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舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

2時間半のカベ

どーーにも、この壁が越えられません。
松江-浜田間問題。半がね、30分がね、なくなるとだいぶん楽だと思うんですよね。
でも普段は休むから3時間かかっちゃう。苦ではないが眠い。

雪になったらやだなと思って休憩がとれんかったですが、なんとかみぞれのうちに帰れました。
やっぱり出雲-斐川が一番天気が悪かったなあ。


なんだか、ちゃっかりいるのに驚かれないことにむしろ驚くかめのふ。

うっふっふっふっふ
ちょいちょいみなさんとお話できてうれしー!緊張したー!

生まれてはじめて、本物のおまつりごとに同席させてもらっちゃったのでした。うふっ。なかなかお作法が難しい。


宮司さんが、やっぱり素敵な方だなっておもったのと、祝詞を聞きながら何て美しい日本語なんだろうなあって感動だったのでした。
多分、あれが昔の本当の発音?発声?なんじゃないかな…
昔そういうことを聞いた気がします。

なんか、あ!って思ったんだけど…なんだったかなあ。
速記しながら祝詞を聞かないとダメかしら。でもそれは神様に失礼だし…むむう
祓いたまえ清めたまえじゃない祝詞はじめて。
なにかが、ううう…そういうことか、みたいに思った気がするんですが…



来ていいよイコールおいで、とポジティブ解釈でお伺いしたかめのふなのでありますが、なんでいきたいなーって指をくわえていたかというと、むしろ、おまつりごと、だったからです。
なんでもないおまつりだよ、っていわれても、それが一番。

氏子じゃないので祭典も遠目で眺めるだけですし。

ただただ素朴に、ひたむきに、神と人とが向き合う時間。


全然ちがうけど、むっかし、教会行ってたときの空気感を思い出した。

でも、もっと近くて、あったかいのかなあ。
あの提灯?とか色味が、温もりを感じさせる。
神楽の日ほどの熱量は感じないけど、なんでもないときに訪ねた時よりはあったかい感じ。
不思議だなあ。



師匠に、それは言わんで、といわれるかもですけど…
「神楽」は、魅せ欲のない本物の、神楽なんだよって、前に教えてくれたのです。
神へ捧げるための、一番素朴で一番重い、とびっきりの舞。

人が見て楽しむんじゃなくて、純粋に、淡々と、神を思って舞う舞。

この舞が大切に、大切に、先達から脈々と、変わることなく受け継がれてきたことこそが、なんだかんだいっても石見神楽が"神楽"であることの証拠だと思うのです。
きっと、神職が一番渡したくなかった舞だと思うのです

これを忘れてしまったら、舞台芸術にとって変わってしまう。


寝ちゃった。

とにかく、だから、いきたかったのです