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舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

キツネ考

ずるっと引っ張ったままなのでこれを済ませてしまいましょう。
アッコちゃんについて。

師匠から「黒塚」≠「悪狐伝」で、「悪狐伝」は「新舞」だよ、と教わりましたのです。
どうにも頭のなかで繋がってませんでしたが、言われてみれば「黒塚」は日脚が持っておられる、やたらかわいくない木彫りの般若面がもともとで、狐面は和紙面になってからでしたね。
よく台本を見たら「鬼」だし。

あの般若さん口から火吹きませんでした?もーこわいわ。

那賀郡では「黒塚」はずうっと前からあって、人気演目だったから詞章改正のときも、法印さんがでるけど無くせなかった演目なのですよね、たしか。
でも六調子台本の方にはないので…ということは邑智郡では「黒塚」はなかったのかな、とも思ったりします。浜田で生まれ育った演目。
何故かはわかりませんねえ。
「安達ヶ原」と「殺生石」をミックスして作り上げちゃうセンスがすごいけど、なぜむつの国の那須野が原なのか。うっかりだったとしても誰か気がついたのでは?あえて変えたとか?
わかりませんねえ。

あ、神職のご先祖は修験山伏ですので、自分たちの出自というか…振り返るため、氏子にアピールするため、というのもあるんじゃないかといま思いました。
でも結局法力ではどうにもならんくて、実力行使というのがなんとも皮肉ですね。
大陸から来たバケモノに、大陸から来た護身心法もなにも太刀打ちできないとは。なんともなんとも。法印さん逃げとるやん。


まあそれはおいておき、鬼やらキツネやらが剛力さん追っかけて舞殿飛び出すわ子どもにちょっかいかけるわが、ずうっと昔からの鉄板なのだとしたら、演目の完成度の高さとかではなくて、たまのお祭りでしかも夜明かし舞だからこそ味わえる場の一体感が愛されていたのでしょう。

「道がへし」も同じ感じかな?
西の古い演目とかはよくわからないのですが。

そう見てみると、浜田辺りも益田あたりも場を巻き込んじゃう系の演目があって、愛されているのですが、邑智郡あたりだと何がそれにあたるのかわかりません。「恵比須」くらい?


そもそも浜田界隈が、氏子やよそ者たちが客観で「見る」演目だけじゃなくて、主観で一緒に場を「作る」演目が多すぎるのかしら。神や神楽が本当に近いところにいる。

ですので、出雲の方の人たちが「神楽は神様に向かって見せるもん」いうのと、石見の方の人たちが「神様と人とが一緒に楽しむもん」というので、根本的に意見の相違が見られるのかな。

どっちも納得いくし、どっちかがおかしいとかじゃなくて…

師匠や、師匠のお兄さん(?)が「お祭りで氏子が神様の前に集って神楽を見ながら楽しく過ごしているのを見るのが、神様の一番のごっつぉ」のように言っておられて、石見人の感性がすごく素敵だと思ったのです。
石見という土地がその感性を育んだのでしょう。



えーっと、そういえばアッコちゃんの話でした。

そもそもの新舞とかあの地域の神楽が相変わらずよくわからなすぎるし、「悪狐伝」を誰が作ったとかどこが一番初めに舞ったかとかも私はわかりません。佐々木さんかな?わからん


でも、新舞だと言われれば、私としては和尚さんのくだりも納得がいきます。

徹底的にどうでもいい話をする、問答もしない。
GHQがツッコむ隙間を与えない。
いかわしさんはなんか経本みたいなのをもってモニョモニョしていたような気もしますが…でも思想を説くとかそういうことは出てこなかったような。
そもそも法印さんを和尚さんにしたのも、加持祈祷の臭いを消すためなのではないでしょうか。

いろいろ無理くり感ありますが、見せるだけじゃあなくて、観客を巻き込む演目を作りたかった、楽しませたかった、というような気持ちで生まれたような演目な気がします。


ま、妄想ですけど。


でも、向こうはそこまでしないといけなかったんだ。


そう思うとなんだか悲しい。



ところで、あのパジャマみたいな全身モフモフゥは「悪狐伝」ならではなのでしょうか?
私が見慣れているのは眉毛ボーボーの狐面で女物のお召し物姿なのですけれども。

写真を確認しましたらそこそこ使えそうなものもあるんですけど…白いモフモフゥさんがね、どうも写真で見るとカッコがつかないのですよね…
アッコちゃん…
キリッと介さんたちが弓矢を構えて対峙するその先に白いモフモフゥ…
見慣れてる人ならあーいいアッコちゃんですね、ってなるやもしれませんが、神楽さんはじめましてみたいな人だと??ってなるような…

そういう意味で「塵輪」はすごいですね。
見ててかっこいいし、写真でも雰囲気が伝わりやすい。



眠くなってきたのでこのくらいでおしまい。
なにか書きたくなったら付け足すかも