舞ひあそぶ

神楽のこととか、備忘録の掃き溜め。

肥の川上のこと。

木次大東加茂のごくごく一部しかまわれていませんけど、案外に外来種っていったらアレなんですが、大和系のお宮がわりとあったのが、よい気付きでありました。
やはり松江出雲(の一部?)が特殊なのか?


主要なお宮の八幡宮率の高さは興味深かったです。
江の川沿いと一緒だ。
でも、わかる限りではホンダワケでしたね。

あと、やっぱりオオクニヌシとかスサノオが多い。オオクニヌシさんはいろんな名前。

若宮もわりとあったなあ。
春日若宮。
……そうか、水の神か。
加茂にも貴船神社があります。

やっぱり水なのか。

貴船神社は、いっそう暗くなったところに御神木っぽいのが聳えていて、暗くてなんとなく怖い感じだったので、離れたところから覗くだけに留めましたが、木の根というには少し高い位置からヌチヌチと鳥居の両足を飲み込んでいました。
なんとも、異様な。写真は撮れなかった。
隣に宮司さんもおられるようで、きれいにはされていたけど、ひとりで黄昏時には行きたくないかな。神楽があるんですけどね。


あとどこだったか、参道としてのびている石畳が拝殿の手前、賽銭箱とかがある場所は拝殿の幅に合わせて広がっているお宮って多いですが、その一歩二歩手前の参道挟んだ両脇に、蟻塚ほどじゃないけど…意図的に白砂を積んでいる何かがあるお宮もありました。
熊手の跡が、明らかにそれを避けてならしてる。

あれはなんなんでしょう。

だいぶん、雨にも打たれて固まっているようだけど、穿たれるほどではなくて、ほぼほぼ完璧な状態で四角錐形。30cm四方くらいかな?塩は円錐だしなあ。
わからん。

お作法がわからんので、そういうのもスタンダードなのかもですが、多分杉に、御神木に回すようなしめ縄を回して、幣数本(それはたまに見た覚えがあるけど)と、木の矢を天に射る向きでくくっているお宮とか。矢は初めて見た気がする。


とか、ちょっとこわげというか…パアアッて明るいお宮はあんまりなかったかなあ。
鎮守の杜がすごい高いというのもある。


石見でどこだったっけ。なんかパアアッてしてるお宮。最近心が汚くてご無沙汰だからな。
大社はダントツ。


佐世のお宮は、ものすんごかったです。

場所も、ものすんごい急な斜面を登った山の上にあるんですが、巨大な奇樹が複数ガン!ガン!と生えてる。立ち枯れ朽ちかけのようにも見えたけど…それでも貴船ほどは暗くない。
あの感じで言うとあれが佐世の木というか…シイ系の木ということになるけど…わかんない。

佐世は、スサノオがオロチ退治のあと、佐世の木の枝で髪挿しをつけて舞い躍り、その葉が落ちた土地といわれていて、その神話にのっとれば、中つ国での神楽の初めの土地みたいな。神楽のそのはじめは岩戸の神遊びだけれども。
一説にオロチの鎮魂の意味合いが~みたいなのを聞いたことがあったような。

だから、行ってみたかった
ちとこわかったけど。
ちなみに佐世も八幡宮

でもその名を冠する神楽は谷ひとつ越えた?別の八幡宮にあるっぽい。そっちは次回へ持ち越し。
年始めに松江で見たとこですね。
そいでもって、激しいが売りっぽい?ふむ。


やっぱり宮つきの神楽のある宮は八幡宮率が高いっぽいなあ。ふむ。
なんでだ?


なお、奥出雲は本当に特殊だとの話をこの前お仕事の立ち話で聞きましたので、それもまた行ってみないとなのですね。
ていうか、数も少ないし、歴史があるのも少ないんよね。
ふしぎだ。

やっぱり五郎の王子

備中神楽の歌ぐらの「五行」少しだけ読みました。頭が回らんけど、めも。


太郎 ククノチ東方木の御祖
二郎 カクツチ南方火の御祖
三郎 カナヤマヒコ西方金の御祖
四郎 ミズハメ北方水の御祖 女(メ)だけど四郎。

漢字が今まで見たことない漢字当てていますが変換面倒だったので省略。

父は万古大王で、イザナキと習合。天地開闢の時始めに世に出でたる"天子"、ということなので、より大陸思想か?しかも、舞殿に出てきちゃう。父自らが分配する。
イザナキと習合しているのは…比婆山あたりが近いから?んな訳ないかな。

でも、始めに言うてるのにイザナキとは。

面かけてるけど、そういえばそれの面ってこの前どこも見かけなかったなあ。


所務わけのじいの所務を、掌務という。
ははーん。どっちが先かわからんな。掌務も言われるとなんとなくわかる気がする。

で、四人にふり分けた時点では、五番目はまだ生まれていなくて、性別不明。男の子だったら埴安の命、女の子だったら埴安ヒメの命って名前付けるんだ!とパパ宣言。
結局、男の子だったらしいので、埴安の命。埴安だけ字が変わらない。他の地域もそう。
やっぱり、五郎の王子。

あーー思ったより長いな。省略。

ほぼほぼ普通の喋り言葉。
逆に台本通りに覚えるの大変そう。

五郎ちゃんが、使いの役回りのカバーもしつつ、なんか最初は仲良くやろうよみたいな雰囲気で、兄たちと話してからの、ちと身元改めるでということで、五行説の理の問答をするのだけど、気が付いたら取っ組み合いのケンカおっぱじめるらしい。

喋り言葉すぎて読むのおっつかんし、方言の単語わからんし。

大筋は変わらんだろうなって感じ。


修者堅牢神というのがでてきて、アメノミナカヌシの代勤やでっていって、ゆるーく仲裁。今度こそ所務わけのじい役。これも半分喋り言葉。半分は改まって話すらしい。

すっ飛ばしたけど、一応うまいこと節分?の配分はできた。土用ではない?

ただ、彼岸にしょ日、まびにこうしん、というのはあまりだけえ、といって骨折り賃として修者がもってった。

まびにこうしん、とは?庚申?真備?


よく読みきれてないけど、スパッときれいに分けられんのかい!という新しい発見。あと餅撒くがなんたら。


ひとりじゃ、なんやよくわからん。


大筋は一緒だけど、全然違った。


神楽歌も全然違った。


実際に見らんとやっぱりわからん。


でも、この五郎の王子を演目化するっていうのが、大事なんだろうな。それがこの中国地方の荒神(大元)神楽、といっていいのか、他の地方も五郎の王子を演目化したものがあるのか。

花祭は、思想そのものに、組み込まれてはいるけど、演目化はされてないはず。少なくとも、極端な話、擬人化はしていない。
東北はどうなんだろうか。
他のところは?

そこだ、そこだ。


調べる時間がほしい

非日常と祭りについて

祭りシーズンだからか、"祭り"とか、"非日常"とかそういったワードをいっしょくたに目にしたり耳にしたりする機会が増えていました。そういえば。

あくまでも、個人的な思いだし、言うことがちょいちょい自分にブーメランでブスブス刺さるのだけれども、"非日常"の"祭り"に行こうよ、っていうのは、ちょっと違う気がするのです。


そもそも"非日常"というのは、自分の行動パターンから外れたときのことを指すわけで、そのなかで出会う新鮮さであったり、いわばカルチャーショックであったり、感動であったり、経験とか場面とかということよね。

確かにそう思えば、祭りは非日常的なことではあるんだけれども、同時に、"祭り"だけで日常から切り取ることができない世界でもあると思うのね。
チョキチョキって。
日常の連続のなかだからこそ、祭りが成立するというか。

頭こんがらがってきたけど。


ある人にとって、自分の行動パターンから外れた場所に出かけたときにはすでに"非日常"になっているわけで、そこにある"祭り"だけが非日常であるわけではない。

ひとは、あるところではよそ者であり、あるところでは地元民であるのと同じで、自分の日常が非日常世界であるひともいれば、自分が非日常世界と感じるところで日常を紡いでいるひとがいる。ある人にとっては日常だし、ある人にとっては非日常。

ただ、その日常の営みを紡いできた人たちがいるから、"祭り"という非日常世界が成立する。

ただ、その祭りですら、長い目で見ればその土地の日常の営みなわけで。


自分自身の"非日常"を求めて、誰かの日常に土足で上がり込んでいる自覚はしていないといけないのかなって。

だからといって"非日常"を感じてる時点で"よそ者"であるというわけではないのよね。それすると、人が泊まりにきてソワソワする自分まで"よそ者"になっちゃうから。



テレビとか、雑誌とかで、どうしておなじ"祭り"でも神楽はあんまり取り上げられないのかな、とか思うんですけどね。

比較的、誰の目からでも"日常"に近く感じられるからなのかな?
"非日常"とやらを追い求める都会人からすれば、もっとガツンと一発ものみたいな、あ、それは違うか。もっとインパクトのある"非日常"感がほしいんでしょうか。

でも、そのガツンとヘビーなやつも、それはそれでその土地にとっては日常だと思うのだけれど。

例えば沖縄とか、確かに祭りも独特だけど、それが"非日常"なのは、沖縄そのものが"非日常"的な存在に感じてる人間だと思う。


私自身、地元のお祭りについては無知なので、いろいろブーメランなのだけれども。
実家のほうは駅というか市街は御輿が出るという話あんまり聞かないのよね。おじいちゃんちのほうは、御輿が出るのだけど。
それも、無知なだけなのだとは思う。

それでもって、御輿ガチャガチャについて興味を引かれるわけでもないので、それもまたブーメランでブスブス。


自分の日常のなかの小さな非日常、ハレの日が、普通に日常にいるとは思うし、それがある人にとってはものすごく非日常であるのかもしれない。


石見沿岸部のひとたちにとって、神楽は日常?非日常?
多分、日常であり、非日常でもある。

あの空気感、いとおしい。

地域のたからもの。


結局またそこに帰結してしまった。


そんなに非日常を求めるんなら、祭りなんかを言い訳にしないで、とるもとりあえずコンクリートジャングル飛び出せばいいんじゃないの?
というのが究極の私見

あんだけ人がいるんよ。

自分がいなくなったところで、かわりはいるんよ。

どれだけ引き留められても、案外何とかなっちゃうもんなのよ。
家族関係ですら、そうなんだから。


日常と非日常をもっと自由に行き来できる生活だって、あるのに。
非日常だって、ちょくちょく頑張ればそのうち日常のひとつになることだってある。それもまた人生。

面が並ぶとこわい

備中のほうはまだまとめていませんでした。
矢掛の薄荷茶がんまい。

映像は結局全然見られなかったんだけど、なんかの宮だか神だかに仕える某が、辻占みたいな実は安倍泰親?とちゃびちゃび話しているシーンだけ見ました。多分見た目の時代考証とかしたらいけんやつ。
……………あ!ということは「玉藻前」かな??
あの演目はスタメンっぽいから。

チャリは、それを見た感じ、ちょっとゆるやかかな。
泰親は畳み掛けるようではあるけど、どこかテンポがゆっくり。サクサクではない。

あっちの神側のビジュアルって、力紙でしたっけ?蛇腹に和紙を折ったやつがはりだしていて、唐冠系に見えますね。ちゃんとは見てないからわからんけども。

ただ、とりあえず大蛇は浜田の蛇胴を使っている気配。エビフライみたいな尻尾だったし。蛇頭はひなしさんに似てるかなとも思ったけど、あれは元々地域に伝わる顔っぽい。動いてるのはまだ見たことないけど
頭も、いわゆるベーシックというか、見慣れたサイズ感の「蛇頭」と、「小蛇」という半分くらい?3/4くらい?のサイズの蛇頭があるみたい。
そっちは、かぶって舞う感じではなさそうかなあ。
どっちかといえば、東北の権現様系っぽい。

自分が見たのは、なんかもう和紙が傷み朽ちかけて造形の細かいところとか色とかわけわからんやつ3体でしたけど、そのうちひとつは、針金で口まわりとか形作っていそうな感じ。補強というより骨っぽかったかなあ



それ以外、美星と文化財センターで見た面、

猿田彦
→わからないけど周辺の祭りを見た感じ、ご神幸の先やらいに獅子と猿田彦が出るっぽいのでそれの面?
赤い天狗面。

足名椎手名椎 字があってるかわからん
奇稲田姫
素戔嗚命
→多分「八岐大蛇」でしょう
スサは、べしみ系の顔に、口の両端にボボボッと剛毛そうなチョビヒゲ。書き込む場合もあるのかな?アゴヒゲはない。

思兼命
天照大神
手力男命
→「岩戸」?あれ、あんまり覚えてないや。それぞれものすごく特徴があるわけではなかったかも
オモイカネは、年齢が不詳っぽいなー。ものすごく老齢でも、壮年でもない。台形の顔の作りに、顔の外周に白鬢。あ、でも調べたら眉も白くて長かった。


建御名方命
→「国譲」?タケミカヅチがいたかわすれたけど、なかったのかなあ。あったかなあ。どの字だったか忘れた。
で、これがすごく典型的な鬼の姿。桃太郎に退治される系のほうね。ギザギザぶっとい眉毛に、金で塗ったでかいギョロ目、角と牙がある。
どーやったってあれは「鬼」だなあ。
出雲の人が鬼と呼ぶのは全部賊面だけど、あれは「鬼が出る」っていわれたら、うん確かにと思う。

大国主命
→大黒面。小振りなちりとり面位のサイズかも。つまり大きい。赤い、帽子?布烏帽子?

恵比須
→ほぼほぼ大黒面と相似。ただ、面のサイズは一回り二回り小振り。黒い帽子?


この2神は飴餅撒く要員でしょうね。
回り神楽、井原では「渡り神楽」で、一度途絶えた地域が復活させたとき、餅撒きを取り入れて、楽しめるようにしたというような記述をちらっと見ました。
あ、たまーに古いおうちで額にはっついて飾られてるのって、この大黒恵比須なのかな。なんでサイズの違う大黒がくっついてるのかなとか思ってたけど。
説明を見ると「国譲」ベースの説明になっているから、タケミナカタと一緒に親子3神で出るのかなあ。


その他謎なメンツ

松尾明神
→顔のパーツが重力に負けた感じというか、下に向かって歪んでる。ちと不気味。酒の神だからなのかな?目の回りにクマみたいな黒いのと、酔いどれみたいな赤い色が入ってる。

室尾明神
→ギョロっとした目が上を向いてる。口は、だらしなくニヤけた感じ。画像検索すると下向いてニヤけてる面が出てくるけど、見たやつは上向いてたと思う。
チャリ系統なんだろうけど、石見神楽面で例えられそうなの思い浮かばない。

稲脊脛命いなせはぎのみこと
→歌舞伎にありそうな感じでギュッと口一文字。唇の中央部分に力が入って、口角のほうはすこし開いてるというか。ちょっと上目遣い。

なんかちょっと調べた感じ、鼻の穴に和紙のこより詰めてるのが出てきた。オオクニヌシに仕える神で、松尾明神と一緒にチャリ…って余計にどんなストーリーなのかわからんな。

もうどんな演目で、どんなキャラクターなのか、まるでわからない。


面はやっぱり場所とか時代によって違うんだろうけど、文化財レベルの面だとこんな感じ。


蛇頭以外、和紙面なのか木彫り面なのかはわかんないけど…あんまり凹凸差はないような感じがしたかな。


なんかね、こわかった。


浜田面作られてる先生の工房の面は、綺麗すぎるくらい作り込まれた面だけど、壁にバーっとかけられていても、あんまりこわいという印象はなかったのね。
でも、美星も文化財センターも、それに比べれば全然数は少ないんだけど、なんかこわかった。何となくこわくて写真撮りたい気分にならなかった。

面をかけられたら多分また雰囲気変わるんだろうけど、ただ陳列されてるときは、なんか嫌だなあ。ってなって、早々に退散したのでありました。


不作で、残念。

スタディツアーもやっぱり人づてに生きた情報を得ないと難しいなあ。
改めて、石見の情報集積力というか、個人の神楽に対する感度の良さもスゴいなっておもったし、存分にスタディツアーをしてくださった師匠と、保護者にありがたいなあ。とおもったのでした。
あれがなかったら、現段階まで行くのにすごい時間かかったとおもう。

あーとどのつまり、結局のところやっぱり、師がいるから、なのだろうし、師がいることに感謝しなさいよってことなのよね。

ロングロングドライビング

道の駅と吉備津神社寄ったり、迷子になったりしながら、昼前到着。

あ、岡山の矢掛というところにいったのです。
そこで備中神楽の切り紙とかの展示と、映像の放映していたからなんですが。映像は眺めていたらお子さまの襲来により一演目分も見られずスゴスゴ退散。

次に、美星。ここにハコモノがあるので、行ってみた。ら、なんかね…見られたのは良いけどううーんって感じ。
近くの産直市みたいなところで、報告書1冊と謎の神楽面マスキングテープをゲット。
結局戦利品はこれだけだったなー。

あと、矢掛で、井原市街での展示のチラシを見つけたので、ダメもとでそれ行ってみた。
市の管轄かな?文化財保護の一環みたいな。

そこでようやく人に出会って、他に情報得られるとことか本とか聞いたんだけれど、?????という反応。
矢掛と美星の話はしてくださったので、事前リサーチも的はずれではなかったんだけれど、予想以上の不作。
しかも矢掛も美星も人がいなかったという。
うーーん祭りの時に行くしかないのかなあ。
まあそれがわかっただけでもよしとしましょうか。

高梁の方へ行くかも悩んだんだけど、そんな感じだったので見切りつけて尾道まで戻って帰ってきましたですよ。
それでも、14時間くらいかな?

高速乗ってからは休憩してないから、ほんとにロングドライブでありました。
しかも地図だけで行ったのね!
迷子にはなったけどちゃんと行きたいとこへは行けた。むふむふ

面についてとか、気付いたことは明日かな。
頭痛いし、眠い。
おやすみなさい。

講習会とかぐら そのに

気になったのは戦中後の石見における神楽。
戦中は奢侈禁止令みたいなやつと、担い手がおらんだったからダメだったけれども、明治維新のときと違って戦後舞が禁止されることはなかったようだとのこと。

このまえ会社で、会議のとき流れで、何でいっときは「浜田県」になるような土地、中央の人間の目があった土地だったの?って質問したときに、あそこが「前線」だったからじゃないの、っていわれたのです。
講師の方の言葉を借りれば、宗教改革の流れ、時代の流れの最前線。

かつ、最前線だったからこそ、多くのものが失われた。資料的なものも含めて。

会社での話がここでなんとなく自分のなかで改めて腑に落ちた。

そして、戦後、今度は広島が前線となった。
だから、いわゆる新舞が生まれたんでしょう。


うーんと、ただ、やっぱり石見における神楽とは、明確に、男の芸能だったんだろうなあと。

というのも、神楽に限定したらどれだけあるかよくわからんけれども、全国的には、今残っている芸能のなかで、戦中「戦勝祈願」という名目で、続けたというものも、わりとある、はず。たしか見かけた記憶がある。

いま例がでないのがもどかしい。

郡上おどりなんかもそうじゃなかったっけ?
あれは女性も踊るからだけど、盆踊りなんかは、供養としていよいよますます踊られたんだったじゃないかしら。
神楽でも、出征できない男子とか、老人とかが担ったような話を聞いたような、聞いてないような。
もどかしい。たった3年でこんなに馬鹿になる。これからもっと馬鹿になっていくんだなあ。


あ、「舞子らぁー」という呼び方→「舞子連中」という団体名っていうのがやけに自分的には面白かったな。言われてみればそのまんま。思いもよらなかった。


まあそれはいいとして。
「神事」プラス「芸能・娯楽」で成り立っていた祭りから、「神事」をとられたら、確かに生きていくためには「芸能・娯楽」としての道しかない。
前線となった土地は、なおさらに。
それでも、「芸能・娯楽」のなかに、きちんと神ごとを残した。隠した。少なくとも私はそう確信している。

邑智郡は山のなか、にくわえてそもそも式年祭が毎年の催行じゃなかったから残ったというのも、ああ確かにと。

4,50年?前は浜田市街でも神がかりしない大元祭があったとおっしゃるけど、今はないのかな?昔は、は聞くけどそういえば今は、って聞いた記憶ないかも。
どうなんかな。いたしいのかな。

師匠の小さい頃もあったと聞いたような聞いてないような。


衣装は、四国のアレ取り入れる前は、歌舞伎の衣装をもとにして、っていわれてたけど、うーんと、多分歌舞伎というか、広義に芝居、踊り、なんじゃないかなーとかも思いましたですよ。

踊りの名手が長浜におられたということは、もとよりそういう文化的土壌があったのだろうし。

それもきっと、交易なんかが関係するのでしょう。


あとは。
公演は増えたが祭りは減った。
必要とされなくなれば衰退する。

ちょうど能の番組を見たので、コピーの話とかもいろいろ自分のなかでルービックキューブみたいにカタカタはまったんだけど、それはまた今度にする。


いずれにせよ、お話を聞いていて、自らがこの土地に身を置いて、仕事や神楽で縦横無尽に出かけて、思うのは。

この地域、石見においては、神楽が衰退しているわけではない。神楽ではなく地域が衰退している。
そしてそれは、東は他人事ではない。笑うな。
地域だけでなく神楽も衰退しているからむしろ悪い。

石見は、神楽が衰退していない。
それは、本当に、宝。至宝。

これを力強く守れるスーパーマンはいない。

一人一人がバットマンかな。
特殊能力はないけど、努力と、鍛練と、わりと手弁当。弱いから強い。




羯鼓
手をポッてするとこ(ボキャ貧)と胴の音が合うのが好き。
なんていうかね、ほんとボキャ貧なんですけどね、神禰宜は一生懸命気難し王子の声と羯鼓の音を聴いているんじゃないかなと思うのですが、なんかふと、あ。胴とりもまた一緒に聴いてるんだな、って思ったのです。

一緒に耳を澄ませてる。

聴けない人は、多分合わないと思う。

多分ね。なんとなくね。


胴だけじゃなくて、みんなが一緒に聴いてる。
ちょうどいい感じ。気持ちいい。

あと、ちょうどいいところに据えられたときのやったあああって感じがすごい、こっちも嬉しくなる。本当にやったあああってしているのかは知らんが。


舞うために生まれてきたと言わしめる安定のクオリティと将来に期待組のうち2人の舞ではありましたけれども。
羯鼓」は、兄弟子さんの舞を見たいなあと思いました。一回くらいは見ているんじゃないかと思うけど…それが生か映像かもわからない。見たいなあ。

話に聞く、兄弟子さんの「羯鼓」。


「切目」は更にレア。
あれも囃子が合っててなんか気持ち良かったー。なにあの快感。
好きだなあ、「切目」。

あ、あと「切目」も若干踊りからとったのかな?って思われる所作があるんですね。「羯鼓」ばかりに気をとられていましたが。

禰宜はどこかチャーミングに、一生懸命王子のお気に召す場所に羯鼓を据えようと奮闘するけど、あとから出てくる介添はなんかツンとしていて、そのテンションの対比も面白い。

広島県境も、そうよね。女だけど。なんだかそれまでと空気感とか、テンションが変わる。
神が現れたぞ、って感じ。

王子は多分本当に気難し屋だけど、きっと神禰宜のキャラはイラつきながら嫌いじゃないと思う。律儀にそこじゃない!っていうくらいなんだし。


でもなぜ、この演目を、演目にしようとしたのか。
神楽歌での重要な神の勧請というのは、そういえばこの地域ってあんまり無さそうだから、人格化する必要があったのだろうか。
でも、なんでそこまでしてこの神を呼びたかったのか。祭りに組み込みたかったのか。
偉業を讃える訳でもない。武勇神でもないし。

ただ問答をし、羯鼓を激しく打ち鳴らす。
いくらてんてんどうどう鳴らすったって勢いよすぎやろ。

それで、切目は若王子?だから、本当にちょうどよい。あの勢い、激しさ、エネルギー。
禰宜は、実は静。
王子は、動。
それであの2人だと、なんだかしっくりくる。


続きだったらあの2人だけど、「羯鼓」だけだったら兄弟子さんの見てみたいなー。



まあ、頑張って行って良かったです。

講習会とかぐら そのいち

講習会は、安定のお二人が講師でした。

長浜面のセンセーのお話を聞いていて、やっぱり、きちんと学ぶなら石見焼のほう、作陶の歴史の方まで掘り起こさんといけんなあと改めて実感。
そこでの繁栄が、長浜人形、そして長浜面に繋がるんだなあって。1300年代ってことは、神楽の草創期にも繋がりそうよね。
あと、これはまだわからんけど、大麻山あたりも注意深く見ないといけない。これはめも。

あと、長浜人形師が面を作っていた時代から芸北・山口のほうからも面を求めに来たとのこと。
多分お若い頃は、まだ長浜人形師もおられたんじゃないかと思うけど…でも、ともあれ、気風とか交易の動きとかも見えるね。

ずうっと前から伺っていることもたくさんであったけれど、今だからこそ「長浜面」であることを強調しなければという思いとか、もう自分は意識していてもついていけない部分が出てきたとか、今まで聞き逃してきたのか、そもそもなかったのか、そういう思いや言葉が刺さって、なんだか年を重ねることの切なさも感じてしまった。

私は、おっしゃっていることの意味について多少なりわかる気でいるけれども、しかしながら、やっぱりその土地で、時代の流れに身を浸し、人と相対しているからこその思いとか、感じておられることは、こちらの想像を遥かに超えているんだろうなあとも思うのです。

聞きなれた中に、新鮮さがいつでもいる。
それが「口伝」でもあるのだと思う。
だから、本当は、何度だって同じことを聞いていたいと思う。億劫なときもそりゃあるけれども。それでも。耳を引っ張ってでも聞かせてほしい。本当は。

あとは、飾り面の需要が減っている話とか。難しい。
私も飾り面は買えないのでかわりにカレンダーの鍾馗を額にいれて飾っている。ううーむ。むむむむむ
いい風習、文化だと思うんだけども。
難しいね。

よく言っておられることだけど、行きすぎると頭叩かれる。行かなすぎると衰退する。という言葉を、聞くたびにもごもごと咀嚼する。

分かっていて行きすぎるのか。分かっていて行かなすぎるのか。分かっていないのか。


長くなったので分けることにした。まずいったんおわり。