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舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

刹那の思考を捕まえるべく。

また缶チューハイで少し酔っ払ったーうひー!
料理しながらよく飲んでますけど、キッチンドランカーではないのですよ。何故なら、料理酒は使いきれないことが目に見えているので、自分が飲みたい地酒を料理にも使うからです。わははは

アッコちゃんのことも書かないといけないのですけれども。
アッコちゃんよりこっちは忘れそうなので。


相変わらず苦しんでる江の川流域。

改めてうだうだ調べていたら、どうも邑智郡の関わりかたは①桜江-矢上(-加計のほう)と②阿須那-広島県北部の流れでいまのところは見ていいっぽいですね。

①は諏訪神社②は賀茂神社、それぞれ邑南町、が噛んでいるんだと思います。
なんでかといえば、郷社だったから。
パッと調べてすぐに出る郷社は江の川沿いにもういくつかありましたが、多分地元の話を聞く感じでもこの2社が大きそうね。

ちなみに、桜江は郷社がなさそうでした。
ざーっと大まかに調べただけなので、あるかもしれませんが、すぐに出てくるほどのお宮ではない。つまり、特記がなかったり、昔はともかく今は荒れていたりする可能性が高い。

しかし、気になるのは、なぜ桜江から江の川沿いに北上せずに、矢上のほうへ抜けているかですね。正確には矢上のほうから桜江へ下っているのでしょうけれど。
神楽がその系統で見られるということは、人の流れもそうだと考えて良いのですから。

中国山地を移動するのに何故わざわざ険しい陸路のほうなのでしょう。
銀山街道のような主要な道が通っているとか?
でも今でもあの辺りってひたすら山道ですよねえ。
那賀郡北部の関わりなら分かりますが……
矢上とかあのあたりから日本海側に抜けるためにはそのルートのほうが、浜田へ抜けたりする他のどのルートよりも安全だったということなのでしょうか。
むむー
那賀郡は大きい川がないから?
むむむむむー

桜江は北上も南下も江の川を使えば一発なんですが…
阿須那側から下って、矢上のほうからも下ってきた合流地点がもし桜江だったなら、今の神楽とはかなり様相は違ったはず。
ぬむむむむむ


式年祭神職の協力体制がそこら辺で分かれていたという可能性も否めませんね。


お盆の間ちょっと行ってみようかなあ。
どうせ暇だし。



でもね、郷社だからって、宮付きの神楽団体がある訳じゃないのよね…
なんか神楽の歴史に関わっていそうなお宮でも、今は完全に招聘のところもあるし。よりによって?!みたいな感じだったりもするし。

というか、神社の数の割に結構ビックリするくらい団体は少ないんですよね。いや、本当はそれが普通の状況なのかもしれないけれど…
人の流出も考えないとなりませんが。
それなりに大きな集落の、駅のすぐ近くのお宮でも数十年単位で神楽が廃れていたりする。

なにかなあ。
なんでかなあ。



どうも原稿が書き進まなくて、なんだかなあと思いますれば、どうにも、楽しくないんですよねえ
全体像がつかめなさすぎるし、見たこと無さすぎるし、カオスだし。
この前美郷の図書館でたまたま大元の式年のことも書いてある古文書まとめたよ!みたいな本は見つけましたけど…
いまいちよくわからん。

見るものと文字情報と耳情報がどうも一致しない。
たまに一致するけど、よく一致しない。

ぷはーんつまらなーい

わたし八調子盛り上げ隊なの。今作った。

BGMは動画サイトで見られるかめやまだし。
他はほとんど動画見てまでして見ない。



最近嬉しいのはですね、去年のうちは、私が神楽の話をしてもみんな無関心だったのに、少しずつ、少しずつ、いまはうざがりつつ、神楽行こーという話を垂れ流していると、は?みたいな否定的な態度をとられなくなってきたことです。
うるせーから行ってやってもいいかな、みたいな?

まだまだ、これから。少しずつ。
かめのふ周りをじわじわ感化ちゅう。うふふ

9月は何人か一緒に行けるといいなあ。一応県東部だし。日中だし。

ま、私はそのまま温泉津へブイーンしますけど。のふのふ



あと、入りたては、女は結婚してすぐ辞める、とすごく言われて、いやまだきちんと住んでないのに帰るだなんだ話をするなコンチキショウとか思っていたのですけど、最近は皆さん、八重垣さんとかで私にいい人ができますよーにって率先してお祈りしてくださってですね。
行く末を心配してくださるのはありがたいですけど、いつからそうなった。おーい。

一人じゃあ砂丘とか行けないし(精神的に)、津和野も行けないし(運転距離的に)、広島も怖いし(運転技術的に)。
一大決心で一人出かけても楽しい美味しいを共有できませんからねえ

神楽は一人でいいんですけど、飲めないですからねえ。