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舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

おもうこと

ぶつくさ

ひょんな流れからどうやら師匠は最近見てないらしいことがわかったので、つまり好き勝手に書いて良いってことね!キャー師匠かっこいいーとか垂れ流してもバレないってことよね!わっしょーい!書いちゃうぞー

なーんて。

私が一応まだ若い女子の部類に入ったりとか、そもそもなんかいろいろ変人だったりとか、師匠からしたらもろもろ懸案事項もありましょうが。若いうちから自分みたいなテキトーなやつが人を師として慕うことは、なんだろうな、人とお付き合いするのとはちょっと意識が違う。

父親?うーん、それとも違うか。
たまに生き別れの娘ですネタは使うけど。
あ、でも、私という人間を構築するある部分におけるルーツを求めることになるので、そういう意味では父ともいえるのかなあ。
で、ルーツなので、師は後にも先にも一人。
枝分かれはしません。

ちっとやそっとじゃ心はブレませんわね。

一時はもろもろのことについて心配もされていたみたいですが、例えば師や社中を否定することは、今ある私自身を否定することになる。自分の目や感性、蓄えてきたものを否定することになる。
じゃあ私ってなんなん?今までしてきたことはなんなん?ってなる。

偉いねえ、なんじゃあなくて、普通のこと。
自分の心に素直でいるだけ。
逆に、偉いねえすごいねえと言う人は、こいつ私がなにかあったとき見捨てるか悪く言うかするんだろうなと思います。友人と思うことを止めます。咄嗟に世間の声に左右される程度の人間だということなのでしょう。



同時に、師を持つってことは、自分にもプレッシャーをかけることになります。失望されないような佇まいと感性と目、思考を持っていないといけません。

いつもどちらかというと、ししょーししょーわふわふみたいな感じで一方的にまとわりついてるだけな気もしたりするんですが。
意見を聞かせて、といわれるとスーパーうれしい。

また神楽のはなし聞きたいなー。
知らないことはまだまだいっぱい。
何度でも聞きたいこともいっぱい。


ほいでなんでそんなことをぼんやり考えていたかといいましたら、今日は初心に帰る日だったのです。

周布川沿い、八調子が生まれた土地。

卒論のときに連れていってもらったのだけれど、まだその時は頭がついていってなくて、ぼんやりとした記憶を頼りに、内村町から鍋石、大三島神社まで行ってみたのでした。帰りには牛尾さんとこの八幡宮も。

周布川沿いだと思って周布から攻めたけど、走ってみたら浜田港から上にのぼっていけばよかったんですね~。
つまり終着点は長浜なんですね。
なるほどなあ。


やっとご挨拶にいけた大三島神社はなんだか記憶と違っていて、首をかしげながらウロウロ。
広かった。うんうん。彫り物が実は美しい。うんうん。壊れて崩れそうな石燈籠。うんうん。あったあった。
でもあんな鬱蒼としてたかなあ~と思って。

たしか、トイレ丸見えだから見ないでよ!って言われて、それは覗けっていうフリなのかな?とかしょーもないこと考えながら、崩れそうな石燈籠の傍で棚田みたいな景色を見下ろして待っていたような覚えだったのですが、鬱蒼としてよく見えんし、トイレの位置が思ったとこと違った。
記憶って適当なもんですねえ。

天気悪かったし、一人だし、なんだか寂しい感じでしたが、やっぱり立派なお宮でした。
不思議なとこだなあ。

あそこもお祭りはみかわなんでしょうか?
むむ…要検討。


あとは、連れていってもらったお宮で櫛色のお宮と熱田のお宮がどうしても行かれんのです。
どこにあるんだろう。

今しているのは、記憶をたどる旅。少しずつだから二年かかってるけど。
そして、改めてすごくお世話になったんだなあと感謝する旅。

手がかかるわりに、ってがっかりされないように頑張らないといけません。