舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

鴨肉も焼けば焼鳥。

昨日の肉祭りにおける最大の発見。

あとらとちゃんは変なところから毛が生えている。毛?糸?螺灯の芯。

 

こども美術館の面は、なんか興味深かった。

やっぱり、自分好みのお顔があるのよね。知り合いとぶっさいくーとかひげもじゃーとか言いながら見られて楽しかったです。

あと思ったよりかめのふレーダーが鍛えられていたことがわかった次第。

ま、そもそも顔の好みがちょうどあっていたのかもですけど、自分は見慣れているので能面みたいなお顔が好き。

 

能面って、のっぺりぼんやりな表情だけれど、緻密に計算されていて美しい。

 

美人な小面は、上瞼が重くて下唇が少しだけ出ていて、でも受け口じゃない。

小さな唇と口の開き方も絶妙で、下を向けば目に影がかかり悲しそうな表情に、上を向けば口角が上がって晴れやかな表情に。

自分も顔のパーツが当てはまるはずなんだが、なんだか残念で、大変残念です。

 

でもでも。

好みの顔も、好みじゃない顔も、それぞれその地域の木彫り面とか昔の面から来る伝統的な顔なんだとしたら、全部愛おしい。

その造形にはなんかしらの、その土地に生きた人たちの意向があったわけなので。

こんな顔した人が近くにいたのかなーとか、こういう感情を表現したかったのかなーとか。人間の裏を何とか表現しようとしてみたのかなとか。おばさん顔の面とか。あーこんな人いるいる、って。

能面が見本だったかもしれないけど、能面のコピーじゃない、というのが面白いですよね。

 

かめのふしていると、なんかそっちじゃなくてこっち見るべし!みたいなありがたーい御説法を賜るときもあるのですけれど。

面と一緒で、ま、好みですよね。

神楽というわけのわからんものが好きなので、あちこちふらふらっと見てはみるけど、ただいまーって言いたくなっておかえりーって言ってくれるのが亀山。ああ、ありがたや。

いつ浜田に帰ってきたの?って聞いてもらえるようになってちょっとうれしい。

帰るじゃなくて行ってるんだけど、なんかうれしい。どんだけ帰るとこあんねん。

 

伝統を背負っていると、忠実に守り伝えなければいけないものがたくさんある。多分、時代を重ねるほど、増えていく。

自分は根無し草なもんで、よくわからないけど…なにか、その枠組みから顔を出して挑戦してみようと思ったら、一歩飛び出してみないといけないのかも。飛び出したらすごく辛くて苦しいだろうけど、中でぐちゃぐちゃされるよりはよほど、お互いにいいんだろうなっておもう。あ、でも団体生活って、何事もそうなのかもなあ。

それでも助けられながら、でもしっかりと立てる背骨、あるいは人柄が必要で。

神楽を伝える人たちにとって背骨はきっと社中理念なのだろうなあ。

人柄は先人や代表の思いとか。

演出は、きっと服くらいのポジション。

一番上っかわだから、あれこれオシャレできるけど、同時にそれで印象が決まる。

 

たまに服は、それあなたとおデートしたくないわ、という時があるかもしれないけれど、でもねカレはいい人なのよ…というかんじ。

 

服がオシャレでもイケメンでも中身がクソヤローならお断りよ。

まあ、もともとイケメンより悪役顔のほうが好きなんだけどね。

あれ、なんか脱線した。

自分で書いててなんかおもしろくなっちゃったよ。ほら、日本人って擬人化得意だからね。

 

えーと。

 

やっぱり、その人となりは実際に会って話さないとわからないし、人見知りだとしつこく付き纏わないと余計にわかんないし。

そういう気持ちで、あちこちフラフラしているわけです。

たまにね、ある日突然性格が豹変する人もおられますから。何があってもかめのふは不変です!とは言いませんけれど、神楽を愛する一人として、神楽でありつつ舞の可能性を広げようとするその挑戦を、隅っこのほうから手に汗握って見ていたい、というのがかめのふの本音。

 

自分でも悩むときがあるかもしれないから、書いておきますよっと。