人口とか
石見神楽は「後継者難」がない、ということばの誤解について。
たぶん、我々、このブログを何でか知りませんがわざわざ読んでおられます皆様、島根に暮らす人たちは当然このことばが事実と異なることは、肌で感じていることでしょう。
人口が減り続けている土地で、後継者が困らないほどいるわけがない。
しまねにかぎらず、中国山地一帯かな。
悲しいけど、現実。
団体、祭祀、ひいては地域コミュニティそのものの存続が危ぶまれるところも、いったいどれだけあるんだろう。
今は大丈夫なところも、数十年後、百年後、いったいどれだけのところが、同じように大丈夫っていえるんだろう。
悲しいなあ。寂しいなあ。
なにか、なんとか、できることはしたい。手遅れになる前に少しでも残して、握りしめていたいと、願ってしまうのです。
いいアイデアがないもんかな。
そうそう、でもね、そもそもそういった言葉のニュアンスの誤解を受けるのは、この石見において、明らかに他の地域と異なる現状があるからなのだとも思うのです。
義務で「舞わされる」のではなくて、好きだから「舞い継いでいく」若者の圧倒的多さ。
だからこそ、イマドキに流されやすかったり、変わったことをして注目を集めたかったり、そういう困ったちゃんな面もある気もしますが、好き、が継承の原動力になっているのは、もうね、誇るべきことだと思います。
顔がキラキラしちゃってるもんね。
それって、すごいことだと思うのよね。
しかしながら、そんなキラキラした顔の若者がいなくなってしまった地域が、あるのもまた事実なんでしょう。
ああ、むずかしいなあ。
まあ、結論いえば、おおっぴらに流布されるようなもので、嘘とか誤解を与えるニュアンスで書くなっちゅーことね。