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舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

おおさかにて。

中学の修学旅行ぶりの大阪にて、かめのふ。
さすがに友達が大阪にいなかったら行ってたかわからんけど…行ってよかったとは思ったりして。やー食い倒れたわー。ぷふー

ショートバージョンの「大蛇」二回。なんか、運良く二回とも最前列でした。きゃっ照れちゃう。

場所も広かったし、いろいろいつもの感じと違ったので新鮮。8頭出ててもまだ空間余ってる感じでしたので、狭すぎるのも大変だけど広すぎるのも大変そうだなーと思いつつ、からあげモグモグ。
なんだかホスピタリティ?満載の大蛇さんもおられた。

いつものスサノオが一番自分は見慣れているし好きなんですけれど、今日のスサノオで、いつもバージョンの長さのスサノオを石見で見たら、今日とまた印象は違うんだろうなあ。
何回か見たことはあると思うんですけれども…ううーむ、どうだったかなあ。

やっぱこの舞はこの人じゃなきゃ、とかある舞もあるし、現実問題この人しかやれる人がおられない、というところもあるんですけれど、専有はどうしても時間に限りがあるわけで、舞う人を繋いでいかないとやれませんね。舞だけでなく心も。次がないのは辛い。
見る側の好み問題もプラスアルファであるんですけれど、自分は目とか頭とかリフレッシュする意味も含めて、イレギュラー体制の舞もしっかり見ないとなあと思ったのでした。定番とか安定が好きではあるけど先入観ダメダメね。気を付けましょう。

ふあーねむいなー


時間は超短かったけど、東京とも石見とまた違う雰囲気で興味深かったであります。


別に、そこまでしてえっさほいさ行かなくてもいいんだけれど、まあ他にすることもないし、去年、すごく後悔したから、よほど行けないとき以外は行こうと自分のなかでき決めているのでした。
友達にも、かめやまの神楽とか、お世話になっている皆さんに出会ってもらえて良かったであります。
ありがたやありがたや。

ぐるぐるぐるぐる

同じようなルートをぐるぐるぐるぐる
昨日は大社でおおどちさん「茣蓙舞」「八乙女」を見て、我がオアシス湯谷温泉で療養からの、温泉津でかめのふ。
今日は人を案内して銀山歩いて江津からの温泉津、仁摩。
ぐるぐるぐるぐる。

関東から来たばっかりの人にあわせて銀山一生懸命サカサカ歩いたら、限界を迎えた元関東の人。今日17,000歩だって。疲れすぎてきぼちわるい

万歩計ひさしぶりに見たら、先週の22日もめっちゃ歩いたらしいんですが、何をしていたか本気で思い出せません。私は生きていましたか?
かめのふではなかったと思う。なんだー?


湯谷温泉は、どんな高級な化粧品やらなんか良いらしいサプリやらより、テキメンに肌が回復するのですよ。三回入ったらデキモノ全部きれいになる自信がある。
どうにもあの泉質と温度と人のいなさが肌に合うらしく。電波通じないし。
私が音信不通になったら、おおよそあそこで沈んでいると思います。

もーちっと近いといいんだけどなあ。
遠いからいいのかなあ。
浜田、松江起点だとちとしんどい。



温泉津のかめのふさんは、そんなこんなで一生懸命時間潰したんですけど、やっぱり早く着きすぎて夕飯のお弁当を5時前に食べるという。良い子かよ。
一生懸命のんびりしていたら、監督お兄さんが来られたので、なんとなく合流。……安心してください、皆様のかめのふですよ。

そしたらお父さんとも合流。
お父さんが東京へ行かれると何かが起きるらしい。
ゲラゲラ笑っちゃったけどなんか…大変だあ。
公演も大人数だしやっぱ大変だなあーとしみじみ。

かめのふは外野応援席で全力で応援してキャーキャーする係なので、楽だけれども。帰省にかかる経済事情以外。


とりあえず、日が暮れたらやっぱり寒くて眠かったであります。ねむねむ
基本的に眠いのは春だからかな?もう初夏?

フラフラして近くの愛宕神社に上ってみようかと思ったんですが、カラスが巣を作っているのかジーっと見ていたから止めて、大人しくお宮でうとうと。
あのお宮の上もなんかこわくて夕暮れ時は特に行かれません。

温泉津って、なんか不思議。


で、今日は珍しくひとりぽっちっちで
頼政」「恵比須」「五條橋」「大蛇」

だいたい決まった方が舞われるやつが違う方だと、いい加減さすがにあれなんか違うと思うようになりはしたのですが、それが良いのか悪いのか。
結局人を見ているのでしょうか。
でも人が変われば舞も変わると師匠が言っておられたし。
ううーむ、という難しい心持ち。


頼政」はいろんな見解あると思いますが、史実で見うる頼政の生きざまとか、もやもやしたものとか、ひっくるめると、自分のなかではやっぱりあれが一番しっくりくるなあとあらためて思ったのでした。
それはまあまた折を見て。

えべっさんは何気なく写真撮ったら、照明の具合でめっちゃ影のある怖い神様になってびびった。コトシロヌシか。タイさんはサービス精神?多め。
今更ながら結構個性が出るんですね。
あとなにか言おうと思ったけどスッポ抜けた。

「五條橋」は、アクシデントもあったけど、なんか良かったです。ボキャ貧。弁慶の目が本当の目みたいだった。何て言ったら良いんだろ。

「大蛇」はぎゅうぎゅう。
お嫁ちゃん家族を守る感がやっぱりいい。しんがりのお婆ちゃんの背中に手を添えて送ってから大蛇に向かう感じとか。


ねむたーねむたー。
また思い付いたら書こう。

連休の温泉津は、特に観光客の方が多いからか、どっちかというと東京公演の時の空気感に似てるかもと思ったのでした。そういう意味ではすごくいい。
おじさんたちが、オオオオー!とかすごいなあー!とか歓声上げてるのが、なんか自分の父を思い出させて、ああ父にも早くかめやま見てもらいたいなあと思ったりするのでした。絶対興奮すると思う。そりゃかめのふの父ですから。

神楽のためにリピートする人があの場にどれだけいるか私にはわからないけれど、また石見へ訪れてほしい。かめやまにかぎらず、どうかまた石見神楽を見てほしい。神楽を心に留めてほしい。と、切に切に願うのです。


はあねむい

なんだったかなー

なにかを忘れないように書かないとと思って、結局忘れてしまった。なんだったかなー。あたまがぐちゃっとしてポロポロ落ちてしまう。

今日もバードウォッチングで忙しかった。
私も鳥になりたい。
見るのも食べるのも好き、というとなんか嫌ね。

なんだっけなあ。


どちらかというと、過食・浪費行動に出がちで困ったくんなのですけれど、5分悩んで書籍代に諭吉さん一人召喚してしまいました。うわあああああ
大阪いったりいろんな支払いもあったりするのにどうするだあああ。自動車税いつだああああ

5月はかめのふが少ないのが幸か不幸か…ガソリン代は抑えられるかもしれんけれども。
さみしいー。

夜は反省してキャベツでした。むぐむぐ。
春は野菜がうんまい


ももう在庫売りきりで絶版扱いになりそうな本だったから良かったであります。シリーズでもう二冊はほしいんだけど、さすがにお金ない。
ホームズをジャケ買いしそうになったけどそれも自制。今はヴィクトリア朝より日本なのよ!ホームズはたくさんもってるでしょ!うわあああああ


明日は、いまのところ大社でおおどちさんを見てからゴーゴーウェストしようかと思っているのですが、結構体冷えてるし、体のあちこちにいろいろ出てるし、温泉いきたいなーとも思ったりして悩み中であります。

連休中人多いし、温泉津じゃない温泉がいいなー
川本のいつもの温泉にするか。悩むむむむ

おおどちさんは去年も見てますからね。といってもあんまり覚えてない。人多かったかいな。人多かったら撤退みたいにしようかしら。


おおどちさんは、生まれながらにして氏子組織による神楽だったから、とても特殊ですね。
全国的にも江戸時代からそういう運営している神楽は、珍しいと思います。
あんまりきちんと調べたことがないからわからないけど、神職側にその要因があったのか、農民の気質だったのか、気になりますね。
あるいは、社格というか、お宮そのものに区別があったのか。

出雲国はなにかにつけなんか不思議ですなあ。
お宮も不思議だらけ。

神楽をやるお宮とやらない、なじみのないお宮との違いとか調べても面白そう。


なかなか。
心身と生活が整ってないと勉強や思考もやれないけれど、調べたいことはたくさんだ。

からあげからあげ

からあげ食べたいからあげからあげ。
一番美味しいのはおばあちゃんのからあげ。ときどきめっちゃニンニクが攻撃的だけど美味しい。次は父さんかなー。母さんはからあげを作りません。昔チューリップは作ってくれてた気がするけど気のせいだろうか。
むね肉が一番いいけど、だいたいどんなからあげでも愛してる。
とりさんいつもありがとう。

いたしいときこそ、心にからあげを。

はああー


つまるところ、もうとりあえずいたしいんですけど、今週末からは連休であります。泣いても笑っても連休であります。
お一人様で暇と見せかけて、意外に忙しない。全力で暇つぶすのに忙しい。

とりあえず前半戦は全力で島根。
でも今回も江津止まりかも。いつも江津でキャッチアンドリリースされちゃうのよねえ。浜田の壁は高いぞ。

あと、連休は毎年大社で大社教関連かな?出雲神楽の奉納がありますので、行こうかと目論んどりますのね。
お祭りともまた違う雰囲気なんですけれど、確かお昼挟んで4演目くらい見れるので、結構楽しめるのであります。
去年誰かといった気がするけど誰だったっけ。
記憶喪失ヤバイ。

歴博も行きたいけど混んでいるだろうか。


この前東の亀さんでも見たけど「日本武」と「三韓」が見れたらいいなーと思っとります。一番は「茅の輪」だけど。
そういえば亀さんの「茅の輪」見たことない。

この前見ていて、はじめて気がついたのですが、「日本武」「三奸(亀さんはこの字)」「八重垣」の姫面がそれぞれやっぱり違って、それも小面のマイナーチェンジとかじゃなくて、結構その面のキャラクターにすごくあった表情をしているのですね。
そう思うと、かなりの面を持ってるんだなあって。衣装は似ている気がするけどそこまではわからない。

「日本武」では、平安美人みたいな。そういう意味では小面見たいな感じ。
「三奸」では、眉と鼻筋がスッと通って、少し色も浅黒い、クールビューティー。結構好き。
「八重垣」が一番純朴そう。

所作は女性らしさがあまりないような、でもどこか巫女とかそういった雰囲気があるようなないような、不思議な動きですが、面と採り物が違うとやっぱり違うんだなあと思ったりして。

と、いうのをまた見比べられたらよいなあと思っておるのです。


はああーもう寝よ。

西の亀さん東の亀さん

どっちも亀さん。

急遽連絡あり、今晩はかめおさんちの春季例祭へトコトコ。
ぐー寒かったー
思いがけず薄着でしたのでさぶくて今眠い。ちかれたー

さださんがあんなだから、逆にそのおかげでかめおさんはフリーダムに村のお祭りでいられるのかなあと思ったりします。ゆるゆるな感じがいい。

お父ちゃんにも会えてハッピー
次は秋だな。そろそろ名前と連絡先を伺いたい気もする。逆ナンパ?いやん
お父ちゃんのつくったお蕎麦がまた食べたいなあ。


とりあえずメモ。
多分なにか一演目やって、「日本武」「三奸」「八重垣」。これで3時間くらい?
「悪切り」はしてないみたいな話を誰かしてたかな。「八重垣」で最後スサノオがやるけど、意味合い的には秋のほうが重要度高い気がする。

今日は、場外乱闘を何回もする絶好調さで、人が多いからハッスルしてるっていってた。
まー、そういうもんだよなあ。そこがやっぱりスタート地点だよなあー。


いろいろ頭を整理してからまた書こっと。


お父ちゃんのお蕎麦食べたいなあ。


今週末の西の亀さんまで頑張らなきゃ。

私信と私心

ドキドキはじめての免許更新!わっしょい!
なんと前の写真より若返って、ちとご機嫌。いいカメラですねー。
坊っちゃんとか、かと思いきやおばさんとか、散々失礼なこと言われまくってるけど実はこっちのが若げに見えるのかしら。むむ。どういう髪型がいいのかなー。

頭と言葉をまとめるのがトロすぎて、返信とブログがこなせませんので、ひとまとめにさせていただきたく。こりゃまた失礼。



まず、私と島根の関係的なのを含めていえば、「神楽が好きでIターン」との認識で問題はなく。
最近は特にこれで、イコール 私、という感じが周辺にできつつありますので、ちょっと身バレ警報。

神楽好きが高じて石見へ移住の話は、顕著なのは温泉津の辺りでしょう。言及された某氏を巻き込んで、最近はいろいろと動きもあります。
これの原稿がでたときは、私は就職終わって卒論のフィールドワークの最中。裏話もあるけど裏なので。

懐かしいなー。師匠に、お世話してください!ってお願いしてから本当にいろんな方にお世話になったなー。
ま、いまもだけど。


そういう自己紹介を一般にしていると誤解を生むといったところで、それが「神楽」なのか「石見神楽」なのかの違いなだけで、あながち嘘でもないことだし、誤解されたところで誰が困るのでしょう。誤解した人?私?その他のそういう人?

石見神楽が宣伝として利用する、というのがよくわかりませんが、したければすればよいのだと思います。神楽が宣伝するんじゃなくて、あくまでその周辺の人たちですが。

どうであれ、そういう生き方、好きなものがあるから好きな場所で生きる、それが島根だった、というロールモデルのひとつであればいい。そういった文脈で、私自身は利用されているし、それを許容しています。

少なくとも、ある誰かにとっては、それほどまでに、石見神楽が価値のあるものであることにはかわらない。

あえてこのタイミングで、私は石見神楽より島根ゴーゴーが先、と申し上げた理由は、私という人間を分析なさっているんだと思いますが、違うから違うといったほうが優しいかなと思っただけのことでした。



神楽と女性について。

これが一番いいたかったのですが。
そもそもが、神楽って「男性の」芸能なのですよね。
能楽も同じ。歌舞伎は、もともとは阿国のかぶき踊りに始まって当初の担い手は女性で、それが卑猥だなんだっていって若衆歌舞伎、野郎歌舞伎となっていまに至った経緯があります。白拍子とかもあることを考えるに、「踊り」は女性が主だっていたのかもしれない。日舞とか?
あーでも鹿踊りは男性だったなあ。田楽踊りはどっちが多いんかな。早乙女が女性で囃子は男性?

話ずれた。

能楽や、神楽…全国的にほぼ当てはまると考えられる、芸能は、むかしっから、男性。
だから、「巫女神楽」というのはそれ以外の里神楽と明確に区別されています。

なぜなら、宗教に関わることを、男性が担ってきたから。多分、大陸伝来の儒教とかあの辺りが入ってきて以降でしょう。
現在の日本において、宗教世界のなかで女性が優位なのは、琉球文化圏ではないでしょうか。
ヤマト文化圏では、男性。
巫女だって、巫女よりも神職のほうが上。

話は戻って、多少の例外もあるとしても、宗教者であり芸能の担い手であった修験山伏が、土着の神職となり、中心となって神事と合わせて執り行ってきたものを、明治期に軒並み農民へくだした。
農民というのは、おもに青年たち。

高千穂だったかな?今でこそ炊きだしとか裏方を女性がやって祭りを支えているものの、本来は男性がそういった支度も全てひっくるめてやっていたはず。
あとは、どこだったか、実は土地に根付くといっても昔神楽を見ることができたのは、ある程度寄進?お金を奉じた家の家長のみであった、とかそういうのがあったと思います。

ということは、本来「神楽」という場に女性は不要だったのかもしれない。
大陸伝来の思想が強い時代はなおさらに。


男女が仲良く集って楽しむには、歌垣とか盆踊的なのとか、別の場があったから、神楽はあくまでも神事とか悪魔祓いとかが主目的なので、ほんと、今みたいにみんなで楽しくわいわいは、もっと後世だと思います。江戸末期とかではないかな。


石見神楽に限らず、そしてつい最近に限ったことでもなく、ノボセとか、狂いとかはいる。

花祭には「花狂い」と呼ばれるノボセの女性がおられて、ものっすごく前から花祭の時期には来て、一緒に舞い遊んでおられました。
資料写真とか見てると、かならず写ってるというくらい。あそこまでいくとすごい。
最初は、えーなにあの人ーくらいだったんだろうけど、もうずうっと来られるから、地元の人も、その人がいて当然。一緒に舞っているのを囃したりだとか、自然に受け入れてる感じ。
先生が、あの人はすごいのよって、いってたとおもう。

折に触れて示唆する通り、「石見では」と断定したり限定して論じたりすることは、実は難しい。あらゆる地域で見ることができる事象はそこそこの数あるわけで。
総合的、多角的に、中から外から、見聞き理解して、知り尽くしたときに、はじめて断定ができるんだと思います。

そこまで到達していないものを、知ったふう、あるいは常識であるふうに断定したり、流布したりすることは、結局某大先生とか、先人の困った君たちとなんらかわりありません。

と、思います。


あ、誰に聞いたかな。先生だったかな。
女性の追っかけ、ノボセが増えたのは、社会的要因が少なからずあるのとか、いろいろ要因があるんですよね。社会学的領域に入る感じ。

が、"ちやほや"については、たしかに主語は「メディア」やビジネスとしてみている人でしょう。

まーでも、女の子がいると頑張れる!というのが、神楽以外のところから聞こえてくる声。
そこんところは師匠とかに聞いてみないとわかりませんが。


本音をいえば、逃げるつもりが最初から頭にあるのなら、変に構わなければいいのに。一生懸命生きている神楽にちょっかいかけなければいいのに。と、感じています。



やっぱりすごく時間かかったなあ

鳴いたから

撃たれたね

いただいたコメントがちょっと意図が汲み取れず、まだお返事できてないのですが、いっこ整理がてらに。

わたしの在り方について、どうしてうだうだしてるかといえば、それは単なる自分で自分に定めた決めごとみたいなものをつらつらしてるだけなんですが。


あーねむいわー。、



むかしむかし、恩師が言いました。
ライフワークで調べていくのなら、拠点を持ちなさい。所属すれば見えるものはあるけれど、見えなくなるものもある。
よい距離感を忘れないように。

あるとき、師匠が言いました。(たしか)
あなたはニュートラルでいてください。


ファンといえば、そらファンなんだけれど。
それでも、かめのふ。師匠の弟子。


まあ、かめのふはあだ名だけど。
多分、本名より定着率高い。
今のところ固有名詞なんでしょうか。


わたしにとってかめやまは、
師がいる団体であり
長い長いライフワークの基地でもある。


それにかめやまが受け皿になっていたから、島根三年生になれているといっても過言ではない。
かめやま以外にも就活以来お世話になっている人たくさんだし、そう考えると、師匠以外あんまりよくわからないけど、唯一仕事とかしがらみから切り離された、家みたいな。おかえりーといってくれる場所。

いまさら取り繕いようがないともいう。



私が一番知ってる!なんて、塵ほども思う余地がない。むしろ全然知らない。
どんな約20年だったのか、私は全然知らない。

その前は、特段興味ないから余計に知らない。
昔があっての今といえばそうだけど、ほじくる必要性ない。

ご家族や、いろんなひとが、ずうっと見て応援してこられたんだと思う。そんな人たちもひっくるめて、今のかめやまが好き。

ああ、一番のファン!とも、思わないかな。
なんとなく。ファン、というとね。


一番のかめのふ。

かめのふの名付け親は、お兄さんだけど、
かめのふの師匠は、師匠。時々お父さん。

師匠の言葉をモグモグ咀嚼して、つらつら書き留める。
時々あちこちフラフラと出かけてみては、また師匠の言葉を反芻したり、新しい拾い物をして持って帰ったり。師匠とそれで侃々諤々したり。


拠点があるから安心してフラフラと出かけられる。新しい拾い物をするために、私はかめのふ的ベストな距離感を勝手に追求してるまでのこと。


とりあえずかめやまの皆さんには、ただのファン、というより、かめのふ、と思ってもらえるのが達成目標ではあるけど、結局のところ人がどう呼ぼうが、見ようが、それこそ興味はない。

わたしが、自分がライフワークするために、どう在るべきか。
師匠に話したりしながらつらつら考えているのです。
それだけの話。

自分でもよくわかんないけど。
でもなーんか、好きなアーティストとか、役者さんとかのファンとは違うよなあ。
もっと近いというのはある。

ううーむ。頭が回らんな