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舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

のびきったパスタ

石見神楽あたり

茹でてから会社に携帯を忘れたことに気がついて取りに行ったのでふやけきったパスタを、賞味期限間近のレトルトカレーにぶっこんで、東京公演のDVDを見ながらずるずる啜っていたら涙が出てきた。
私の愛する神楽だ。
やっぱりここが原点だった。

いつも以上に(?)丁寧に舞われていて、所作の一つ一つが美しい。

奉納神楽とか、普段かめのふするときより皆が遠くて、知らない人みたいなんだけど、っていうか本当に知らない人もいるから余計に知らない人みたいなんだけど、そんな完全な客観で見ていて、やっぱり美しい。
遠くて寂しいけど、なんだか心地よい。
私の愛する神楽。愛する舞。

でも、なんとなく囃子が違うなって。
いつも聞く音ではない。
知らない分、そこが少し引っ掛かるけど…
まあでも胴以外の音が立ってるから気にならないっちゃ気にならない。

思えば、私はかめやまの歩んできた道の1/5も知らない。
ほんのちょっぴりしか知らない。
でも、好き。
それでもかめのふって呼んでもらえてありがたいなあ。


あーやっぱり8頭立ての「大蛇」は迫力ありますよねええー
大阪万博がきっかけだったとはいえ、えーい増やしちゃえ!って思いきったのはすごいと思います。
佐陀は酔っぱらいのおっさんだし
海潮はわんこ系おろちたんだし、それはそれで好きなんだけど。地域性があるからこそ、人の気質が違うからこそ、いろんな時代を映した神楽が残ったんだ。ああ、ありがとうありがとう。

派手、にフォーカスがあたりがちなんだけれど、それを実現するために、道具も所作も身体も研ぎ澄まされている。

「型」のコピーでは生まれ得ません。

コピーでは劣化する、「型」はどんどん曖昧になっていく。
出雲を見ていると、結構それを感じます。
コピーすればするほど解像度が悪くなる感じ。
そのままにこだわって残さなければならないものはあるんだけど……なんか難しいな。多分正解がないんだろうな。
団体ごとの伝統やスタンスがあるもんね。


…今日は別に酔っぱらってません。明日検定だもん。


ひとりってさみしいなー。
話し相手がいないんだ。


ここだけの話、にこにこお兄さんが胴取りの「大蛇」が好きです。
母はにこにこお兄さんのファンらしい。いい歳してどげだや。

にこにこなんか楽しそうだから。大蛇ニョロニョロのときとかなんだかすごく楽しそう。
みんな気合いが入ってくると、打つのに合わせてお尻がピョコッて浮いちゃうのが、見ていて好きです。足がピョコッて浮いたり、どんどん脚が開いてきたり。
ま、かめやまは誰がなにやっても好き。


前回の公演のやつ見てみたいなー
一目惚れしたやつ。

今思えば、よく一人でえっちらおっちら池袋まで出かけたもんです。
確か地上でえらく迷子になった。


…ああ。
塵輪」「大蛇」「頼政」が好きなのは、いっちばんはじめに見た演目だからなのか。

でもあの頃はもう少し猿が小さくてかわいかったかな。プププ
かわいいなあ。
たのしいなあ。

ボス猿ののったりのったりした感じも好き。

パーン!バシャーッ!ていう舞台効果について、ときには必要なんだなって、思ったのです。諸刃の剣だとしても、それで人の心に残ってくれるなら。この土地には、まるでスライムのように現代の舞台装置も飲み込んでしまう、今なおしなやかで柔らかい神楽があるんだって、心に残ってくれるなら。
地元とかお宮だと心持ちがやれんけど。


神楽見たいなあ。


と、いうことで、明日はお誘いいただいた石州神楽祭へ急遽行くことにしたのでした。
夏終わっちゃうしおでーと服で行くか。

で、津和野に宿をとったので、左鐙も見ようかな、なんて。

検定大丈夫かなあ。
今回は即日採点してくれるお父さんたちがいない。
さみしいなあ。

***

追記。


舞台神楽のことで。
特に興行。

私は、ぶっちゃけ、大人しく上品に見せる必要はないと思うのです。

だって、地元じゃ上品じゃないもん。

下品だ、ってわけでなくて…
だーれも着物なんて着てこない。
ふかふかのパタパタ椅子に大人しく腰かけて遠目で見るのだって、見る回数としては実は少ない。
パイプ椅子パターンはよくある感じっぽいけど。
でも結構な割合で煙くなるから着物なんて着てこない。

普段着で、地べた。ジャージも可。座布団持参は当たり前。布団持ってきちゃったりお弁当持ってきたり。お酒は当然抜かせない。結構立ち歩きも多い。
それが、石見神楽。


大元なんかは敷居高くいたいだろうけど、実際は落ち着きのないカメラじじいとか結構おるもん。闖入者なのか着替え忘れなのかなんなのかわからない楽人もちょいちょいおられるし。能舞のときとかはゆるーいし。

着物で見るもんだと、「お神楽」だという認識で、実際にその土地へ行く人はどれだけいるでしょうか。
そもそも「着物」にこだわるのは都市部特有なのかもね。自分も着物で能を見に行ったことあるけど、あれなんなんだろね。文化的活動の制服的な?

ずっと、親が神楽を見に行きたがらなかったのは、簡単にいうとそういうめかし込んで気合い入れて行くもんだと思っていたから。
「お神楽」ではなくてもっといきいきしていて、だから驚いたし、感動したし、また浜田で見たいと思ったのだと思います。父と祖父母にもかめやまを見てほしかったけど。


ああ、能や歌舞伎や文楽といった国家的伝統芸能は敷居を高くすることで生き残ったけど、神楽や郷土芸能は都市部より地方に生きてるからこそ、敷居を高くしたら生きていけないのかもしれないな。
都市部の興行に行けば人は入るけど、その土地へ訪れて見てもらえない。行けば行くほど自分の首をジリジリ絞める。



結局何が言いたかったかというと、神楽愛してる。