舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

なえなえ

父がせっかくだからと鎌倉まで連れていってくれたのですが、道が混みすぎだし、人多すぎだし、なんか、げろげろ。
前からこんなどこ見渡しても手を繋いで歩く決まりがあるんか?ってくらい、なんかね。

やっぱりこんだけ人がいるとマッチング確率も多いんだろうか…とか結構真面目に考えてたんですが、なんか眺めてるだけで酔って疲れてしまった。

不必要に赤の他人との距離が常に近すぎるんだよな。パーソナルスペース!スペース!
どこからこんな人が湧いてくるんじゃろうか。

つかれたよー。島根に帰って神楽見たいよー。めそめそ

はうううめそめそめそ



最後に「鍾馗」について。

鍾馗の鍾と鐘はそれもまたあんまりこだわりはないのでしょうか。
かめやまではどっちなんだろうなあ。

でも変換は鍾で出てくる。

多分、すごい大切な舞だからこそなのかな、人が変われば舞が変わるというのが素人目でもわかる演目なのかなって思いました。
あの人の鍾馗に、この人はなれんし、この人の疫神は、あの人には舞えん。
でもそれぞれが美しいと思うのです。

若さ大爆発!な鍾馗や疫神もいいし、ねちねちと焦らして舞う鍾馗や疫神もとってもいい。

この前は人がたくさんであんまり見えんだったので残念でした。

んんん…たまらん

地域によっても全然違うしなあ。
でも茅の輪と、鍾馗スサノオが習合した信仰は共通しているのも興味深いですね。
あ、もしかして備後が近いからかしら。


なんだろ、思いはあるんだけどなかなかうまくかけません。