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舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

大きな声の独り言

独り言ですよ。独り言。


なんで、あんなセンスのひと欠片もないセレクトしかできなくて、たいして一日見るほどの魅力も面白味もないものに、わざわざお金を払うかと言えば、神楽を舞う機会が失われないため。

興行成績が悪ければすぐに切られてしまいかねない。
大盛況にしたけりゃ、もうちっと考えろよとも思うんだけどね。もしかして担当はあんまり神楽を見たことない人なのかな。
よくわからないけど。

島根は、特に石見地域は、神楽をお宮以外でも見る機会がやたらめったら多いけれど、それって実は全国的に見て珍しいことだし、だからこそたくさんの団体がある程度の数の演目を舞える環境になっているのだと思うんです。

見てもらう機会が少なくなれば、舞われる演目は限られてくる。そして、いつかは舞える団体も減る。
それで人口が減っていけば当然、もっと減る。演目も神楽を舞う人も団体も。

そうやって失われていった神楽はどれだけあるんだろう。


フィールドが岩手だったので東北地方というより岩手からしかいえないけど、あそこも神楽どころ。普通に100は越える団体がある。島根と同じ。

岩手では、生きるために神楽が根付いた。
誇大表現じゃないよ。
歴史的に見てそう言うしかない。

でも、あの土地で10演目以上舞える団体はどれ程あるんだろう。
舞う機会が少ないから。見てもらう機会がないから。


岩手のある市では、戦後神楽を含む民俗芸能保持団体がほぼ0になった。それが、町をあげての民俗芸能イベントが生まれたことで、見てもらう機会が増え、またよそから来た人たちからダイレクトな反応を見られるようになった。そうしたら、復活したんですよね。神楽団体も、ほかの民俗芸能保持団体も。
今はたしか戦前存在していたの団体のほぼほぼすべてが復活したんじゃなかったかな。
獅子頭が失われずに伝わっていたのと、権現舞が一番観光客にウケるから、それしか舞えないところも多いけど、それでもなんとか、生きている。


そこはなんとか、どうにかこうにか、成功した例なのだけれど、だいたいは消えていく一方でしょう。

自分は舞わないからわからないけれど…やっぱり、よそ者からわーかっこいい!!ってたまには言ってもらわないと、自分達の文化に誇りを持てない、意義を見いだせない、というのもあるんじゃないかなあ。特に若い世代は。
文化財に指定されたから保持するために舞う、義務感でやらされる、みたいなところもあるのよね。若い子がつまんなそーな顔してる。


だから、イベントや舞台で舞う神楽は邪道!エンターテイメント!ショー化!って言う人がいたとしても、それでも、確実にイベントや舞台はそれなりの機能を持っているんです。頭ごなしに否定できない。

お宮でのお祭りとは違う役割を持っているんですね。

お宮とイベントごとを、どうやってバランスとるかとか、どちらかに重きをおいてしまうかとかは、団体に一任されてしまうところが、難しいところだけれど。


これから、機会がなければ、失われる一方。


いまの、だいたいの団体が台本にあるだいたいの演目を舞えるし、創作演目もあるよ、というのは結構珍しくて恵まれてるんだと思う。
それだけの演目を使い分けて舞う機会もたくさんあるし。なにより、舞う人たちが楽しそう。

人口が減るから、今後全体としては縮小の一途を辿るのだとしても、失ってほしくないものがあるから、神楽を舞う機会が失われてはいけないから、お金を払って行きます。
リアルに神楽ビンボーだけど、たった一人がお金を払うことをやめて、行くこともやめたら、それが衰退の一因になりうるからやめる気はない。

のですよ。

まあ、亀山がでなくてああいう具合のラインナップだったら、ちょっと行くのはかなーーーーり悩むんですけどね。
もうちょっとなんか………ねえ。



ところで話は全然変わるけど、たまに文中の文字が大きくなってるのはいったいなんなんでしょう。