舞ひあそぶ

神楽のこととか、備忘録の掃き溜め。

二項対立

今のうちに、ちょっぴりカゲキな発言はしておこう。

 

いろいろな人がいるわけです。

一言で神楽といっても、その言葉からイメージするものは皆それぞれで、特に神楽どころともなれば、もうmy神楽論もあればmy favorite神楽団体も当然ありましょう。

 

まあ、それでいいんですよ。ええ。

 

でも島根にいると、出雲神楽/石見神楽、里神楽/神職神楽、大元神楽/石見神楽(こいつが謎だ)、六調子神楽/八調子神楽、の二項対立での持論展開がまあ多い多い。

最近は広島/石見も増えてきたといってもよいのでしょうか。

自分のいる方が正義。向こうは邪道。

案外その根拠も薄っぺらだったりするのにね。

そんなに相手をけちょんけちょんに言いたいんなら、受け売りじゃなくて自分の目でもっとよくみてもっとちゃんと相手を知りなさいよ、とかよそ者は思っちゃったりして。

そもそもみんな違ってみんないいってかねこさんも言ってただろ!

 

たどってきた歴史も、根をおろした土地も、育んできた人々も、それぞれ違うんだから、いろいろ細々と違う神楽が人口の割りにやたらあるのだし、どれかひとつだけが本物で優れてるわけではないと思うわけで。

 

なんと、逆にどれだけ数を見てても、ベンキョーされてるらしくても、ちょっととんちんかんな人もおられるようですけどね。びっくりですね。

 

なんなんだろうなあ~

不思議だよなあ~

 

ただ、この前会社で「人は定番を求める」という話がふっと出てきて、あーなるほどなあと。

ドリフターズの定番のオチをお茶の間では求めているから、変わったことすると、ウケるどころかブーイングだったって。

 

神楽での定番って、よくわからないけど、きっと記憶の中の神楽なのでしょう。子どもの時に見ていたあの秋祭り…とか。

それが、時代と共に変わったように思えるから、あーだこーだ言いたくなっちゃうんでしょうね。

定番が定番でなくなってしまったから。

 

ドリフターズとテレビとお茶の間

神楽とお祭りと氏子

似たような感じだったのかな。

 

今は発信者もメディアも受信者も細分化。多様化?

強烈な定番は消えてしまった。

神楽はどうなんだろう。

舞う人間も心根がいろいろ、見られる機会もいろいろ、見る人間も思惑がいろいろ…になったのかな。

 

あー難しくなっちゃった。

 

・・・・・

 

追記。

 

そうそう、それで何が言いたかったかといえば、自分の好みで語ってくれる分には皆さんと楽しくお話しできるのよね。多分。きっと。恐らく。

自分はあそこの神楽がええなーとおもうんよーだから行くんよー、で、いいじゃない。

好きなもんは好きなんだもん。

合わないもんはどうしたって合わない。

 

ということで、調べもの以外の神楽論はI think..なのを忘れないようにしながら多いに語るつもりであります。