舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

きふねとおんな

つづき。

かめやまの「貴船」から、おおもりさんの「滝夜叉姫」で、なぜか貴船と女の悲しさ繋がりみたいな。
なんとなく似たような感じね。

「滝夜叉姫」は、だいたいシンデレラタイム…というか率直に言えばもう遅いし帰りたいよタイムにやることが多くて、はじめてまともに見た気がします。
なんとか丸となんとか丸が出てくるくらいまでは、いかわしさんで見たかな…
せみまるだと法師になっちゃう。

あれは原典って、歌舞伎か浄瑠璃にでもなるのでしょうか?「貴船」は謡曲「鉄輪」ですが。滝夜叉姫はあったかなあ?


続けて見ると、なんか、貴船の神ってめっちゃおっかない神様のような感じよね…
ご祭神のタカオカミノカミ、クラオカミノカミは、龍神、といってしまってよいのか、水の神様。ミズハノメと一緒。そういういみでは、大元信仰に、全く繋がらないわけではないのかな。

あと、ここではタマヨリビメは神武のお母さんらしい。てことは神武のお母さんは巫女でした、という仮説もたつのか?ぐむむ

ミズハノメはイザナミから生まれでて、オカミノカミはカグツチの血からなるらしいから、ミズハノメのほうがお姉さんということになるのでしょうか。
神様事情は難しいな…
カナヤマヒコ?たたら関係の神様その1がイザナミから、オオヤマツミ、たたらとか大蛇関係の神様その2がカグツチの血からなるのも、なんか興味深い。
イザナミから出てきた方は、天蓋とか神楽歌に出てくると思ったけど…寒くて台本確かめに行かれません。

まあまた折を見てしらべましょうかね。


ともかく、なぜ、この神様が呪詛と関わるようになっていったのか、というのは丑の刻参りの意義の変遷を見ていかないとならないのだと思います。
調べるの大変だから、とりあえず省略。


そんな感じだとこの神様、タチ悪につき取扱注意、みたいなことになりそうですけど、後拾遺物語には、和泉式部が、夫くんとうまくいかんときに、貴船神社
「さもの思へば 沢の蛍も わが身より あくがれいづる 魂かとぞ見る」
と詠んだら、宮の奥から
「奥山に たぎりて落つる 滝つ瀬の 魂散るばかりものな思ひそ」
と返歌があったという逸話があるそうで、つまり、「そんなに思い悩んで心すり減らしたらダメよ」って思いやるような優しさがあるっぽい。

行ったことないからわからんけど、美しい自然のある場所ですから、傷心の女たちの心を集め、良くも悪くも揺り動かすようなお宮なのかもですね。
だから、神様もそういう女たちをよく見つめていた。


きっと、神様視点としては、自分のまばたきくらいの時間しか生きられないんだから、そんなに思い悩むなと、何で人間はそんなに人と人とのことで苦しみ悩むんだろうと、不思議だろうし、ちょっと悲しいというか心配というか、うーん、なんというか……「困ったなあ」みたいな思いがあったりして。妄想。


だから、ちょっとだけ、背中をツンと、押したんじゃないかな。

本当に鬼になるか人でいるかは、実はそのものの心次第。
女自身の心が、女を食らいつくし鬼にしてしまったのだろうし、さつき姫の心が、姫の心に妖術をもたらしたというか…人間やめさせてしまった。

もしかしたら、神様もたくさんの苦しい女たちを見ていて、そのなかでもどうにもやれない彼女たちに、そんなに辛いんなら人間やめちゃえば?みたいに思ったかもしれないとか、妄想しますが…
どっちにしたって、その一線を超えせしめたのは、本人たちの心だと思うのです。押された拍子に転けて超えたわけではないと思う。


救われるもつまづくも、それはその人の心次第。
神は神としてそこに「いる」「ある」だけ。
って、キリスト教のひとがいったらダメかな?

私はあなたと共にいる、「いる」のよ。be。
あなたの背中を押している、手を引っ張ってる、ではないのよ。
黙示録辺りにもなんかあったとおもったけど…寒くて聖書確かめに行かれません。 


あ、昨日はせいめいさんが、ニコニコお兄さんに変わられてましたですね。
パパさんのせいめいさん好きだけど、そのうわべのコピーじゃなくて、お兄さんのせいめいさんだから、ああこういうイメージなんだな~みたいなふうに思ったりして、ニヤニヤ。

近頃は、他の演目もそうだけれど、これから、少しずつその人の肌に馴染んでいかれるのを、自分も進行形で目撃できるのですね。はあああすごいなあ。楽しいなあ。…やっぱりナマモノなんだなあ。

まだどっちのせいめいさんも見ていたいな。よくばり。



それで、さつき姫。
口上とかあらすじ聞いてて疑問というか、可哀想だなあって思いましたのが、下総の相馬から、遠路はるばる貴船明神へ祈願しに来たのですよね。

白装束で?

まだ、このときは「人」だし、人目を憚る立場なれども、年頃の女性だったのでは?

ということは、どっかの大陸から飛んできた鬼ちゃんみたいにひとっとびなわけではなくて、一生懸命都まで、そして都から嵐山?まで歩いてきたのですよね。あるきじゃなければ、馬かな?

なぜ、道中、誰も彼女の身の上話を聞いてあげなかったんだろう、一緒に悲しんであげなかったんだろう。その心を止められはできずとも。人間としてのあたたかみに触れられていたら、もしかしたら、その心は焦げ付かなかったのかもしれない。

逆賊の父をなくしてから、誰とも出会えなかったこと、それが彼女にとって、一番不幸なことだったのかなって、可哀想だなあって、思うのです。

鬼気迫る顔をしていたかもしれない、それだけ追い詰められていたのかもしれない。でも、と思ってしまう。

彼女は、その心が一瞬もやわらかくほぐされるような心地になることもなく、その勢いのまま人間やめちゃったんだなあ。

だから、人間として消えていくことは許されなかったんだ。

きっと相馬から、貴船までの道中で、彼女の人間とか心とかは食い尽くされちゃったんだ。
タカオノカミたちが、さつき姫を鬼?に変えたんじゃなくて、もう訪れた時点で人間やめちゃってた彼女を、それでも自分達の近くまで受け入れてあげたんだと思うのです。そうか、苦しかったんだねって。穢れたもの悪しきものとして追い払うことはしなかった。


もし、歌を詠む余裕が、ほんのちょっぴりでもあったなら、人間の心があったなら、タカオノカミたちは、何て答えたんだろう。

なんて、ぼんやり思ったりしたのです。