神楽は観光資源なのか
「観光資源」という言葉に抵抗を覚えられる人が多いことだろうと想像いたしますので、言葉を変えてみましょう。
神楽は、よそから地域に人を呼び込むきっかけ、ネタになりうるか。
おうおう、これだと、なんとなくああなるなる、と言いたくなりませんか。
今日は怒涛の納品デーで身体がバキバキなのに、眠れません。
そりゃ神楽にばっかりお金を使いやがって!と思われる方もおられるでしょう。
行政、民間、なんか偉い人問わず。
まあたしかに、そこそこウェイトはしめていると、端から見ていてもおもう。
いま、浜田×邑南のグルメがどーたらというチラシを何とは無しに見ていて思ったんですが、でもそうはいったって行政がよそへ向けてアピールする「主なイベント」の8、9割は神楽みたいですね。
神楽ってワードが出ていなくても、神楽が出るイベントだって、ワシ知ってるで。
諦めて素直に認めちゃえばいーのに。
神楽なしで、大入りが見込めるイベントってなんだろ?
イルミ系?食べる系?
確かにイルミを見に行くのと神楽は両立しにくいような。
でも食べる系って、食べてるあいだなんもないとなんかつまらんよね。
結論、やっぱり神楽あるといいよね。
お上にも応援してほしいよね。
そもそもなんたって団体数多いんだもん。
イベントとかで舞を見せる機会がないといたしかろう。
特に、これから。後継的な意味で。
それは確かだ。
知ってもらわなきゃいけない。
ただ、イベントはイベント、奉納は奉納って頭を切り替えないとやれません。
舞う人も見る人も。
イベントに命賭けたい団体があったって、そりゃ団体の選択は自由ですから…
それならそれで、イベントに全力投球すりゃいい話。
やっぱりオラんとこは地元の祭りだけでいい、って団体みんなが思っているなら、それもそれでよいよい。その選択をしたことに誇りをもって、大切に舞い伝えていてほしい。
でも大多数はどっちも、なんでしょう。
それもよいよい。
きっと土地の神様もいってこーい、といわれると私はおもっています。
私だったらそうね、よそでおおいに舞って、えー舞だなあといってもらったらいい。でも、自分のお祭りの日には、忘れずに帰ってきて、よそで舞う以上にとびっきりのえー舞を見せてほしい、とおもうかな。それで、よそからうちんとこにえー舞を見に来てくれる人がいたら、やっぱりうちんとこのはえー舞でしょ!ってうれしくなる。妄想妄想。
師匠がおっしゃるように、イベントやよそでの公演は巡業なんだとおもう。
そして、本当によそから人が来る。
もっと、もっともっと誇っていい、土地の宝なんじゃないかなあ。