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舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

田舎とチープはあまり両立しません

と、思うのですが、皆様におかれましてはいかがお考えでしょうか。
関東近郊ならできるかもだけど、こっちは無理よねと思うのです。カチョーと、一日また江の川沿い走りながら話したこと。
ガソリンが出雲を越えると高くなるのよね。

ふむむ。


旬のものを、旬の時期に、安く手にいれることは、できる。私はお米もいただいてるのでこの一年半くらい買ったことない。電気代は1000円切ることもある。
まーでも、かかるお金と入るお金考えたら、多分大きく変わらんよね~と思ったりして。
あとは、なにに生活の喜びを見出だすか。

会社の人たちは他愛ない話に付き合ってくれて、すごくありがたいです。


神楽に対する考えとかも、この一年でかなり変わったみたい。むははは。絶賛洗脳中。

でも、私自身も、神楽に対する考えとか、見て聞いて感じたこと、得たこと、ちょっとずつ変わっている部分もあります。
ライフワークだから、むしろそうありたい。
現在進行形だから、この前よりちょっと、もう少しいろんな面から見られるように、なっていたい。


とまってしまったら、通説に凝り固まってしまったら、先達と一緒。嫌いなジジイと一緒。時間が止まってしまったような。面白味もない。



たぶん、神楽もそうやって少しずついままで変わりながら生きてきたんじゃないかなあ。
現在進行形で生きている芸能。

いまは、もしかしたら、変わるスピードが速すぎるのかもしれない。
情報が動くのが速いぶん、染まるのも速い。
でも、止まったら止まったで、化石のように、ゆっくりゆっくり確実に滅びゆく。



ゼミの先生は、軸を作りなさいと、言いました。

たくさんたくさん見なさい。読みなさい。学びなさい。考えなさい。そのために、軸を作りなさいと。
判断基準ということ。

軸がなければ、ブレッブレで、どんだけ物知顔で言ったところで中身のないただのハリボテ。

私の軸は、師匠です。
んー…かめやま、っていっていいんだけど、やっぱりそれよりも、師匠なのかな。骨がかめやま、髄が師匠みたいな。

公言するのが恥なら、それは、軸じゃないと思う。
上っ面。

とかいうわりにその裏付けは、ぶっちゃけ勘と直感なんですけど。

無尽蔵に湧いてくる疑問に、答えや、思考の示唆をぶん投げてくるのは、師匠なので。他の人はね、なんかビミョーに足りない。
私がナメられているのかもしれないし、お互いコミュニケーション不足なのかもしれない、よくわからない。
でもなにかが、どうも足りない。

そんな人が、教えてくださったことが、私の軸になっていると思います。
師匠には、師匠の軸がある。
八調子が産声をあげた、育てた、その土地の記憶を持つ人、その教え、見てきたもの、胴の師匠、よくわかんないけどなんかいろいろ。

神楽の軸って、きっと、そういうもの。
古老や師とする人の記憶や教えが一番私は大切な髄な気がします。
これはいい、ダメの選択の判断基準になるもんね。

判断基準がないと、ブレッブレ。
昨日いったことと今日いってることが違うとか。
この前となんか違うじゃんとか。


ちょっと、それはいただけませんなあ。


もー何が言いたいかっていうと、マジ眠い。
結局布団入ったの朝の4時だったんですよねー。