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舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

あだ名が嬉しいお年頃

神楽あたり

どんなお年頃じゃ。でも嬉しい。
ずうーっと、小学生の頃からあだ名は苗字だったので、あだ名に対する憧れが半端ない。
苗字はあだ名じゃありません。
かめのふっふーふふふ
勝手にかめのふは自分のことだと思ってるけど、実は二号三号いるのかな?わしかめのふ初号機?なんか強そう。ま、二号機でもいいけど。

そんなわけで、島根に来てからやたらめったら苗字の読みを間違われるのですが…あだ名っぽくて実は好きだったりする。
郵便局員さんもいまだに間違えてるんですが、どう反応したら言いのかわかんないので、そのまんま。

まあ、そっちの読みの方が確実に漢字はあってるからいいのよね。
読みがあってる人は漢字が違うことが多い。
読みが違っても私だってわかるけど、漢字が違うと私なのか自信がなくなるので、間違われるなら読みが違う方がいいな。あだ名っぽいし。

でもなんで島根ではそんな間違われるのかな?
確かに関東の方の苗字だけど…


ま、どげでもいいかあ


かめのふスミノフロマノフビーフストロガノフのふのふ
ロシアっぽい。わはは
第二外国語はロシア語でした。
アーベーセーしかわからんけど。名前は書けるよ。



昨日は面の話の途中で力尽きてしまったですが。
能面と一緒で下顎が出てるんだなってガン見してて思ったのでした。
能面は顎から口元にかけて、顎とまぶたに、抽象のなかのリアルに見せるためのこだわりがつまってる。
下顎が出てるしまぶた重いし構成要素の条件は同じはずなのにわしは残念なのが残念だ。とほほ

あ、でもアゴはケツじゃないよ。

出雲の神楽面の、…賊面?は隈取りに似てる。
シワを表現してるのかなあ。
鬼じゃないんだよなあ。賊面。何でそうなったのかな。




話は変わりまして。

以前から漠然とした捉え方ではあったのだけれど「神楽はナマモノ」って、人にいってきたのです。
だから、時代に合わせて変わるときは変わる。 

でも、なんとなくだったのね。
なんとなくそう思って、しっくり来る言葉が「ナマモノ」だったのでした。

ぽつって言われたのが
「人が代わればどうしたって舞は変わるんだけえ」

面が変われば舞は変わる
衣装が変われば舞は変わる
そして、人が代われば舞は変わる。

あ、この場合の舞って、一番外身の服みたいなとこ。

どうしたって、変わっちゃうんだなあ。
だから、神楽はナマモノ。

納得。

夏越の祓の奉納見てて、しみじみその言葉を噛み締めました。


変えようと思って変わるものと、なぞろうなぞろうとしてもどうしたって変わってしまうものが、きっとあるんですね。

ご老人とかが拒絶反応を起こして最近の神楽は変わるのが速すぎる、というのは、時代とかいろんな狭間で変えようと思って変わってしまったものの移り変わりの速さのことなのだと思う。
人が代わって変わってしまうことについては、多少理解されているんじゃあないかな。
個人の癖とか、声色とか。身体的な違いと、身のうちにある地層の違い…感情…そういったことは、コピペできないので。


私は舞う人が代わったとかなんだかんだは、かめやまくらいしかわからんですが…
かめやまの神楽がすきだから、誰が舞っていたって私は好きです。
「八幡」も「塵輪」も「大蛇」も…
大好き頼長殿は代わってほしくないし、この人の舞が見たい、はあるけどでも、かめやまの神楽がすき。

「道がへし」も、いつものふたりも、この前の日曜のふたりもどっちもいい。
日曜のふたりのは、いつか近くでがっつりみたいな。

…でも、違うんだよなあ
同じ演目でも、ほんとに違うんだよなあ
面をかけていても誰だかわかるってそういうことですよね。

先達の舞をどんなになぞろうとしても、自分の舞として身体に落としこんだら、完コピじゃなくて自分の舞になっちゃうのかな。だから、心を伝えないといけないのかな。
逆に完コピしてたら、それって他人の服を借りて着てるだけってことなのかも。


神楽はナマモノ。
何気なく使ってたけど、ガツンときた。