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舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

ねむねむむ

明日以降きちんと書くけどめもめも。
散々松江浜田間走ってきたけど初めて二時間半の壁を越えたで。わあお

土曜は仕事で一日川本、日曜は浜田経由千代田行き、今日はこども美術館。数時間以外ほぼ石見。

アッシーかもーとも言われてたのですが、結局そうならず、またトラックに積んでもらえて、せんじがら食べながらどんぶらこっこ。楽しかったー。うふふ

あと、民俗資料館みたいなとこで田植え踊りとか見てたら、なんだかご厚意で資料いただけてラッキー。今日初めて田ばやし見れてさらにラッキー。
なかなか興味深いであります。


んーと、あとなにかな。
いろいろ思うことがあったりとか。
ねむー。またあした。

しもやけアゲイン

せっかくさようならしたと思いきや、ここのところの寒さでまたしもやけです。かいかい
しかもこの前までと違う指にできた。どげしてー

この前までなってた薬指氏は、ふくらんだ名残でバキバキ皮が余ってる感。いやーん

つらいよー。


眠かったり、眠かったり、寒かったり、なんかいろいろ、なんだかなあなのですよ。とりあえず今度のかめのふを楽しみに…むぐぐ


また眠くなるかもだけど、この前の「八幡」見ての話。


なんとなーく、「塵輪」とか「弓八幡」とかあっちの意識が強いし、たしか重鎮の団体では「八幡」は舞わないとこもあるんだったかな?って聞いたこともあるし、あんまり、「八幡」って意識しないというか、若いひとがやるイメージがあったりするのですけれども。

この前のはオイシイ「八幡」でありました。ぐふふ

舞の道行き?はそれぞれ違うらしいけれど、重厚な舞を舞われる二人舞。いやーオイシイ。

前に師匠が、年相応の舞を舞うこと。だから人、面だけじゃなくて、舞い手の年でも舞は変わることをおっしゃっていたけれど、比較的ベタな演目、立ち合いの舞だからこそ、それが感じられる気がしたのでした。


若ければ、軽やかに、跳ねるように、鬼も神もくるくる舞う。特に鬼かなあ。飛んでる感じ。スピード感とか。

この前のお二人の年(知らんけど)で、その舞だと、なんか軽々しいというか、ちょっと違うかも。
それで、背が高いのもあるのかなあ
もっと、大きくて、悠然とした感じだったのでした。

スピード感よりも、鷲が羽を広げて降りてくるような、迫りくる感というか、ううーん。
まあ、そんな感じだったのですよ。


そうおもうと、30代って、いちばんむずかしいのかなあ?

間の世代。

若さと勢いでカバーできなくなってくるから、技量とセンスが表に出てきてしまうというか。わからんけど。でも、師とか、先輩とか、重鎮の教えを身に落とし込めるにはそのあたりの世代が限界なんじゃないかと思うのです。本当は、もっと若いうちなんだろうけども。
自分の舞がもう確立してしまう。
それより年が上がると、思うように体がーとか、もう自分が先輩の仲間入りーとかになるだろうし。もっといえば師匠たちが引退しちゃうし。


私も、今のうちにたっくさん蓄えておかなきゃね。
舞法以外の教え、言葉。
師匠や、古きを知っている人たち。



あ、そういえば、第六天って、仏教的な思想じゃなかったでしたっけ。
八幡も、八幡大菩薩ですね。
だから、天皇を表立たせたくないという意味ではそうなのだけれど、反面、習合的なニュアンスからすれば、国家神道の流れのうえではあんまり主流にしたくなかったのかもしれませんね。
だから、ながはまさんあたりではあんまり舞わないとか?

面は切り目面?


うーむ。ねむくなってきた


もちろん神も好きなのですが。
鬼がザイを杖にして片足でたつ所作が、決まれば決まるほどイケててかっこいいであります。


なんか眠くて打てないからおしまい

ねむたー

会社でぼーややら坊っちゃんやらケラケラ笑われ放題でありました。いやん
ぷわっぷわやでー。
でも前髪作るのはあんまりしないのでレアなのですよ。ふはは。顔がもっとかわいげだったら良かったんですけどねえ。しかし風呂が楽じゃ。

今日もねむねむなのですが。


あんまり、よくわかんないんだけど、たまにべちべち音がするような太鼓の時があって、何が違うんかなーとか思っていたんですが、バチの握り方なのですね。
強いんだったんだっけ?
スナップきかす余分がないから、響かないんよ、と教わってたしかに打楽器はそうだよなあって。
小学校の時、小鼓と大鼓を打たせてもらったときも、そういえばそれ言われた気がする。気がつけばそれも遥か昔になってしまった。

でもどっちかといえば、能の太鼓はあんまりスナップきかせすぎないのも大切にしてる気がします。響かすより、基本がトントンと、皮の上にバチを優しくおろす感じ。
花祭の太鼓とかはそっちに似てるかもなあ。
響かすことに重点おいてないというか。
でも強く握ってはいなさそうだなあ。

と、ふとおもったりして。


昨日の「天神」見ていて、なんか神の出掛けの舞が独特で面白かったです。あれは、ながはまさんの所作なのかな?前もそんな感じだった気が。

なんか説明しにくいんだけど…
生真面目な舞?
学問の神様っぽい。

私はかめやま以外あんまりみたことないけど、かめやまは、もうすこし武骨?動きがスマートではあるけど。

多分、ながはまに天満宮があるから、余計に大事にしてきた舞なんだろうなあ。


いろいろ書いてたけどうとうとしたら消えちゃったのでこれでおしまい。

ねむむ

ヒマジンのお話し相手してたら眠くなってもーた。ねむねむ

髪を切りまして。大人っぽい感じの予定がなんかうっかりボーイッシュになりました。
ねこっ毛ぷわぷわやでー。寝癖警報やでー。
さっぱりさっぱり。


どっちがついでかといえば、髪を切るほうがついでなんだけれども、ゆうひぱーくで神楽をば。神楽あるよ、っていわれたのでホイホイ。

当然のことながら知らない方ばかりですが、おとうさんと、お父さんと(まぎらわしい)、ひさしぶりにお話しできてハッピーでありました。ひさしぶりといっても、ひと月ぶりですが。これから当分毎週のように会っちゃうぞーふひひ


まあそれはいいとして。
市職で「八幡」「天神」「恵比須」「大蛇」。
そういえばあんまり市職の神楽って見たことないのかも。「恵比須」のイメージしかないや。


それぞれの演目の話は、師匠にいろいろ聞きたいことがあるのでそれからにしまして、今日率直に面白いなーと思ったのが、この同好会の存在そのものがなかなか興味深いなというのと、やっぱり土地そのものが面白いなと、改めて思ったのであります。


同好会は、話を聞く限りお手伝いしてる方もおられるようですが、基本職員の方たちで構成されているわけなので、オトナ集団による団体ですね。
ここに憧れて、神楽マンになりました、という人たちが集まっているタイプの団体でもなさそう。
それぞれ所属社中がある、社中横断型。

で、えーっと、西と東だったかな?で道行?とかも違うし、社中ごとに個性もある、そんな言ってしまえばゴリゴリ個性の"寄せ集め"な団体なわけですが。
そこまでして団体をひとつ作っちゃう、しかも50年近く続けちゃうって、すごいなあと思うのです。
いろいろ、観光PR関係の兼ね合いというか、必要性もあってのことみたいな話もちょろっと聞いた覚えもいたしますが、それにしたって、別に浜田社中もあるわけだし…

というか、そういった地元の公務員による伝統芸能の同好会とか団体は、多分全国のどこかしらにはあると思うのですが、団体の構成員それぞれに母体とな所属社中があったり、普通の神楽社中と同等に共演大会系に出たり公演したりしているのは、そうそう無いと思います。
そこまでしちゃうの?という。


でもなんというか、それぞれが、それぞれの社中で受け継いでいる舞や楽があって、どれが正解とかそういうものではないので、うまーく皆が折り合いをつけながら、バランスよーくされている印象を受けたのでした。
ゴリゴリ個性の集まりだけど、それぞれがゴリゴリ個性を主張しないというか。
我を主張しないというか。
悪目立ちしないというか。
よくわからないんですけれども。

大変ではありそうだけれども。

興味深いです。



あと、なんかね、すごい今更なんですが、パパたちが進んでお子さまを連れていくエンターテイメントなんですね。それって、スゴいよね。今更ながら感動。

お母さんがあちこち連れていってあげるのはわかるんだけど、お父さんが、なのよね。

でも、なんとなくなのだけれど…
お母さんもそうかもですが、お父さんたちが連れて歩いて、一緒になって夢中で見ている子は、この土地、文化への視座というか、うーん…素直に、愛しているような気がするのです。
そう信じたいともいう。

帰る帰らない問題が深刻な人と向き合ってみると、地元コンプレックスの出どころって、親とか、身近なオトナであったりする。
これは、ほんとに。


なんというか、出ていくことは、その人の人生の大切な選択なので、良い悪いで判断することはできません。学業のこと、就職のこと、夢、いろいろあるだろうから。
でも、コンプレックスに感じて、出ていくのは悲しいから嫌だなあと思うのです。
自分の生まれ育った土地。ルーツとなる土地。
その土地が重ねてきた歴史のなかで、自分が生まれ育った時間なんて、1ミリにも及ばない。本当になにもない土地なんて、ない。人が生活を営んできた土地ならなおさらのこと。
自分を育んだ土地を、愛せずに出ていくのは、悲しいことです。

愛し方を伝えられるのは、一番近いところにいる周りのオトナだと思うのです。


ぬぬぬ…話がどこへいくのかわからなくなってしまった


神楽っぽいものをしているひとに、悪いひとはいるだろうけど、本当に神楽を愛しているひとに悪いひとはいないと思います。なーんて。

ハライタ

いででで
ちょっとハライタひどいので少しおやすみ中。
痛くて眠れないけど痛くて動けない。

わたし、チキンであります。
アホなんで、怒鳴られるのは不快なりにまあ耐性がありますが、記憶のあるなかでは自分は怒鳴ったことがありません。モノにも当たらないかなあ。大きな音が出ると自分がビビるので。

それなのに、この三日ほど、夢の中でガーガー怒鳴っていて、なんかやたら疲れましたわー。騒ぐのってエネルギー使うねー。はあ
覚えてないけどなんか怒鳴り散らしてるんだよなあ。
寝言でわめいてたら、近所迷惑的な意味で、どうしようって起きた瞬間思うレベル。
しかも、湘南育ち、本気出すと言葉遣いが汚い。
あらヤダどうしちゃったかしら。
今朝はハラ痛すぎて目が覚めた。

あーほんとどうしちゃったかしら。いけんわー。



えーっと、まあそれはいいとして。


師匠の話を聞いたり、パラパラ調べ物したりしていて、いろいろ改めて気付いたことがあったりして、親分イイっすかって聞いたら、ならぬ、とのお答えでしたのでもう少し時期を見て、書くつもりなんだけれども。

やるからには徹底的に調べてからにしないとね。

無知のホラ吹きほど馬鹿なことはない。

やっぱり、明治期の動きは注視すべきだなってこと。江戸辺りの資料を探すのも大事だけど、明治期の祭りの記録を探すともっと石見における神楽の様相が見えてくるはずなんだよな。

あれだけでかい真宗がたくさん残ってることもそうだし、花祭地域並の廃仏毀釈の話は聞かないけど、あの辺りの時代の動きは、異様であったはず。

あー腹痛い。マジ痛い

えーとなんだっけな

あ、あと謡曲から来た演目をもっと深めないと。
成立時期を推測するには、祭りの次第を見ないとわからんし、それは今したいわけではないけど。
気になっているのは、間狂言が入る演目。
チャリは、間狂言だと思うんよね。緩衝材。

全国の神楽に見られる、ひょっとこおかめとか、ああいう系、夫婦和合系は、あれは田楽かなんか由来だと思うけど、石見神楽の演目で、ひとつの演目のなかで「話す」チャリについては、間狂言が影響を与えていると思っていて。その検証。

「八十神」は、…あれはよくわからん。難しい
だから、あれだけを徹底的に調べても面白いんじゃないかなって思っていたりします。

単純にオオクニヌシの賛美であるなら、兄まあ弟まあのながーいやり取りは要りませんからね。ベーシックな筋立てでいい。
神が出てきてワーってして、悪い方が出てきてワーってして、ワーワー、立ち合いでワー舞い上げーでいい。

面も、神職の時代、木彫り面の時からあの顔だし。

むむむむむ。

時間と脳みそが足りんなあ。


はらいたー。

本について考えてみた

※注:今日は神楽の話はしません。

ちょーねむい。お疲れぽんなので、備忘録として。

まるでテンプレートのように、昨今の出版事情の難しさについて言われることにたいして、私なりに考えたことなぞ。



著者が著者になるハードルが下がったと同時に、書店で本が売れない、ということは、つまりマッチングの効率が悪いってことなのよね。たぶん。


なんというか、いまって、効率よくてナンボ、目的のものに到達するまでの行程とか、寄り道とか、段階が少なくてナンボ、な気がするのです。

辞書が、電子辞書へ、電子辞書がインターネット検索へと移ったのなんか、象徴的なんじゃないでしょうか。
一発で解を出すには、ネット検索が強い。

でも、塾のとき、子どもに、どうして勉強するときは辞書じゃないとダメっていわれるの?って聞かれたら、辞書は、その文字の周辺にも知識があるからだよと教えていました。思いがけない寄り道で、思いがけない教養というか、知識の幅が広がるからと。辞書や図鑑の面白さはそこにある。
だからほんとは辞書よねー。と、思いつつ。
いまは、なかなか辞書まではいかないけど、大事なときは電子辞書です。ネットではなく。


書店って、いうなれば辞書。
ひとつの言葉、ひとつの書籍にアプローチするまでに、いろんな文字の棚の間をあるいて、キョロキョロして、時々違うものに惹かれて立ち止まったりしながら、ようやくたどり着く。
その時間が、知識になるし、ゆるやかな時間の過ごし方だと思います。

だけれども、いま、書店という辞書のなかに、新旧ジャンル様々な本がたくさんありすぎて、情報がごちゃごちゃ闇鍋のよう。ありすぎて、求めるひとつにたどり着けない。
あるいは、その時間が惜しいというスピード感。せっかちさもある。
物理的に近くの書店で手に入らない、ということもしばしば。

だったら、ネット書店で一発検索、いまいろいろあるけど宅配便で自分の手元まで届けてもらったほうが、圧倒的に効率がよい。

と、いう意味での、書店で本が売れません。日本人の本離れ、となるのでしょう。
まあだからといって、昔のひとがそんなみんながみんな本の虫で本を読んでいたとは思わないんだけどな…需要側が供給より大きかっただろうし。まあそれは余談として。



反面、自分、あるいは身内、知り合いの記録のために、本を作りたい、という本作りの需要は確実に高まっています。
安くはないけど、それでもお金を払って本になるならしたいという。

「遺したい」というニーズが一定数あるということは、市場として成り立つというわけで、でも一般書籍市場としては、書籍の供給過多になって、儲かりませんなという。

やっぱりさー、その著者あるいはその題材を知っているから買う、っていうのが購買動機としてはカタいよねえ。知らないとハードル高いよねえ。
書店では立ち読みして多少吟味できるけど…ネット書店の本の紹介とか、感想とかって当たるときと外れるときの差が激しいというか、ちょっと賭け。

著者は、売って儲けるのがゴールなら、それは自身のスキルと知名度を大いに上げなきゃいけない。
遺し、渡るべき人の手元に渡るのがゴールなら、そういうシステムだと、よりそのチャンスが増えるような気がする。

特に地方出版的には後者の著者でないと現実難しい。
地方だから印刷会社、出版社そのものの知名度が低いのに、そこで誰?みたいな著者が本を出して、利益を出そうと思うのは、どんな宝くじですかというわけで。



話ずれたけど。

だからといって、「自費出版」として、著者が自分の周辺だけに配るに留めるには惜しいものも、たまにある。
丁寧あるいは貴重な研究論考だったり、あるごく一部のひとの琴線に触れうる内容であったり。


書籍のよさは、のこること。
紙は残る。水害や焼失はなんともいえんけど、デジタルデータより残る確率は高いと、私は信じている。
これが反証される時代が来たら、私は職をなくすわ。ふつーに。だから、そう信じていたい。


でもその書籍を、求める読者にきちんとマッチングさせるためには、ビッグデータ的な?もう総括して、一般書籍と自費出版を管理しているようなシステムが理想的だよなあと思ったのであります。

よくある就職サイトみたいなかんじで、チェックボックスで自分の興味のある項目を選択していたら、国内で出版されている本をリサーチかけて、一般と自費両方で、候補が出てきます的な。
周辺で似た感じなのが、サブで出てくると理想。
どうしてもやれないものは図書館だろうなあ…そっちも連動したらサイコー

ただそれだけでは書店は儲からんからなあ。
その本を取り扱っている書店情報、どうしても買いにいけない距離で取り寄せとかになるんだったら、その書店のおすすめ本情報とかも画面上かチラシ的なので見せるとかかなあ。
五回くらい同じ書店だったら、書店招待券的な。なんてそれはどう考えても無理だろ。


自費であれば著者へか、印刷会社へかに問い合わせ。
案外増刷とか、出版物での再出版とかも夢じゃないかもね。中身と資金によっては。
最初の印刷会社が面白くないと、面白くないので、刷るのはそこが優先だけど、出版社がそこでアプローチかけるチャンスもある。


とか。
なんかそういう仕組みになったら面白いだろうなー。
難しいんだろうなー。

しもやけ回復中

しもやけかいかいが無くなってきました。よかったー。
肉祭りでたくさん肉を食べたからかな!
やっぱり鴨肉がおいしかった。


もう25になるし、ってみんなに言われるようになってきたので、じゃー頬紅とやらだけでもしようかしらと思って、たっぷり一年ぶりくらいにチークして会社にいきましたら、初日は気づかれず、二日目は寝坊して忘れ、三日目は、顔赤いけど大丈夫…?と心配されました。

これ、チーク!熱はないです!
いった方もいわれた方もショックを受けた瞬間。

そんなここ数日。

そんな笑えるハプニング以外、胸くそ悪いことが続いたり、もともとのイラつき沸点がアホほど低くなっていたりしていたので、大人しくしていました。


あんまりイライラに任せて書くと、陰口みたいになっていけませんのですが。
自分の過去への反省と教訓も含めて。

無知が頑張ると厄介。

もーこれにつきる。

この場合の無知とは、賛美と批判しかできない状態を指します。知らないがゆえに視野が狭い。
頑張られると、賛美も批判もモリモリ盛り子で、胸焼け胃もたれです。

………生産性無いからやめよう。以上。


もっともっと、勉強しなきゃなあ。
偏ったらだめよねー。
もう一回きちんとしらべて東北の神楽みにいきたいな。
最近痛感しているけど、神楽だけ調べても、それは神楽のほんの一面を見ているだけにすぎなくて、もっと周辺の芸能やら歴史やらも調べないと、結局神楽についてわからない。
神楽は時代と共に、人と共に、変わりつつ生きてきたのですから。

がんばれー!わたしがんばれー!モチベーションあげろー!
やる気スイッチは生まれてこのかた不在のまま、だいたい低空飛行であります。がんばれー。


そうそう、来週のかめのふはお泊まりするか、日帰り二連チャンするか悩み中なのです。むむむ
もう勝手に初日はちゃっかり荷物と一緒に積んでもらう気マンマンなのですが。その交通費抜きで、浜田二往復にかかる体力と金銭的コストと、お泊まりするひたすら金銭的コストでユラユラ揺れ中。
前の日も江の川沿いまで遠征するからちとしんどい。でも泊まったらお財布しんどい。むー。

泊まったら念願のまめだのからあげ丼食べたいんよね……いや泊まらなくても食べそうだけど…じゅるる
ていうか時間わからんことに気づいてしまった。

からあげ丼…字面でよだれ出るわ。

あーあ。