かわること
忘れないうちに。
「人のせい」にするのとは違って、周りの人間や時代の要請に応えて、変わる選択をしたのは紛れもなく自分達だった。
それでも変えないぞ!という選択肢は、少なからずあった。
おそらく、良しとしなかった人は、静かに去っていったことでしょう。
でも、私がわずかばかりの確信をもっていえるのは、ある人たちが「ショー化した」という神楽があったからこそ、誤魔化しようもなく過疎の進む石見全域で、現在においても140以上の団体があるんだということ。
しかもそれぞれが、それなりにクオリティと保持演目と愛情をもって舞っている。
過疎化って匹見から生まれたと一説ではいわれているけれど、その土地でもなんとか、頑張ってる神楽がある。
改正がなかったら、万博がなかったら。
みんながならい覚えた通りのものだけを舞っていたら。
舞子も見る人も演目も相当数減っていたでしょう。
そうね、あったとしても「恵比須」と「塵輪」だけ、人数が多いところで四人舞が精一杯、というような団体が多くなったと思う。
当然、協力体制なんてないだろうし。
それに、今の六調子地域はほとんど生き残れなかったと思う。
「ショー化した」神楽があったからこそ「ワシャ古い舞が好きじゃ」というのが一定数存在する。みんなが古い舞だったら、わざわざ遠方から行かないでしょ。こっちが好き、だなんていえないでしょ。みんな似すぎて比べられないんだから。
わかってもらえないかなあ、これ。
人に求められなくなったら生きていかれない。
全部の演目を守ることはできない。
わかっているはず。
わかってもらえないかなあ。