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舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

眉毛離散の危機アゲイン

かつて眉毛が解散することになったときくらいそこの皮膚がかゆくてピーンチ。やばいどー
少ないなりに統率をとっていたのに…少数精鋭。

心の状態もその頃と似てるからな。
心が眉毛に出る。そしてハゲの血が眉毛に出る。
まあ…眉毛で済んでよかったのでしょう…うーん


この前の神楽では、「帯舞」もあるし!てなことで、台本をもって準備万端で臨んだのですが、結局そのときは見るのに一生懸命で台本チラチラするのを忘れてた。ということをいまさっき思い出した。
なんなんですかこの時差は。バカだ。

でも「胴の口」と「鍾馗」は台本見たよ。

「胴の口」は中段以降聞き取れなくて迷子になる神楽歌とかあったのでした。歌が違ったような気もするけど…うーんわからん。でもフルバージョンなんですもんね。歌ってるのを聞き取れなかったのかあ。残念。
今週も台本持ってこーっと。


鍾馗」を二日ともやることに私は感動したのです。
夏越しの祓もそうだけれど、「鍾馗」が大切にされてきた意味って、"よき人を世に苦しむる禍つ日の神の心のすべもすべなさ"に直面したときの祈りであり、心の拠り所というか…
何て言ったらいいのかわからないのですけれど。
すごく大切な舞だって、なんとなく、でもすごく、感じたのです。
やっぱり、変えたらいけない舞なのだなって。

改めて詞章読みながら舞を見ると、神楽歌が美しいなあ。

善いことも悪いことも神の御業。
善きことを司る神も、悪しきことを司る神もいる。どっちも神だから、大切に祭る。
"千早ふる神の心を和めずは八十の禍事なにとのがれん"
いい神を祭れば加護をえられる。悪い神を祭れば災禍から逃れられる(そうであってほしい)、という気持ち。

キリスト教では、悪いことは私のための神様から与えられた試練!という捉え方をするけど、なんか普通に、ま、神様のすることだけえ、みたいに思った方が私は肩の力が抜けるかな。
私専用のレベルアップのための強化試練とか受けてもわたしなんもならんねん。そんな理由で乗り越えられないし。
放蕩娘。はは。

やらひましける、とか言葉の一つ一つがなんか、すごく萌え。
頭のなかで鬼やらひが出てきちゃう。
やわらかく古語が出てきて、なんかね、むふふふふ。

六調子台本も神楽歌がもっさり載ってたらなあ
あ、今度の土曜は暇だし浜田の図書館行こうかな。


あとは「八衢」も多分見てた気がするけどもうそれどころじゃなかったから覚えてまへん。
とりあえずニニギさんが出てこなくてホッとした。

最近頻繁にご挨拶してることもあって、いろいろ佐太大神も妄想したい感じなのですけれど、あの神様は出雲の神様なのにやもすれば…なんというか…乗り換え早っっ!とも思えるし、大国主の代わりに自分が伊勢へ「くだる」のだ、という気持ちだったのかもしれないし…
どんな気持ちだったんでしょうね。

ほんと、今度神能の話聞きにいこ。


ちゃんと自分の記憶メモリがわりに演目とかくらいはまとめておくかな。明日。
黒塚の幕の後ろからの声と塵輪の鬼の声が萌えの連打だったことはとりあえず言い添えておこう。