舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

むむむむむずかしい

昼前までたっぷりと眠り、洗濯機をまわし、食事をとり、掃除機もかけてあとは寝るだけ!の体制で車屋さんに乗り込んだ。お向かいさんだけど。
実は私の年齢の半分以上は頑張っておられたことが発覚。
うおお本当に老体に鞭を打っていた…
なんだか行動時間のほとんどを車屋さんで過ごした気分な一日だったのでした。あーあ。

車屋さんにまでなんで島根?といわれて、か、かかか神楽が好きで…って言ったら、毎回トラブルのあるときに浜田へいってる理由がわかったらしい。
というか、毎回浜田に行こうとするときにトラブルに見まわれているんですよね。なんなんですかね。


あーあ。


これから緊縮財政だー


ふとおもいたって師匠に儀式舞の話を聞いてみたのです。
書いていいかわからないから、今日は書きませんけれども。

師匠に、大学生の頃いただいた『校訂 石見神楽台本』。
当初はそれを見い見い神楽を見てストーリーを追ったりしておりましたのです。なにいってるか聞き取れなかったりもしますので。
でも案外台本に沿ってなくて迷子になったりして。


で、最近になってまたよんでみますと、ものすごーーーく詞章が深すぎて戸惑う。

これは、いくら神職が文字におこしたところで、字が読めなかったり真意がわからなかったり口伝だったりしたら、やっぱり詞章が崩れてしまうだろうなって。
胴とりが一番大変だったろうな。
あと長口上の舞とか。
もう寝る体制のため具体例が出てきませんで申し訳ないですが。

「恵比須」が恵比須の一人舞で定着したのも、もちろん餌まきとかそういう性質があったからかもしれないけど、あとは宮人?の長口上とかしんどかったんじゃあないかなって思ったりします。
謂れを話すのに間違ったことをいってしまうのは神職でなくともさすがに憚られるでしょうし。

でもでもでも

八調子のことを、人は好き勝手に評してるけれども
詞章は本当に美しいのです。
言葉遊びもあり、和歌もあり、智恵もあり。


ベースの思想はやっぱり「神楽」と「五神」に集約されてるなあと思ったりして。
神と人との饗宴と天地の理。

玉の御すだれ巻き上げて、って、あの本殿?拝殿?で神楽を奉納するときに普段は降ろされてるすだれが全部あげられていることなのでしょうか。
この前の神能の時に、すだれが上げられていて、あ!これなのかな?って。
この日はなんだか神様が近い感じ。
氏子のことを見てるよ。氏子と一緒に見てるよ。ああ神楽は楽しいな、って。


儀式舞を神楽歌通りに見ていけば
「塩祓」は神徳を祝いでいるのかな。
だから「胴の口」もかな…

日本的な神への信仰は「塩祓」「四神」「四剣」とか。四とその倍数みたいな。
陰陽道とか大陸的な思想は「切目」「天蓋」とかとか。こっちはよりいっそういろいろ混じりあってるけど。こっちは四プラス一。

「神迎」は四方にいってるかんじだけれど、重きをおいてるのは中央なのよね。話を聞く限り。だからニュートラルなかんじ。
もう四方は祓っているのだから、神を迎えることに集中する、って言われて納得。


あと儀式舞でダイレクトに五穀豊穣と関わるものは「眞榊」「神迎」「胴の口」。


「五神」は、そういう思想をひっくるめて擬人化したみたいな感じなイメージです。で、それが荒神の信仰。だから、大元信仰で一番重要な舞。
わあああ自分でいってて訳わかんねえええ
ようは、荒神って、カオス?
この世界を理解しようとした結果、みたいな?

でも、まあそういうことだから、
儀式舞をうまく組み合わせながら舞い清めて神を招請し、もろもろ楽しんだあとに、「五神」で改めて土地を清め鎮護するのでしょう。

この話はもっとしたいのだけれど、難しすぎてもう少し咀嚼しないと無理。深すぎる


そう考えると「帯舞」はまたちょっと毛色の違う信仰なのですね。
八幡信仰のほう。ちょいちょい八幡信仰を挟んでくる。


あ、「鞨鼓」はね、商売繁盛とかその場所の繁昌を願うとかといった人や土地へのご利益を言ってるから、江戸時代くらいに形が決まったんじゃないかなって思ったりします。
そういう個人への個人的なリターンを期待し出すのは江戸くらいだったと思いますので。
それまでは、国家安泰や五穀豊穣、戦勝祈願、みたいな集団へのリターンを求めることが多かったと思います。


また師匠に聞いてみたら、これについては順に書いていきたいです。
残しておきたいことなので。