舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

鳴らない風鈴

暑いので風鈴をかけました。
南部鉄の小ぶりでかわいらしい風鈴。
でも、風がふかないのでチリチリと鳴ってくれません。

はあ。

巣立ちの時は突然で、保護者の手が離れてぐっと突き飛ばされてしまったような、心持ちなのです。あーあ。しまねひとりになってしまった。ぼっちっち
さんざっぱら泣きすぎて、ぽろりしか出てきません


どーしてこう鬱屈しているかといえば
勝手に仕事が増える一方だし、自分の持ち分の原稿は進まないし、他もろもろだしで、いまの状況を簡単に言うと、憂鬱だからなのです。
今日はずっと頭いたくて寝ちゃったし。

温泉入ってスッキリしたいけど20円くらいしかお財布に入ってませーん。
貧乏神さんが住んでおられるんでしょうか。
今月から車のローンもあるし、保険もやっと入ったし。えーん


でも神楽は行く!行っちゃうよ!ブレないよ!

だって行くのやめたらしまねにきた意味がなくなるんだもん。


月末には念願かなってエキサイティングな大蛇を見られそうなので、目下それを楽しみに頑張ります。うふふワガママ言っちゃった!でも楽しみー
あ、今週末は神楽講座だし。



えーっと、気をとり直してうしおさんね!


海潮神楽は基本的に萌の塊だと思います。ぐふふ
なんたって気合いのいれ方が「フニャーッ」だから。本当にそれで力入るの?
なんかの神は「ニャハ、ニャハハハ」っていってた気もする。最近見てないから忘れちゃった。「国譲」か「山神祭」かな?ケンカ吹っ掛ける系。

いや、多分違うこと言ってるんでしょうけど、そうしか聞こえないのです。マジで。


和野の「日本武」は初めて見ましたが、東夷が番内さん顔じゃないことにビックリ。いままでだいたいやられる側というのは番内さん顔の賊面でしたので。
師匠に言われて確かに!と思ったのは、「鬼」ではないのですよね。みんな。角がなくて隈取りをしたような「賊」面なのです。
言われて気がつく馬鹿者。いっつもそうだ。

和野は、白くてべしみの顔。
白いというのもビックリだったな。

海潮の神楽の歴史とかもちゃんとまた調べないといけませんが、もともとあそこも大原郡の神職かな?が舞っていて、明治の演舞禁止令の際に一度途絶えて、古老の聞き覚えで復活させたものだったような。

面とかもいろいろ気になるー

顎が可動する面もあるしね。


オロチたんは萌え。犬みたいでかわゆい。
でも薦澤のオロチたんは尾っぽが長かったですね。
尾っぽがトカゲレベルのオロチたんもかわいいですが、長いオロチたんは酔っぱらって自分に尾っぽぐるぐる巻いた中から榊を持った両手をフリフリする所作があってまたかわいいのです。

そう思うと、自分達なりの娯楽的「見せ方」というのは結構あるんですよね。あっちよりこっちの方が素朴で古式ゆかしくうんたらかんたらというプライドがちょいと邪魔をして認めたがりませんけど。

それがいつの時代の「見せ方」なのか、はわかりません。
もし神職の時からそうなら、それはそれで、神事でありながらユーモア溢れる祭りの夜だったのだろうなあと思います。でもそれって、根本的なところは変わらないよね。他の地域の神楽を下に見て良い根拠が破綻するよね、と思うのです。

本気で自分達の方が儀式的、みたいな捉え方をしているのが少々厄介だなとぼんやり感じるのです。