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舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

おわりたい東京公演雑感

感想書くの、下手だから、早く終わらせたいけど書き足りなかったことをすこしだけ。


前の東京公演から、三年。
つまり、私が亀山社中を見るようになって三年。
誰になんと言われようと、揺るがなかった三年。

なんで?

なんでなんだろう。

わからんけど。


ただ、夜の部の「神武」を見ながら、ああ大きくなったなあとか近所のおばさんみたいな感慨をうけちゃったですよ。

三年前がどうだったか覚えてないけど、小さくて、華奢で、重たい衣装が着られなくて軽装備だった子たちが立派に装束を身にまとって、爆発しそうな力強さで舞を舞うすがたを眺めていられる。
私は、社中立ち上げの辛い時期を全く知らないけど、次世代の成長を眺めていられる。

若さ大爆発な舞って、若い人の特権よね!
いつまでも爆発していたら、そりゃむしろ暴発。

若い人は若い人らしい舞だし、としを経るにつれ同じ舞でも深みが増していく。

その積もっていく地層を眺めていられるのは、やっぱり東京から通うのでは無理だし、基点のないミーハーしているだけでも無理なのかな。


亀山だけを見ていくつもりは、毛頭なくて、これからもふらふらふらふら出かけます。でも、やっぱり帰るところは亀山。

なんか思ったより社中の人との距離感は縮まってない感はムンムンにあるんだけど、まあふらふらしやすいからいいか。
師匠は近くにいるし。うんうん。みんな師匠がこわいんだなーとかいっちゃったりして。


神楽を見ながらこんな感じですごいあちこちに思考が派生するのですけど、とにかく、一日コテコテの舞台神楽を見ながら、ひとまず三年の区切りで原点回帰したような、でもやっぱり見る方も舞う方も舞台と奉納のバランスが大事よねとか思いつつの東京公演でございました。

来年も同じように感じるか、違うように感じるかは私にもわからないけど、来年もきっと行くでしょう。初心に帰るために。


ただね、前回みたいに目と耳と心だけにはなりきれなかった。
溶けたと思いきやすぐ引き戻される感じで。
それがちょっぴり心残り。
だから席は自分で選びたかったなあ。
とか、ゴニョゴニョ。


ゼミの先生に、実際にその土地に腰を据えなければ見えないこともたくさんあるのよ、と言われて島根へ来たけれど、本当にそうだなあと住んで丸一年たって感じると同時に、今回の東京公演で、たまには外に出て視野の調整も継続していくためには必要なんだなあということも気づきましたのです。

でも東京くさいし人間に轢かれるし、というかアホみたいに人間多いし、たまーのたまにでいいや。