、方言は早口だしちょっと難しいけど…でも、世代や環境とかを超えて笑えるからこその鉄板なんじゃないでしょうか。

だからこそ、難しくもある。

そのキャラクターたちがもつ雰囲気や、間合い、話し方、立ち居住まい。
名手はおられるはず。


その空間に身を投じてはじめて「黒塚」の本当の面白さが感じられる気がして。
ぜひいつか感じてみたいものであります。

春なわすれそ

車を走らせていて、陽射しもそうなんだけれど、なにより山の色が変わってきたので、ああ春が来ていたんだなあ、って。
黒々した色から、赤みを帯びてきた。
まだ梅も悩みながら、つぼみは固いだろうけれど、確実に頬を染めてその時を待っていますね。
早咲きの桜かなにか、梅じゃないのが少し咲いているのも見かけました。
雨も少しずつトゲトゲが取れてまろみがでてきた。


いつか、梅林というのに行ってみたい。

山根さんかな?曽我兄弟の演目あったのと、歌舞伎でも有名ドコロ、「外郎売」としてもしられている、曽我の梅林は比較的地元なのですけれども、行ったことがなくて。それもまた悔やまれる。

たぶん距離でいえば電車で30分なので、出雲かその手前らへんくらいの感じでしょうか。

曽我の梅林の梅干しは酸っぱくておいしい。


桜は私の誕生日の花なこともあって、好きなのですけれど、島根に来てからは梅のほうが、春来るらしな思いがして、咲いているのを見ると嬉しくなります。
こっちのほうがやたらめったら寒いぶん、梅が咲いて春の訪れを告げてくれるのがありがたい。

あと、神楽歌でよく聞くようになって、美しいなあって思うからかな。


拾遺和歌集」「源平盛衰記」などでは
東風吹かば にほひをこせよ梅の花 主なしとて 春を忘るな

ですが、

「十訓抄」「太平記」「荏柄天神縁起」などでは
東風吹かば にほひをこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ

となっているようで、神楽歌でも歌われる人によって違う気がします。「春を忘るな」がなんとなく多い気がする?

そういえば荏柄天神っていえば……鎌倉。一回だけ確か行ったことがあるけの、なんかビミョーに遠いところにあって、やぐらがある天神さんだった気が。昔はよく鎌倉は延々歩いたものです。


話は戻りまして、個人的な好みでは「春な忘れそ」のほうが好き。
「な~そ」の用法って、「~してくれるな」って、祈りとか願いに似た禁止の意味合いが「忘るな」より強い感じがして。

梅よ、どうか春を忘れてくれるな、の思いのなかに、私にどうかお前の匂いを届けてくれ、春を運んできてくれ、という願いがあるような。
春を、だけど、私を、でもある。
私のために、咲いておくれよと。
東風が吹いたら主の私を思い出して咲いておくれよと。

そんな気がするのです。



前に、ちょっと言ったかもだけど
梅は私のところへ飛んできてくれた、桜は私をおもって枯れてしまった、松よお前は変わらずそこに立っていてつれないなあ、の歌
松は待つ
だから、彼は一人、主が戻ってくると信じて、帰ったとき主を屋敷で迎えたくて待っていたのに、つれなかるらんとは、主はつれなかるらんと思っていたし、やっぱりいまでもちょっとそう思う。

でも、菅公は、自分が帰れないと悟っていたからこその、つれなかるらん、だったんだろうとも、この頃思うようになったのでした。
帰れないから、どんなに待ってくれてもその健気さに応えられないから、松よお前はただ立ち止まってじいっと待つばっかりなんだなあ、といううらめしさ、さみしさ、切ない気持ちもあるのかなって。


追いかけるがいいか、悲しみ朽ち果てるがいいか、前にも進めず立ち止まるがいいか、どれがいいんだろう。どれもなんだか幸せではないよなあ。

やっぱり主はつれなかるらんだ。

おもて、のこと

昨日の続きをちょびっと。


師匠が教えてくれた、「変わったら舞が変わる」シリーズのなかに、面が変われば舞も変わる、というのがあるけど、結局これも昨日のやつに繋がるんだなあと思ったのでした。
舞手は面に、肉体を貸しているから、面がその人の肉体で舞っているから、面が変われば、面の性格も変わる。だから、舞が変わる。

良い舞手は面に肉体を貸しきれる人、面と対話をできる人だよと言われて、はああなるほどなあって。

たまに、能とか神楽とかで感じる、面が本当の顔みたいに泣いたり笑ったりしているのって、面そのものの造形、舞手の所作、型の習熟度だけではなくて、面とその舞手がうまくリンクしているときなんだなあと、思ったのです。

自分が自分がと、自己顕示欲というか…我が強いと、どんだけ端整にしていても、たぶん本当に良い舞は舞えないのではないかな。
面と自分が戦ってしまう。
面のキャラクターに寄り添えない。体を貸してあげられない。
逆になんか残念感があるときは、こういうときなんだろうなあ。


あとやっぱり、去年の夏くらいにいったかもだけど、具体的すぎる表情とか、作り込みすぎた面だと、またそれはそれで私としてはしっくりこない。
というのも、名手の生まれる面、名手を必要とする面、良い面は、抽象的な造形というか、なんともいいきれない曖昧な表情が多いですよね。

極端な話、兄まあさんも、あんなお顔ですけど、あれがどんな感情であるのかは、言い表しきれませんね。いわゆるひょっとこみたいなオドけているかといえば、どうもそうともいいきれない感じ。でも、確実にあの面にはあの面の性格がある。あの面の舞がある。だから、あの顔で受け継いできた。

曖昧な表情というのは、逆に、あらゆる表情ができるということ。感情を多様にあらわせるということ。
笑った顔は、まだなんとかしようがあるけど、目をひんむいた怒った顔は、どうしたって怒ってる。つまり、怒ってるとこしかあらわせない。

あ、だから面を変えるという文化が副産物として生まれたのかもしれないなあ。
わからんけど。

能面の般若面は、あんな顔だけど、泣きますからね。
橋姫もだけど、彼女たちはちゃんと泣ける。いや、もともとあれは哭いている。

面が泣きたいときに泣き、笑いたいときに笑うことのできる面が、いいなあ。そしてそれを生きたものとするのが、舞手。我が強いと、生かせない。



そうそう、権現様とか、神楽でも面がご神体となっているのも、そういう面のもつ力所以なんですねえ。
権現様は、人の体を借りてうきうきと舞いあそび、祝福してまわる。
あのなんともいえないプリチーな感じは、舞手の体を確かに借りて自分の守護する人たちのところへ出かけていたからなんだろうなあ。


現実と非現実、人間とそれ以外の境目に面がある。

おもて、についての説明をもう一回聞きたいな。


最も原始的な儀式では、化粧がはじまりのはず。
その次に、面。
文化人類オタクの先輩に聞いてみよっと。

妓楽とかあのあたりから面の文化は確実にあって、醸成されたのが能、狂言で、あえて化粧に戻って、自分の顔を生身の面にしたのが、歌舞伎、ということなのだろうか。

うううーん…思考がうまくまとまらないなあ。

なんで歌舞伎は化粧なんだろう。
登場人物がおおくて面が足りないとか?能への反骨精神とか?傾きたいから?

よくわかんない。


あれよね、化粧は稚児に施してたと思うのよね。
あー歌舞伎の歴史について教わった気がするんだけど…忘れてしまった。野郎歌舞伎の前に関係がありそう。

人はなぜそんなにばけたいのか。



なんか、いろいろ。もがもが。もがいてももがいても。

めそめそ太郎は面をかけられない

タイトルはとくに意味がない。

なんかよくわかんないけど、落ち込みぎみで、昨日はなんか家帰ってからずっとめそめそでした。今朝の顔は最悪だった。
今日もちょっとめそめそ。
何が悲しいんだかよくわからない。

でも仕事以外で声出してしゃべる話し相手がいなくなって久しいので、涙を出すのはちょっとスッキリする気がする。
強くならなきゃなあ



能面の本を読んでのメモなぞ。

能はかつて田楽能と猿楽能があって、いまは猿楽能をルーツにもつのだけれど、そのルーツは奈良時代に大陸から渡来した散楽なのだそう。平安時代に猿楽となったのか。田楽も同時代の成立なのだろうなあ。田楽は、田植え踊りとかそっちに残っているはず。
能、狂言は、音楽、舞踊、演劇の融合した、総合芸術だとあったけど、採り物神楽系統もこの部類にいれていいと思う。能楽が少なからず影響を与えているだろうし。

総合芸術は、プロパガンダとしての役割もあったのだろうと、私は思うのです。

いつの時代も宗教と芸術は隣り合わせだったから。文化とはそこから生まれてきたから。


能面は、神仏、天人、鬼神、仙人、亡霊、動植物の精など、あらゆるものを表現します。
興味深いのは、生身の、特に壮年の男性は直面で、老人と女は面をかけるということ。
男性、しかも稚児とかではなくて、ちょうどよく熟した歳の男性が担ってきたのだろうし、その男性そのものが「現実」を唯一あらわすものだったんじゃないかなあ。老人や女は、おなじ人間であるけど、彼らの感性的にどこか「現実」ではない存在みたいな。

狂言では、女は直面で表現する。
狂言のほうがより世俗的というか、大衆に近かったから、女もまた「現実」に生きる存在であったということかなあ。

能と狂言が、いつの頃からなのか不勉強なのでわからないのだけど、寄り添って生きてきたのは、夢と現実、陰と陽、ふたつでひとつの世界をあらわしてるからなのかなって。離してしまったら、どちらかが廃れて消えてしまったら、もう一方は世界の半分しか表現できなくて、きっとそれもまた消えてしまうのかなって。


読んでいた本でいいなあと思ったのが、面のことを「変身の道具であるとともに演出家に似た絶対的存在」といっていて、これが「面」のもつ力だし、彼らがそのものを神体として大切にする所以なのかなあと。
舞う人が、個という人間を超越するための道具であるし、面そのものがキャラクターであって、人はそのキャラクターに抗わず寄り添うことで、ある個という人間を超えた「なにか」になる。
人が演じるんじゃなくて、面が肉体をもって立ち現れる感じ。

きっと師匠なら言いたいことわかってくれる…は、ず?

むずかしいなあ。


石見神楽において、面は、神体としての役割を持たないけど、神職の時代からずうっと顔を変えずに受け継がれてきた面なんかは、おおよそ近い存在なんじゃないかな。
般若面、兄まあ面、切目面、とか。
そのものが性格を持っている。


能楽師狂言師は、「磨きあげた感性と知性で、融通無碍、自由な世界に遊び、愛情に基づく面の使用選択」をするとあったけど、おそらくは、神楽面も含め、古老から受け継がれる、その面のキャラクターを知りつくし、演目を知りつくしている人が許されるアソビなのでしょう。
面とともに舞い遊ぶ。


いやはやなんとも、知り得ない世界なのであります

オチのない話

私は、ほんっとうに運動神経が壊滅的な悪さでありますので、正直、神楽をやってみたいと思ったことはこれっぽっちもないし、もとより環境含め「舞う身体」をもたないものであります。

例えていうなら、デブねこタイプ。
とにかくすっとろい。本人的には頑張るんだけれども。
そしてものぐさ。動かなくていいなら動きたくない


師匠に舞を習えないこと、私は師匠に神楽を習うたんよーといえないことは、残念な思いがあります。
自分がああ素敵だなあと思える舞に倣えないこと、「舞う身体」を受け継ぐこと。身体から舞を、神楽を見つめること。
それが叶うひとをいいなあと思うことは、あります。
無い物ねだり。

師を持つこと、師から習うことについて、よくよく聞かされているからかもしれません。


私は能楽と歌舞伎だったらやっぱ能楽が好きだし、神楽は歌舞伎より能に近くあってほしいとも思います。
どれも等しく受け継ぐべき大事なものではあるので、あくまでも好みの問題ではありましょうが。

能は舞、歌舞伎は踊りだよ。という言葉が納得なのであります。


能の美しさは、引き算の美。

究極まで具象を削ぎ落とした抽象が、実は本質をつくというか、リアリティを映し出す。
それが、所作というか、「カタ」なのでしょう。

でも、衣装そのものはすんごい豪奢よねー。
もーあれ眺めているだけでヨダレが出そうになる。
神や権力者の前で舞うからこそ、とびっきり良いもの、贅を尽くしたもので立ち居出るのでしょう。

もしもの話、能の最盛期の時代に、あの土地で石見やもとは高知だっけ?みたいな装束を作る技術があったとしたならば、それが能の衣装となり得たのかもしれないわけであります。そんなことは無いと誰も断言できない。
伝統となることで時間が止まってしまったから、金蘭衣装のままなだけ。


その点においては、神楽で染め抜きの装束を身にまとう土地があること、金蘭衣装を身にまとう土地があること、石見のような衣装を身にまとう土地があること、それぞれ時間が止まったタイミングが違うだけのこと。

興味深いのは、どれをとっても洋服にはならなかったことよね。

わからんけど、材質的にも構造的にもなるべく和服のままをとどめているんじゃああるまいか。
最近は浴衣とかで化繊も増えたけどね。
ザブザブ洗えるという点において化繊はたしかに便利。
でも足袋とか化繊だと滑るよなあ。
化繊の帯は滑って締まりやすいけど緩みやすい。浴衣は洗えるけど、綿より汗を吸わないし、胸元がずれやすい。

はあ。オチがない。



あ、あと、とある能楽師が、生み出される演目、廃れる演目、残る演目の分かれ目は「普遍的なテーマであるか否か」であるという話をしておられました。

ほんとそうなんだろうなあ。

じゃあ、石見神楽における現在の演目それぞれの「普遍的なテーマ」とはなんだ、ということにはなりますが。
ごく一部を除いて、能や歌舞伎のような色恋や敵討ちものはない。
だって、神楽だから。

うーん、これはまたゆっくり考えよう。



そうそう、なぜ、最初に、「舞う身体」の話をしたのかといえば、能楽を見ていて美しい立ち居振舞いは、頭があんまり動かない、軸がブレないことかなあと思ったんだけど、それは能楽視点であって、神楽視点ではどうなのかというのが自分の身では知り得ないし、追究し得ないことだと思ったから。

桜江の某先生は、八調子地域における舞う身体の西洋化を唱えたのだけれど、それはきっと事実だろうし、でもそれがすべてではなくて、そもそもの山のものと海のものの生活スタイルの違いも頭にいれておかなくてはいけない。

ま、素人目で見ていて、現在最も身体の西洋化を果たしているのは、あっちな気もするんですけれどもね。それとも見たところが良くなかったのかな…また別のとこ見てみないと、確かなことはなんとも言えんけど。

ともあれ、なんかよくわかんないんだけど、師匠とか、師匠が舞の師匠らしい(?)方々の舞とか見ていると、美しいなあと思うのです。でもなにが美しさなのか、よくわかんない。
速すぎて軸とかよくわかんない。動体視力追っ付かん。
ブレていないような気は、する。
なんていうんだろうなあ。

でんでん太鼓だって、軸棒がしっかりしてなければ、気持ちよく鳴りません。

あとはやっぱり所作かあ。


オチは、ない。

むかしのこと


眠いんで、ちょっとだけですが。
桜江の大先生が、邑智郡の一部の地域において残した音楽教育的功績とかは、すごいんだろうなあと思います。
反論してくる人なんていなかったから、嬉しかったと思うよ、生きていたらよかったねえ、とおっしゃっていただけて、ありがたい反面、なぜ反論せず古老は去っていったのか、にも目を向けるべきでもあり。うーん、複雑。


私が何よりも主張というか…師匠に教わったこと、自分の目で見たものを足掛かりに伝えたいのは、
そもそもの問題が、書く人いない問題が故に、某という人間とその親分が、長い神楽の歴史のなかのほんの数十年、関わりを持ち得た偏見や、思い、神楽という多角形のほんの一面でしかないものを、「石見神楽論」として島根県内外に、特に中央部の人間に刷り込ませ、通説としたことの罪についてなのであります。

彼らの生きる神楽の世界では、たとえそれが真実だとて、石見全域で当てはまるわけではなく、「石見神楽論」としては、偽りでしょう。

私も、師匠に出会うまで、あのものらの言葉が真実だと思っていました。
それしか、情報が得られないから。
でも、知れば知るほど、見れば見るほど、感じれば感じるほど、その言葉の嘘や、脆さ、矛盾が見られるわけで。

とくに、なんで八調子はけちょんけちょんにいって、新舞旧舞というご都合主義なものはむしろ好意的に思えるほどに認めているのかとかね。
身内に甘すぎやろっていう。


はあ。難しい。