舞ひあそぶ

神楽のこととか、備忘録の掃き溜め。

鬼か神か違うのか同じなのか

神能で書き忘れたことがあって、ふと思い出すんだけどすぐ忘れてなんだったかわかんない。ようは、結局忘れて書けない。

なんで、出雲界隈では、三韓も国つ神も番内さん顔なんだろう。

スサノオはやっぱり中間。

天つ神と天皇家は能面の顔。

三韓は鬼か神か。
国つ神は、鬼に近いのか?


なにか、理由があるんだよなあ。なんだろうなあ。
前にちょっと考えたことは書いた気はするんですけど。
なーんか、縄文人弥生人って感じ。顔の違いが。

そういえば、神能では「三韓」でしたが、海潮神楽は「国譲」がたしかデカ面なんじゃなかったかなあ。
一回だけ遠くから見たきりだけれど…思い返せばかなり内容は「三韓」に似ていたような…三人だったし…なんなんだ?

あ、神能の神功皇后はキリッと凛々しい美人さんでした。



あ!思い出した!


神能を見ていて思ったのが、最後の喜びの舞のところが「悪切り」の所作にすごくよく似ているなって思ったんですっていいたかったのであります。

「山神祭」は、オオヤマツミが榊を渡す代わりに預かった剣で悪切りをして、地上から高天原の岩戸が開かれることを祈るという意味合いがあるのですけれど、「三韓」の田村麻呂も、スサノオも一番最後似たような動きをしていた気がします。
所作は、ほんとわからんですので、なんとなく感じるだけなのですが。
所作を重点的に見ようとするとなんか疲れるしダメ。
ただ、なんとなーく喜びの舞とは違う気がする。

悪切りは、邪をはらうためのもの。修験の影響なんだろうとは思いますが、なぜ演目の最後で、念には念を入れて邪を追い払わなければならないんだろう

だとすると、もし、本当にストレートに出雲から石見へ伝播していったのなら、石見の舞も最後は悪切りだったってことよね。
少なくとも八調子の美意識はそれをよしとしなかった。
もしくは悪切りの所作を喜びの舞にうまいこと組み込んだのか。

うーん…やっぱり他の地域の神楽も見ないとだ。

見れば見るほど深すぎて、余計にわからなくなっていくようです。