舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

さむいねむいさむい、

ひとりクリスマスぱーちーは、複雑骨折させてしまった骨付き肉の酢ごくうま煮と白ワインのジンジャーエール割りでした。

思ったより鍋が小さくて、お肉が飛び出てしまうので、うひいいごめんなさいいっていいながらボキバキ。
慣れないことはするもんじゃあない。

ワインが一番酔うのですけれど、ジンジャーエールで割るとなんか飲みやすかったです。うふっ


一日のとらえかたが、日本は「昼夜」だけど、西洋かな?では「night and day」だから、厳密にいえばクリスマスは24の日が暮れてから25の日が暮れるまでなのよね。
ややこしや。

農耕民族と狩猟民族の違いだったと思うんだけど…忘れちゃったなあ。


ああ、すっかり、離れてしまったんだなあ。
でも、いまの方がよほど「神」について感じて考えているというのがなんとも皮肉。

そして昔からの習慣とか心持ちとかで、この晩は、あんまりいろんな人とあってばか騒ぎとか、そういうのはする気にならないのであります。

静かに静かに。



とかいいながら、さみしいので師匠にいただいた10周年のDVDの頭だけみながらご飯むしゃむしゃ。  

んーー…8年くらい前かな?なんか皆さんが若い~にやにや

まだ自分がフツーに女子高生(!?)で、全然神楽を知らないし、島根なんて微塵も意識になかったとき。
なんか不思議な心地だあ。

島根の女子はスカート長めですが、そこそこ湘南の女子らしくしておりました。うふふふ
中高どっちもタイツが禁止だったから、ミゾレとかの日も先生に注意される手前の膝上スカートでハイソックス。太ももは真っ赤。もー若気のいたりとしかおもえんですわ。今そんな格好したらソッコーお腹壊す自信しかない。
でも脚はいまの方が細いぞ。筋肉消滅しましたからね。


よく考えたら、かめのふかめのふ言うても、かめやまの1/6程度しか大きく見積もっても知らないんだなあって。

それなのに、かめのふかめのふ呼んでもらえて、ありがたいのです。本当に。
かめやまが受け入れてくれるからこその、かめのふなのです。


かめやまを、ずーっと応援しておられる人たちはたくさんおられて、私なんか本当に新参者なので、そういう方にいろいろ教えてもらったりしますが、なんというか…過去のことは正直どうでもよかったりする。

聞いていて、へえええ面白いな~と、素直に思うのだけれど、結局のところ私はその時の社中も人も土地そのものも知らないから共有できないし、若い頃のそれぞれのお顔もいまいち想像つかないからなんとなく疎外感で寂しい感じもするし、なによりも「いま」を見ていたらきちんと過去の歩みはうかがい知れるから。

ワンマンのカリスマというよりも、少しずつ少しずつ皆さんでいろんなものを積み重ねてきての今だと思うから。
そして上に立たれる方が、その場かぎりのかっこよさとか、人のウケとかよりも、神楽の伝統やあるべき姿と、斬新さを求めてどこまで行っていいのかを一生懸命考えてこられて、それに若い方たちが呼応してきたからの今だと思うから。

あ、あと、なんとなくなんだけれど…
社中の皆さんが、前を向いてる感じなのかな。雰囲気的に。
あの頃は…って感じより、これからどうする?どうなる?どうあるべき?というほうに意識があるというか。

時には振り返って、石見神楽としてどうなんだろう?って自問するけれど、常にベストを目指してる雰囲気というか。

師匠以外本当にお話ししませんので、なんとなく、私がそう感じるだけなんですけど。
緊張して話せんのだもん。


昔はどうしたって自分の目では見られないんだから、これからのかめやまを、見つめていたい。
これからの神楽を、見つめていたい。
どうあるべきなんだろう?って考えていたい。
??と思ったら師匠にこっそり耳打ちできる程度には自分を鍛練しながら。


あーねむいなー。


若いししょーがご挨拶されていて、その思いは、ずうっと変わっていない、むしろ強く、深化されてるんだなあと感じたりしたのでした。
はー若いな~にやにや

羯鼓」も、若いな~にやにや


やっぱり、変に飾らなくたって美しいなあ。
いや、むしろ飾らないからこそ美しいんだろうなあ。