やって来る神と、予祝と問答
寝落ちしたままうだうだ書き終わりません
そして、先にいうとオチもありません
昨日というよりもはや一昨日のやつのはなし、ししょーじょーほーで、「先ばらい」はするよ、とのこと。うーむ…それはそれで結局馴染みがないからわからんのだけど…
あれよね、神主さんが幣もって他の人たちと練り歩いて、氏子の家でフリフリして祓い清めるやつ。
それに獅子と先導(天狗、猿田彦)がついて歩いたりするのかな。
ご神幸と同じタイミング?ていうか、字合ってる?
おおつじでは、えーと、天狗、狐と、塵輪みたいな鬼がめぐるって教えてもらって、古いわけではないのでは?とのことでしたが、なかなか興味深いので、ちょっと今後調べてみたいなと思いちゅう。
天狗と鬼はまあまだいいけど、狐が一緒にいるのがまたなんとも気になります。
でもそれが浜田一円に古くから根付いたものではない、というのが、また不思議というか、なにか理由があるのかな?って。
基本ベースは「家内安全」「無病息災」あたりがあるんだけど、やっぱり、神のもとへ集う文化の方が重要なのね。
あと明日とか書くこと、雇われのはなし、いっこ花祭りと石見神楽の類似と相違というか、思考のパーツをまた発見した。
道返しは、西の文化だよ、ってずうっと教わってきました。
正直、わたしは、ちがへしでもきがへしでもいいんだけど…返すことにはかわりない。
これは、本当に個人的な意見なんですけど
ちがへしは「問答」し「予祝」するための儀式としての演目なんだろうなって思うのです。
予祝というのは、言霊。
農耕民族のほうがおおそうだな
なんやねん、っていえば、豊作豊作ありがとう!っていうのを、新嘗祭あたりにやりますよね、まあ秋祭りといいますか。
あれは、一年の最後にありがとう!と同時に来年も豊作ありがとう!っていう意味合いがあるんですね。
豊作だけじゃないとおもうんですけども。
予め、祝福することで、言霊が発生して、実際にその効果というか、恩恵を受けようというような考え方ですね。
もともと農耕的なサイクルでは、秋祭りが一年の終わりであり、始めであったというような感じだったと思うので、年末年始的な。
で、「問答」
これは、全国的に見られることなのですが、「なにか」がやってきて、神主だとか、そういった役割の人とかち合って、問答をするんです。
問答じゃなくて、綱引きのとこもある。
とにかく、神的な「なにか」とこの世のものが押して引いて、結局最後はこの世のものが勝って、負けた「なにか」は祝福をして帰っていく。
岩手のなかでも社風(みやぶり)神楽という今もかな?神主さんが関わってる神楽の系統がありますが、そのなかのあるとこではダントツぷりちーな権現様が、神主さんだと思われる人と手拭いを引っ張りっこして、最後は神主さんに渡して祝福してたとおもう。
どこだったかな…またそういうのもまとめないとなあ。
花祭りでは、変な翁、黒尉っぽいやつだったかな?がやっぱり神主さんとあーでもないこーでもないして、最後は祝福して帰ってく。
いっちばん眠い時間だからあいまい。
邑智郡の大元なら、「山の神」でしょうね。
まだ見たことないのでぜひ見たいのでありますが。
で、西部の「道返し」。とくに、杖の謂れを話すやつ。
面白いのが、出かけは問答で、実力行使に出て、結局祝福を約束して去っていく、という一連の流れをよりビジュアルで表現してるとこ。
ものすごくわかりやすい。
逆に不思議なのが、那賀郡あたりで該当しそうなのがないのよね。
ふむむむ。
なんかとりとめないので、いったんこれでおしまい。