舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

きょうえんにつきまして。

しまね、さむい。というより、我が家がアホみたいにさむい。あんかつけて布団たくさん重ねてるのにかじかんでるのはなんで!

はーさむさむ。

というわけで、ただいましまね。

おばあちゃんに手縫いの半纏もらったので、今度から愛用したいとおもいます。神楽のとき着れば?っていわれたけど、さすがにそれは恥ずかしい20代女子。
かめのふ、半纏付き。……いやいやいや。


おバカなもんで、何回も師匠に聞いているのに、いつまでたっても競演だとか、新旧の区別に悩んでるのです。


えーっと、芸石と、西中国が、70年近いのよね?
かけの芸北選抜もそうみたい?

師匠に、芸石の受賞歴の表を見せてもらったので、ちょっと思ったこととか。

昭和23年の第1回以降、第9回までは、あの書き方だとわからんけど「共演」の方だったのかな?

ん?ということは、原爆投下から3年、日本国憲法発布から2年か。すんごいな。

私の地元の七夕祭りは、町が空襲で焼けて、戦後復興目的で行われるようになったらしいですが、もしかしたら、そういうニュアンスもあるのでしょうか。
22年頃から、みどりの佐々木氏によるGHQ対策というか、改正演目というか新演目が作られているんですね。

33年から、優勝団体と演目がわかる。
広島の方の団体はぜーんぜんわからないですが、ちよだの旭1→かけの堀2→いわみの大元神楽団3が優勝。
いわみの神楽団は、矢上では?とのこと。なるほど。

そっか。
あれ、瑞穂はいわみ?みほ…みどりにちかいってことは、えーっと、お?でも矢上とかって旭と瑞穂の真ん中くらいじゃなかったっけ?お?お?

まあいいか。

で、39年は、「共演」。
ここが転換期なんですね。あ、オリンピックもこの年?

多分、たかたのほうの舞の台頭だったり、10年以上たてば佐々木氏の新演目がポピュラーになっていたでしょうね。

40年、新旧分離して、今日の競演のスタイルが成立。ここは西中国も調べないとね。

考えられる要因は、師匠からの示唆をすんごい乱暴に言えば「新勢力」の存在なのかな。みどり、たかたあたりを中心にした動きというか。歩いた雰囲気的には、そのルーツはあすなあたりにありそうだけど…あそこのどの地域、お宮がキーを持っているのか、探る必要はある。
あと、これは私の偏見ですが、芸石については、直前3年連続でいわみの大元が優勝を持っていったから、というのもある気がするのです。

芸石と銘打ってるし、自分たちの地域の神楽のルーツと言われる石見神楽、いわみの神楽へ、敬意は表したいと思う。でも、3年連続でとっていかれたら、しかも全部違う演目で優勝されたら、ぶっちゃけ地元とか外野は内心面白くないんじゃないかな。
私だったら、そりゃもやっとすると思う。
いい舞だろうからこそ、きっと余計に。

その証拠なのかなんなのか、新旧分離後、平成22年のかめやままで島根はとっていません。
見目の良さとか、端整さでは、そりゃあ、ひろしまだわねえ。結構しまねさんシズル感あるからね。ずれてるよーみたいな。
でも、それって見た目よね。パット見イケメンってことよね。

なんというか、かめやまよりももっと古株のみなさまだって、ええ舞を舞わないわけがないですから。
まあ、本当にええ舞を舞われるところは、わざわざひろしままで、しかも競うために、出かけないというのもあるかもしれませんけれども。

でももし、これが私の印象ではなく客観的に誰もが感じることとすれば、審査基準に疑問が生じる次第。

新旧分離のその基準は、どうも地理関係っぽいですが。

というのも、
44年にほりさんの金沢のなんちゃらが「旧」、46年につなみ?さんの大楠なんちゃらが「旧」、50年にはらださんが日本武尊を「新」でとっておられるから。


うーむ…なんとなく納得いかんが、年季が入ってる。

でもさー、そしたら新旧の言い方ってなんとなく変よね。東西じゃん?
しまねは無理矢理「旧」に押し込められてる印象。


曖昧すぎてまたわけわからん


伝播した地域の区別と、戦前後の演目の区別と、舞法の区別が、きちんと定義付けられないまま、感覚的に、便利な「新」「旧」という2択に振り分けられているように感じてしまいます。
舞ってる人たちの話聞いててこっちが混乱するのって、そういう曖昧さがあるんじゃないかなって。

そんなで、この団体はこの部門でもっとも優れていると判断する審査員はいったい何をもってしてそう判断しているんでしょう。
どこの舞が基準なんでしょう。
とくに、2国押し込められている「旧舞」部門は。
「旧舞」には、全部が出ていないにしろ、石見八調子と六調子、あすな系、やかみ系両方、それが伝わり、ひろしまで育まれた神楽の4種類は少なくとも入ってることになります。


民俗芸能は、AのうちBはB、CはCというふうに純度高くきれいに振り分けられることは、ほぼ絶対にありえません。
あらゆる環境や要素が複雑に絡み合い溶け合い成り立つものですから。
人間ひとりとっても、明確にそのひととなりを言い表すことも、実はできないでしょう。そんな人間が、何人も何世代もかかわり合って編み込んできた民俗芸能が、複雑じゃないわけがない。

だからこそ、便宜的に分類する必要はある。
でもあくまでも「便宜的」。
しかたなく、です。

神楽の分類だって、あれを盲信したら転びますよ。

出雲流、という言葉の根拠の土台のあやふやさ。

でも、あれは正誤はおいておいて、根拠が周知のもとにあります。通説の厄介さを孕みつつも、判断の根拠が示されているから、後世で検証し覆すことはできる。

新旧は、みんな、根拠があやふや。
だれもが同じ答えを返すことができない

そう、感じています。

そんなワケわからんにした犯人が誰かはわからない。
でも、なんで誰も疑問を大きな声で呈さなかったかが、私は疑問だな。

コミュニティのやりにくさかな?


電池がなくなるので、ここらで。