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舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

じーえいちきゅー

今年に入ってかめのふも少々思うところありなのだけれども、最近中高生三人組の成長目覚ましくムホッとして、いろいろしゃべくりたいところではありつつ、広島の内陸部?における新舞と旧舞への私的解釈feat.師匠。

はてさて、ふぃーちゃりんぐの使い方はこれで合っているのだろうか。よくわかんないや。

 

まだまだ不勉強というか、未消化というか、ぶつくさいうというよりも今まで師匠に教わって消化できたところまでのまとめ。そもそも広島とかどこになにがあるかもよくわかっていないのがいけんのだ。

 

今の安芸高田市美土里町出身の佐々木順三氏が、謡曲とかを参考にしながら台本を改訂したのがそもそもの高田舞の誕生ということでいいのかな?

佐々木氏は国語の先生?と聞いておりますが、そういえば同姓同名の神学者もおられますね。

それで、えーと、上に羽須美あたりがあるはずだから、多分ベースの台本は六調子よね。

手元の資料だと、なんだかそのあたりって、かつては地元の神楽が伝わっていて…というよりも昔から邑智郡の人たちに神楽を習っていたみたい。だから農民が舞う文化は案外島根より長い。島根で神職が神楽をやっていた頃から農民が習い覚えて舞っているから。大土地なんかはほんと特殊。

 

なんでわざわざ改訂なんかしたのかといえば、石見神楽を見ていると天皇や神の功績を讃える演目がおおいけど、それが広島ではGHQの検閲にひっかかっちゃった。神楽ピーンチ!

天皇制は廃止せずとも、やっぱりナーバスになる時代だったのだなあ。

 

改革が起きる時って、外的要因がほとんど、ってほんとなんだなあと思います。

八調子もそう。高田舞もそう。

改革自体は悪いものとか憎いものとかではなくて、なんとかして生きていきたい繋いでいきたいという神楽の叫び。

 

で、だいたい生きるために改革をせざるをえないのは、中央の目が触れる地域。

中央の目から遠ければ遠いほど、なんとかやり過ごせちゃう。

 

花祭もね、集落の入口、街道に近い地域は修験色をできる限り捨てたんですよね。たしか。五行に対応する色を全て真っ白にした。

花祭というものを残すために、繋ぐために、全員が頑なだと守れない時があるんですね。

誰かが時代の流れに合わせて形を変えなきゃ生きていかれない。

盆踊りとかも、そうですから。

 

えーと、それで?

 

新舞という名前は、その時はまだなかったのよね?

安芸高田市は、高宮町、美土里町、吉田町?あれよね、松江尾道線で行くほう。

頼光シリーズが好きなのはその辺りの地域ということなのかな。

 

で、逆に浜田道で行くほうが安芸太田町ってこと?あれ、千代田とか北広島に行っちゃうか。

あ、波佐あたりから伝わったのってもしかして安芸太田のほう?

加計町、芸北町、戸河内町、筒賀村。

北広島はその真ん中なんですね。む、むずかしー

 

一日でいろんなものを見られれば、これ新舞かも旧舞かもってわかるんだけど、実はいまだにあんまりよくわかんないのよね。でも、あ、おもしろーいってなるのは旧舞が多いかもしれない。

よくわかんないけど。

 

それでそれで、結構早いうちに競演大会って生まれたんですよね。それがすごいと思う。

あんまり島根では生まれてこなさそうなアイデアよね。

あ、でも確か美土里町とか、安芸高田のなかでも県境のほうじゃなかったっけ。

最初のうちはみんな仲良く競ってたけど、だんだん賞を持っていく地域とか舞が決まってきちゃって、じゃあ分けるかーということで生まれたのが「新舞」「旧舞」という言葉と分類、という理解でいいんでしょうか。

 

石見神楽は輸出したほうなので全部旧舞。

八調子だろうが六調子だろうが旧舞。

 

もーややこしいっちゅーねん

 

私のしょーもない疑問なのですけれどどこの地域なのか、いつからそうなのか、全くわからんのですが、なんかたまに見ると、袖がプレスリーなんよね。なんで?なんでプレスリー?

あの袖が気になりすぎて集中できない。