かぐらのすきなとこ
頭を整理するためのメモ。
いち、神楽で何が自分は面白いんだろう?
目と耳と頭だけになって溶けたとき、っていったらなんか気持ち悪いって言われちゃった。しょんぼり
とりあえず思いつくこと書いてみましょうか。
どろどろと鳴り響く胴の音と、軽快な太鼓と手鉦の調子。のびやかに空気に融けゆく笛の音。胴取りの朗々とうたう声が身体に沁々としみわたる。
…ポエムか。
衣擦れの音
足袋が床を擦る音。
扇子を開くぱたぱたとした音。
幣が揺れるとさらさらと川の音みたい。
鈴のかろやかな音。輪鈴はもう少し線の細い神経質な音がする。
立ち合いの時のかけ声。
面の向こうから漏れでる息づかい………って待て待て変態の臭いがしてきたぞ。
え、えーと、気を取り直して。
神楽の場に身を置いて、周りをきょろきょろ見回してみる。すると、小さいこどもが、膝の上に乗せられて手鉦の真似事をしてにこにこしていた。もう少し大きくなると落ち着きがなくなるけど、時には友達同士で役割分担をして太鼓の調子に合わせて床を叩いたり手鉦をする所作をしたり。小学生高学年くらいからだろうか。口を開けて一生懸命舞の所作ひとつひとつ目で追っている。
時には、同級生の舞を見に行ったり、幕裏を覗きに行ったり。ゲームに熱中しているかと思いきや耳と意識は常に神楽の方へ向けていて、良いところになると振り向いて神楽を眺める。
おとうさんはお酒片手に時に神楽歌を口ずさみながらご機嫌で、おかあさんはにこにことこどもたちの勇姿を見守っている。
そんな空間にぽつんと自分は座っていて、そんな空気に包まれていて、他人ばっかりで孤独なんだけれども、なんだかあったかい。ああ、帰ってきたなあって。
自分が知らずに育った「コミュニティ」を感じる。
芯から冷え込む秋の神楽の宵でお酒が五臓六腑にしみわたる感じ。
信仰の足跡に思いを馳せる。昔の人の感性に感嘆する。
うーん…何が面白いのか全然伝わってこないのは何でなんでしょう。全力で楽しんでるんですけどね。
はあああ
に、阿須那の舞についての情報。
師匠と自分の目で見たものから、自分的には紛れもない事実なんですけど、文献とかにあるのか?って突っ込まれると厳しい。
阿須那の舞についてだれか書いてないもんでしょうか
だってさ、普通に見てて桜江の六調子と口羽周辺の六調子?って全然ちがうやん。何でだれもそこ突っ込んでいこうってしなかったのかな。
桜江の大先生たち的には、八調子は気に入らんけどあっちはよかったわけ?六調子だから?
なんかよくわからんなー
なんかくやしい。