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舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

たまには女子女子したーい

 かわいーものみてウホッてしたいし、しゃれおつなカフェで茶しばいたりあまーいすうぃーつを食したりしたい。したいんだよ!たまにはラーメンとかコンビニとか食堂じゃないとこがいいんだ!!という発作。

ちなみに読み方はおなごおなご。

 …またアホみたいなこと言ってますよっと。

 

でも来週かわいい後輩が遊びに来るので存分におなごおなごする予定。うほほっ

お一人様じゃ行かれないようなとこに行くんだ~

 

ペンギンを見に浜田まで行っちゃうよ!

かめのふしたいけど神楽がないよ!

 

来月は東京公演がありますが、師匠のお話を聞いていると本当にそうだよなあと思うことがあって。まあいつもそうだよなあと思うから師匠に押しかけ弟子入りをしたわけだが。

社中がまだ若いからって師匠の考え方が若いとかそういうんじゃないんだけど!と思うわたし。

いつも一番知りたいことを一番知っていて教えてくれるのが師匠なわけですから。

歳食っててもとんちんかんな答えしかかえってこない人もいるもんね。

 

ぶつくさぶつくさ。

 

で、結局県外公演をする意義って、石見に、浜田に本物を見に来てね!というところなのよね。

だから、いつも舞うように舞っていればいいわけでもなくて。

あくまでも営業用。でもだからこそ、口上に詰まるとか手を抜くとかは論外。

 

うーん…語弊はあるかもだけれど、すこしだけ挑戦した演出でも、いいとは思うの。

だがセンスがいいものに限る。

 

大衆演劇にしろ、ということじゃないよ。

 

前回の東京公演でめっちゃうおお!ってなったし、周りの反応も抜群だったのは、鵺が最後いられた瞬間に血がバッと吹き出る演出。

あのライティングのタイミングといい使い方といい、感動した!

でもあれをお宮でやるなんてもってのほかだしというかできないし、石央文化ホールでもちょっとビミョーかなあ。なんか違う。

出雲でやったら別の意味でまずそうだなあ。もう先入観あるから。

 

…ということ。

 

営業用だからこそ、ライトとかを有効活用してもいいんだと思う。

「有効」が重要ね。「過剰」でも「無闇に」でもないからね。

ちゃちな背景使うのは一番最悪。

 

能と一緒でその土地土地で見る神楽も、「約束を楽しむ芸能」なんですよね。

ベースの物語をだいたい知っていて、ストーリーの起伏というか…起承転結を知ってて、周りの風景や面の表情を脳内補完しながら楽しむ芸能。みんな下地があるから、げらげら笑うところもチャチャ入れていいところも押さえてる。

拍手の部分も多分押さえてるから、普段の神楽とツアー神楽の時では拍手のポイントがズレてたりするんだろうな。

ツアーの皆様が、本当にうわあ!っていう瞬間に拍手をしてるから、なんかうれしくなってニコニコしちゃう。その場にいてこしょばゆくなるけどうれしい。でも地元の人たちがほんとうに心から拍手をしていたときもすごくうれしい

はい、こんなだけど身内じゃないですよ。

 

県外公演で主なターゲットは、島根出身者、石見出身者もウェイトがあるかもしれないけど、だいたいは伝統芸能や郷土芸能に興味ある人たち。郷土芸能に興味ある人はわざわざ地域まで見にでかける人も多いですからね、経験者は語る。

 

でも、下地がないし、ツアーの時みたいにじっくり演目紹介できないこともあるからというかトイレだなんだで聞いてない人も多いから、もっと噛み砕く必要があるわけですよね。

はい、これからなんか出てきますよーここびっくりするところですよーみたいな。

はい、ここ血が出てますよーみたいな。

 

そのために舞台装置をうまく使うのは、いいんじゃないかなあ~と思うんですけど、どうなんでしょうね。

 

それで、いやーやれんわーっていう人は無理して来なくていいんじゃない。

 

なんでかといえば、営業用の演出をしても「神楽」であること。神を思い、人を楽しませたいという思いで舞うこと。地域に根付くものに誇りを持って舞うこと。でも挑戦すること。

神楽のちょっと頑固だけどしなやかでやわらかな強さがそこにはあるから。

 

神楽ってこんな挑戦もできるんだ!こんな神楽もあるんだ!っていう人に本物を見てもらいたいな。

 

だがすべてはセンスがいいものに限る。