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舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

ステルス虫

江の川覗いたらステルス虫に刺された。

ブトブトっていわれてなんだろうと思ってたけど、ブト=ブヨなのね。はじめて知った。

うおおおおおいてええええ

かゆいより痛い。熱持ってるから冷やしたいのだけど、冷えピタ貼ったら悪化するだろうから、ひたすら根性で耐える。どうせ氷嚢買っても氷がないしね。

明日は腫れがひいて歩けるといいのだけれど。

高校のときに八ヶ岳でめっちゃ刺されたときは水が出たのだけれど、今回は出てない…違う虫なのかな?

やだやだ。

足が五本以上ある生き物はちょっと嫌です。

最近仕事の関係とかもあり、江の川沿いの神楽についてまとめてみて、ついに昨日は美郷のあたりの神楽を見てみて、なんとなく感じておりまするのが、どうにもやっぱり浜田の神楽とは別物の神楽がもともと存在していたのではあるまいかということでして。

大元信仰は石見一円に広がっていて、神憑りをともなう式年祭も少なくとも那賀郡には確実に存在していた。

でもそれと、大元神楽が石見神楽のルーツだなんだとは話がまた別なのよねー

今の大元神楽の祭式は、土地柄うっかり残っちゃった説を支持します。

江の川沿いは、なんかね、なんか違うんよね。

そもそも大元神楽とか、あのあたりの神楽がもしルーツだったら、そもそもなんで阿須那と矢上では舞や楽とかが違うんですかという。邑智郡のなかで分裂しとるやないかい。

気質もちょっと違うのかな?どうなのかな?

それでまた、それぞれが伝わった安芸高田辺りと安芸太田辺りでは舞がまた違うんですもんねえ。

広島はほんとよくわからないですけど。

邑智郡のなかでも明らかに違うのに、浜田界隈で生まれ育まれた神楽が、どうして、邑智郡のしかも遠い方の地域と根っこは同じだと言えましょうか。せめて矢上のほうが近いのではないでしょうか。

だから、こんなことをいったら怒られるかもしれませんが、『校訂 石見神楽台本』の六調子台本は参考になりはすれど、あれがベースで八調子の台本が作られたと思うのは視野を狭める気がしています。

あくまでもパーツのひとつでしかない。

「一書曰く、」ってやつ。

那賀郡、特に旧浜田市地域から六調子台本が出てきたらいいんですけどね。どこいっちゃったんでしょうね。

足がやっぱり痛いからもう寝ます。

また何か言いたくなったら追記予定。

あ、そういえばやっぱり袖がプレスリーだった。