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舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

さんばさんば

帰りました。ふうーっ
いつかは、島根でのお正月も体験してみた
いなあ。

それで、「三番叟」でなんで対なのかな?と思ったかと言いますれば、足の運びをみていると、客席から左側奥、橋掛のあたりから、対角線上の柱、客席から手前左の柱へ、そして中央、という動きがほとんどなのです。
三角形と垂直線?
たしか能もおおよそそうなのだけれど。
「三番叟」は踏み固める呪的なニュアンスが強いので、より際立って感じます。
特に中央でダンダンッて踏んでた気がするけど、よくわかんない。

でもそうすると、奥が、手薄になるんですね。

もし客席が東が左なら…秋白大王と冬黒大王ポジション。


だから、塩祓みたいに、対になったり重なったりする相手がいたら、四方と中央が綺麗に踏み固められるのかなーって、思ったのです。なんか世界がつくり上げられそうな。


実は、案外「父尉」とか「翁」がそんな動きあったりするのかな。

そのふたつは、もともと宗教者が担っていたみたいな文を見た覚えがあります。奈良の神社に「翁舞」伝わってるし。
「三番叟」は猿楽。もどき。
ということは、その前の二番を真似ている可能性が大いにあるわけで。


うううーむ

勉強不足。


いつか、師匠と式三番見られたら見たいなー
私には絶対知り得ない感じ得ない面からの印象を伺ってみたいのです。

私は、神楽の所作とか経験、センスは持ちませんので。
違う眼でどのように見られるのか、興味があります。


もちろん、神楽と能楽は違う。
兄弟、あるいはいとこだけれども、違う。


担い手、継承の仕方、存在のありかたと意味。

パトロンの存在はつねに文化を支えてきました。
肩書きは違えども、それぞれパトロンがいたということもまた、継承を考える上では重要。

似ているけれど、違う。

違うから、どっちも生きてきた。


どっちも、生きていくために、生きる場所を別ったともいえましょう。
一方は農民や若者の手元へ、一方は国家の保護下へ。

だけれども、文化レベルの高低差なんて、ありましょうか。

どちらも尊く、いとおしい。

いとおしい。


むしろ、神楽の生きたい生きたいという強い思いが、私にはたまらなく貴くて、いとおしく思えるのです。



ふうー。

というか、神楽の担い手たちにもっとフォーカスを当てるべきなのよね。よくよく思えば思うほどに、すごいことなんだから。
お神輿の担ぎ手とはワケが違う。
こんなこといったらしばかれるかもだけど、違う。

ダンスグループなんかじゃなくて、能楽師や歌舞伎役者が浜田へ来て知ってほしいよ。
通じるところだって、たくさんあるはずだよ。
方言が通じなくたって、心は通じ合うはずだよ。

そうそう、能楽師能楽師だけど、歌舞伎は「役者」。これは余談ですが。


ううう…なんかもどかしい。