舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

ちまきまきまき

私の地元ではちまきといえば中華ちまきで、ついでにいうとぜーんぜん身近でもなんでもないんですけど、島根に来てからこの時期は笹ちまき?を頂けてうれしいです。土地の文化を頂けるのはありがたいなあ。

相変わらずメソメソクソ廃人しているのですが、傷んで捨てるのは嫌なので、夜ご飯で砂糖と醤油ドバドバして頂いたのでした。やれいつぶりだ。
ついでにキュウリもいただいたので浅漬けに。包丁握ったのもいつぶりだ。
ありがたいなあ。ありがたいなあ。

ところで浅漬けの対義語ってなに?深漬け?
そんなん聞いたことないわ。ぬか漬け?

お雑煮事情も気になるんですけど、お雑煮のご相伴預かるにはお雑煮食べる時期に島根にいないといけなくて、さすがにそれはちょっと、と思って悩ましい。
食べるのは好きなんですけど、ねえ。



たまにはきちんと神楽の話をしようかな。師匠から教わったこと。まだ答えは出てないこともたくさんあるけれど。
先輩と話をしていて、やっぱり、いま、残さないとダメよねって。消えてなくなってしまったら、もう取り戻せないものがあるから。


浜田八調子で、大切なはずなのにほとんど失われている舞。
帯舞、俵舞、御座舞。

帯舞、俵舞、御座舞で衣食住をことほぐ。

俵舞っぽいものは、岩手で一度みたことがあって…本当に、これを秋祭の時とかに舞ったら、きっと感慨深いだろうなあって思ったのでした。コミカルだけれど、真摯に舞わないといけない舞。

浜田でも、それらの舞があったのは事実ですが、完全に継がれてはいない。
いまやるのは、後世のこうだろうという、いろんな情報を駆使した復活もの。例えばそれは、古老の記憶。わずかな文献。

亀山の「御座(茣蓙?)舞」だって、本当に浜田で舞っていたのがそういう舞だったかは、私にはわかりません。師匠にもまだ聞いてない。
同じ御座の舞でも、出雲と石見…多分私のイメージでは邑智郡あたりのもの…では、違うんだとも思います。少なくとも大土地は違った。ただ、大土地は最初から一貫して農民神楽であることも考慮しなければならないけれど。

何はともあれ、来週は、三つ揃って舞われるので、素直に楽しみです。
今回は満たされているものは衣食住の感謝を。苦しんでいる土地には、願いと祈りのこもった予祝を。

全国的に見て、いわゆる共演ではなくて、合同でこういう形で舞うことって珍しいのではないかと思いますが、舞と祈りを補いあえるっていいなあと思ったり……イマドキだから、できることなのかもとも思ったり。
ああ、でもやっぱり神楽って素晴らしい。


あと、師匠によれば湯だてなどもあった形跡はあるそう。



はい、こっからちょっとカゲキになってきますよ。
めくるめく妄想の世界。


じゃあ、なぜ、帯も俵も御座も湯立もいまに伝わっていない?

台本では「帯舞」しかのこっていない。
これは私の印象でしかないけれど…八幡信仰との繋がりがあるから、残しただけというような扱いの気がしていて。

そもそも、藤井宗雄の台本が見当たらないことも不思議。

極端なことをいってしまえば、わざとなくしたのでは?とも。

幕末から明治への激動の時代。神職の心と、農民の心と、時代の流れは決して一致団結していなかったと思うのです。
長浜の牛尾さんの日記の資料とか見てると、結構…うん。いろんな複雑な思いだったんだろうなあって。

だから、そういう神楽の根本たる儀式舞やその心は、神職が次の神職へ伝えるのと同じ熱量で農民には教えることはしなかったのではないかなって、思っちゃったり。
またこれは別の機会に話しますが、広島の農民と邑智郡の神職の関係からもそんな雰囲気を感じます。

多分、大原郡の神職と大東あたりの農民、佐太神社とその氏子…いろんなとこで同じことが同じ時代に起きてるけど、どこもやっぱり複雑な思いがあったと思います。

師匠の言葉を借りるなら…
それまで神職が担っていた領域に、民間人がはいるのは拒みたいでしょうから。普通は、禁止された能舞しか教えたくない。
儀式舞はある意味、祭祀。
民間人に渡したくなかったものも、かならずある。

でも、反面、祭祀を続けるために、神楽を残すために、農民に伝えざるを得なかった。頑なな姿勢をとっただろうと推測できるところは、一度、廃れています。いくつかまた違いそうな理由で廃れて復活したとこもありそうですが。

気持ちを伝えなかったがゆえに蔑ろにされてしまったものもきっとあるでしょう。


難しいよねえ。悲しいよう。


どーせ、わかんないでしょ、って思ってしまう。どーせ、言ったって伝わらないでしょ、って口をつぐんでしまう。
うん。そうだよね。
若いもんは聞きゃしないよね。
でも、口をつぐんでしまったら、誰の耳にも届かないし、心にも残らない。もしかしたら、届いたかもしれない人のところにも言葉も思いも届かない。
ずうっとそうやって神楽は人から人へ、時代をうつろいで来たのかもしれないけど…
言わなきゃ、伝わらない。
言葉にしなきゃ、跡形も残らない。


気が付いたら、形ばかりの上っ面しか残ってなかった、なんてことになる前に、どうか言葉を残して。

見てりゃわかるでしょ。言ったもん勝ちみたいな世界なんだから。


ということです。
オチがわかんなくなったので、おしまい。