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舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

ゆきじゃ

すごく、控えめに、おとなしくお上品に言って、マジヤバイ
去年雲南でしっかりスリップして事故ったので、不必要に出歩くなと言い含められた私、今日の主な仕事は雪かきでした。いででで

何センチとかわからんけど、自分のブーツと同じくらいかな?普通に傘が突っ立つくらいには積もっています。

家に帰っても車いれるのにまた雪かき。そして明日のためにまた雪かき。いででで

道路は溶けかけた雪の塊が凍結で氷の山脈みたいになってるし。
明日が憂鬱であります。

雪国の人はすごいなあ


師匠(お父さんver.)に雪道運転の仕方は聞いていましたが、滑るもんは滑るし怖いもんは怖いで。また事故るかも。ハラハラ


そういえば、大学のときから、いつも師匠がー師匠がーと言っているので、時たま、なんでそんなに話してくれるの?とか聞かれるのですけれども。

たしかに私は神楽に関わらないし、よそ者の小娘だし。なんでかなー?と自分でもなんとはなしに考えていたのですが。
ふと思ったのは、私が訊くから、なんですよねえ。

ねーあれなにーこれなにーどーしてーなんでーの、質問攻め。
親の代わりに、車のトラブルとか、いろんなことを聞いたりもしますし。


でも、師弟ってそんなもんだともいえる。


ききたくて、その人から学びたくて、弟子入りするんだから。
ホーネンさんが、クニヨシさんの弟子入りしたのだって、そうでしょう。クニヨシさんが、お前を弟子にしてやるからついてこいっていうわけではない。

イエス様は、十二弟子に出会い頭「私についてきなさい。人間をとる漁師にしてあげよう」という、よく考えれば謎な口説き文句でナンパなさったわけですが、とかいったら殴られそうですが。
弟子にしてあげよう、とは言わなかったし、それで弟子としてついていくか否かの決定権はあくまでも弟子たちの方にあった。
十字架にかかられる前に弟子たちが裏切ったときもなお、その決定権は弟子たちにあったわけで。


なに言いたいのかわからなくなった。


ようは、聞かにゃあ教えてくれないってことかなあ。

求めなくともわあわあ与えてくれるのは、親と教師。
基本的には乞わないと教えてくれないことのほうが多いはず。仕事もある一定の時期を越えたらそうだし。

言わずとも与えられることに慣れてはいけないのかなあ、と思ったりもいたします。


というわけで、これからも師匠に質問攻めするだろうし、それをモグモグしながら師匠がー師匠がー言い続けるのでしょう。