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舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

せめて夢の中でこたえて

そんなロマンチックなこと言いましてもね、やっぱり本物のこえがききたいものなのです。やっぱりなにかいってほしい。なにもわからない。わからなくて、なんかもう。辛抱が足りなくてごめんなさい。松にはなれないのか。
やっぱり一人になると食べる気力もなくなるダメ人間を嘲笑うかのように、ブヨに襲われたところが痛ガユすぎて発狂しそうです。
いっそ私がブヨになって、阿呆をことごとく退治せばやと思うなり。

あーあ、バカだね。

あーあ。


生まれ変わるとしたらカモがいいんだ。
あ、バンのほうが可愛いかな。
キンクロハジロでもいい。
サギもいい。


でも本当は生まれ変わりたくなんてないんよね。
無がいい。無。むむむ。


一日缶詰な研修中、足がマジでセルフ拷問で、ずっとそんなような感じのまま上の空だったのでした。
いや、ちゃんときいてたけどね。
既に完成したモノのない仕事なので、ロジックやプロセスは理解できても、なかなか自分のこととしておとしこむのが苦しいです。ま、がんばろ。


あ。昨日の続きですけど、
結局のところ人間は集団で生きていくがために「鬼」が必要だったんだって、大屋を見ながらふと感じたのでした。
誰かを排除しないといけなかった。

語弊があるというか…誤解を生むというか…過激なのを承知で言えば、ある一面、人は神楽で「鬼」を退治し続けることで、ひとつになり、歓喜し、生きてこられたのかなと思いました。
現実世界で排除することは難しいので、代わりに鬼がその役割を負う。

ただそれだと、花祭の鬼なんかはヒーローなので論法が崩れる。なので、ある一面で、そういう意味もあるんじゃないかって。

悪態祭りとかも、普段は抑圧された気持ちをその日だけは吐き出すことを許される。
一緒に生きていくために、ガス抜きはどうしても必要。


いまは簡単にネットで匿名のベールを被りながら「鬼」退治が神でなくてもできる。「私」が神。
見ず知らず、それが誰かどんな人か知らない。全くもって興味がない。フィクションの登場人物となんも変わらない。だから、罪悪感も良心の呵責もない。自分は正義なのだという気持ちよさがあるだけ。

自分のなかで靄がかっていたものは、これだったのです。


じわじわっと、大年神はひどいやつなんじゃねって思っちゃったりして。

そりゃ鬼も怒るわね
というか、ずいぶん鬼はお召しかえが多かったなあ。


寝てた。


なんだか、たまに共演系にいくとやけにある特定の団体だけ合いの手入れたりスーパー拍手してみたりする集団を見かけるのですけれど、あれがちょっと謎なのです。一体彼らはどこからやってくるのか…
なんとなく不思議なんだなあ。