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舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

のふの、気持ち。

かめのふ

うーん、そがあに余計なこと書くなって言われそう。
自分の心の整理までに。




人が代われば舞が変わる、ということはおかげさまでよーくわかって、でも変わったから嫌だなあ、というより、ああこの人はこういう舞なんだあって素直に思う。

頼政ひとりをとっても、舞う人でやっぱり違うんだけど、でも、かめやまの人たちの舞は私の思い描くかめやま、であることにはかわりないので、結果的にはかめ充。

師匠やパパさんたちは師匠やパパさんたちの舞
お兄さんたちはお兄さんたちの舞
若い子たちは若い子たちの舞
で、個性はあるんだけどみんなそれぞれ好き。やっぱりかめやま、という集団の舞が好き。ま、かめのふですから。

いつかは、世代が移っていくのはよくよくわかっていて、この人の頼政は好きだけどこの人のは嫌!という気持ちにならないのはすごく幸せ。
これからずうっと先、お兄さんたちから若い子たちへ移ったとしても、多分ほほーうって素直に見られるから、それってすごく幸せ。

でも、見慣れた「いつメン」の安心感は、それはもうやっぱりどうしたってとてつもなくて…正直、恋しい。
ものすごく恋しい。
変わらないでいて、というきもちも、無視できないほど大きい。


いつかは、代わるってわかってる。

かめのふだっていつかは、行けなくなる日が来る。
関節痛持ちなので。

いつかは、代わるってわかってるし、それでもかめのふするつもり。でもいきなり、全面改定でいきます!よりも…交代していくのは少しずつがいいな。少しずつ慣れさせてほしいなって小さく小さく祈っています。

だって、いまある舞は、間違いなく、いま、心から愛している舞だから。
惚れ込んで心から愛した舞がパッタリ見られなくなるのは悲しい。切ない。寂しい。


神楽はナマモノだからこそ。
そんな、かめのふの気持ち。