舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

自分探しの旅にでるとしたら

どこへいこうかな。
どこへいったら私っていう人間は落ちてるんでしょうかね。どなたか、でかけた先で私が落っこちてたら回収してください。まあ海に蹴落としてもいいのですが、そうしたら、できれば浜田の海がいいです。私が一番愛した海。あ、浜田が迷惑しますね。

落ちてて見つかるなら苦労しねーよ!ってな。

ただ、島根の自然と生きるようになって思ったのは、私の芯にあるのは、やっぱり神道でも仏教でもないのです。
風を、大地を、海を、四季の移ろいを感じると、祭りにでかけると、八百万の神を感じる。それを引っくるめて、私の神を感じる。言葉にすると難しいなあ。
とりあえず、人間の業ではない。

ただね、どうであれ集団には属しません。
集団生活は向かないってわかった。

そんな私ですがみなさまよろしゅうに。


無事に家族にはお帰りいただきまして、ありがたいけれど、ペースがちょっと違うので、家族とも離れていた方がきっとうまくいくんだろうなあと感じたのでした。わがままプーなの。



昨日、たまつくりに泊まりましたら、やすぎ節のショーがありまして、ふーんって感じで見ていたのですが、そのあとに何故か大黒さんとえべっさんが出てきまして、なんかカオスでした。
うーんと、私の目を信じてあげるとしたら、大黒さんの面はどうみても石見神楽面の恵比須だった。
えべっさんのほうが年取った感じの浅黒い面だった。なんでやねん。

ここでいうのもなんですが、実は大社のスタバの横にある出雲土産のお店のBGMはどうきいても、いつきいても、石見神楽の囃子。

ちょっとさあああ、適当すぎでしょ!

考えたやつ、そこに正座なさい!っていいたいね。

なにが本物があるですか!うそじゃん!

こんな暴言はいたら怒られるかしら。でも、ウソっぱちじゃん!!

オコだよオコ。激オコ。



ひねくれてるって、いわないでね。


師匠は、あんまりピンとこない反応だったけど。
私は、恵比須の面が、ちょっとこわい。

みんな幸せそうなお顔ね、福ぶくしいね、というけれど、私はちょっとこわい。

つとめて微笑んでるみたいに見えるから。


かめやまの、パパさん(と勝手に呼んでいる)とか何人かが恵比須を舞われると、すごくチャーミングで、人間味もあって、ああえべっさんだなあ。いいなあと思うのだけれど…
息子くん(と、勝手に呼んでいる)が舞うと、チャーミングというより…うーん…えべっさんよりコトシロヌシかな。
ま、どっちも好きですけどね。
というか、かめやまなら好きなんですけどね。

大黒さんは、いらんねん。おとうちゃんは友情出演しなくていい。どうせ誰か出てくるなら大人が出てきたバージョンがいい。
素敵な演目なんだから!


話逸れた。


きちんと調べないと分かりませんが江戸時代ごろの出雲で、ダイコク=オオクニヌシ、エビス=コトシロヌシという習合が発生・伝播したのではないかと思われますが…

エビス≠コトシロヌシだったらいいんだけどさ。
エビス=コトシロヌシだったり、エビス≒コトシロヌシだとすると、ただただご機嫌ハッピーな神様じゃない気がして。

確かに釣りは好き。

詞章では
「青人草を恵みます」という。
まあ優しくてめでたい神様。

もともと釣り好きが高じて美保関までえっちらおっちら通って釣りをして。ルンルンって出雲のお家へ帰っていたのかもしれないけど、隠り世に入って祀られてもなおぽーっと姿を表して釣りをするって、ちょっとさ、ね。

たとえば、釣りが心を落ち着かせる手段だったとか、なにかあるんじゃないかなって、思うのです。
妄想妄想。

だって、隠れたはずが現れちゃってるんだもん。

コトシロヌシ顕し世に出てきちゃってるじゃん、みたいな。
基本的にそこまでして出てきちゃうのは、ご機嫌ハッピーだけではないことが多くてですね。
妄想しちゃいますね。


あ、だからね、久城の「恵比須」と「国受け」でコトシロヌシの面が違ったのはうほって思いましたですよ。
なんとなくね。
ご機嫌ハッピーというより、ちょっと陰がある感じ。えべっさん、というより、神だなって感じ。

長浜面じゃない恵比須面でもたまにそんなふうに思うときがあった気がします。どこだったか忘れた。
しかも飴をすごい勢いで上手投げするから怖かった気がする。どこだったかなあ。



ま、どげでもいいんですかねえ。