舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

出雲流神楽、という枠について

いくらか検討してみたい次第なのであります。
相変わらず体調がわるいでーす。


あれを唱えたのは本田安次でしたかいね。
あの人の書いた神楽関係の本は一通り読んだような気がしますが遠い昔のことは忘れました。
時代は変わる。教科書だって変わっていく。
事実は事実として存在していますが、歴史や通説は塗り変わっていくのです。


そもそもなんで、佐陀神能が出雲流神楽のルーツだと言われるようになったか。
多分なのですけれど、慶長年間に宮川兵部少輔秀行が吉田神道神職裁許状だったかな?を受けに都へのぼって、爆発的な流行をまきおこしていた猿楽能を学んで持って帰った、という記録が残っていたから、が決め手だったのでしょう。

ただ、ここでずるいなと思うのは、他の似た特色をもつ神楽の記録をきちんと調べた上で相対的に判断したかが非常に曖昧であること。

講習でおっしゃっていたことですが、卒論でお話を伺ったときにも「佐太の神職が…というけれど、どうも石見の方と時代が合わないんよねえ…」とおっしゃっていて、それまで私も普通に「出雲流神楽」だと思っていたものですからビックリしたのです。
出雲がルーツって学者に言われたら、そうだと信じて疑いませんからね。

そもそも本田さんあたりはたしか桜江の牛尾さんと繋がりがあったので、浜田沿岸部はおそらく聞き取り調査もろくにしていないでしょう。
調べていたら、原井組神職のもつ資料の重要性に気付いたはずです。

ただ石見のほうが惜しかったのは、そういう誰がいつどういう経緯でああいった神楽を作り上げたのか、他、大切な記録が極めて少ないこと。
ま、わからなきゃ無いと同じなので、筆まめの勝ち。
あと中央で効くコネを持ってるもん勝ちかな。

あー大人ってやだね。


話がずれた。

とりあえず、記録についての検討はこのくらいで。


次に○○流と言われるためには。
「伊勢流神楽」というのは、まあ間違ってないんですよね。正確には、神仏習合していたことから考えて伊勢・熊野あたりの宗教者なんでしょうけど。
なぜ、間違ってないと言えるかといえば、実際彼ら宗教者は全国各地に出掛けているからです。

んー…時代によってその理由は違うと思いますが…
修行というか、山岳信仰に基づき自らを高めるためであったり、従軍であったり。そしてそのままその土地に根付いたのが、地方の神職

あと時代がくだればお布施集めの興行であったりもしました。


まわり神楽が、石見にもあったのは、神職の数とかで考えれば当然だけど…初耳でしたが聞いて納得。
だいたいまわり神楽は興行的な意味もある。
そうそう、東北で神楽が根付いたのは、江戸時代の大飢饉のときに民衆の祈りと宗教者の食糧集めの切実な需要と供給が一致したからだそうですよ。生きるためにお互い必死だったのです。

伊勢から出た大神楽っていっていいのかな…赤い獅子頭の神楽がなぜ全国的に一般化しているかと言えば、伊勢神宮復興のために、やっぱり全国を御師が渡り歩いたからです。

だから、祈りや信仰の足跡が見えるんです。


ですので、「出雲流神楽」というためには、つまり佐太神社神職が何らかの理由で、神楽をもって全国津々浦々をまわっていないといけません。
でもそんな記録があるとは聞いたことがない。

島根・秋鹿・楯縫郡と意宇郡西部が佐太神社のテリトリーだったわけですが、出雲東部の残りは熊野大社が、西部は出雲大社が、それぞれテリトリーなんですよね?たしか。とりあえず大原郡とか飯石郡とか南のほうはおいておきますよ。ややこしいんで。

力関係的には熊野大社が強かったんじゃなかったかな…忘れたけど。

出雲のなかでさえ、どうも神職の動きは制限されていたような気がします。なんかお互いに仲悪そうというか。意宇郡分裂支配されてるし。


もちろん、出雲の国の中では、なんらかの影響は与えているとは思いますが。
囃子とかはやっぱり似通っていますし。

ま、ようは、佐太の神職とかが関東の里神楽の伝わる地域に行ったようには思えない、ってことです。


出雲大社の御師は結構広い地域に出かけていったようですけどね。「だいこくさん」として。だから全国的に有名なのですよ。自分達で歩いて広めたから。
それも荒廃した杵築大社の復興のためです。
でも、佐太は聞かない。

だって、石見に佐太の神職が行ったって話も聞きませんからねえ。
那賀郡の牛尾さんのご先祖は出雲出身の神職らしいですけど、いまの立場を見る限り、杵築系の神職なんじゃあないでしょうか。



もう、ここまできたら、吉田神道の裁許状取得のために地方の神職たちが上京して、流行の最先端である猿楽能を見て感化されて、地元へそれぞれ持って帰った、と考えるほうがよほど自然な気がするのですが、どうでしょうかね。

本物の、当時の猿楽能を見なければ、どれが一番よく真似できているかなんてわかりません。


でも猿楽能が、それぞれの地域で、それぞれの土地に一番寄り添う形で残ったのが、いまの採物神楽の能舞なのではないでしょうか。

おわり。



これきちんと立証できたらどっかに論文発表しちゃおうかしら、なんちゃって。