舞ひあそぶ

神楽のこととか、備忘録の掃き溜め。

ちょびっとつづき


昨日の続きで、ちいとおもったこと。

昨日は、大層な人入りでした。
年齢層高め、インテリな感じの人がたくさん。


もともとは敷居を高くすることで生き残った芸能なので、ジーンズやサンダルはNG、着物がベタ、という感じではあるし、自分もあんまりジーンズとかサンダルではあんまりいった記憶はないかな。
特に能楽堂は、演者のためにだったか、室温が低めなことが多いので、サンダルは夏でも寒いのです。

一日延々と能をやっている日があって、何回か、朝からでかけて時折うとうとしながら、座席でのーんびりくつろいで夕方まで見たこともあって。
あの感じ、心地よい。

自分は、あんまり大きいとこには行かなかったので、運が良ければ、こじんまりとした能楽堂で、謡と囃子に埋もれながらその空間に身を浸せるというか。

そういう経験ができたから、今の神楽の楽しみかたみたいなのがあるのだと思います。


でもでもでも、一昨年かな?美保の薪能の時もちょっと感じたのだけれど…まつえでの能は、なんか居心地悪い。
かたすぎて。
空間が遠い。
観客が近すぎる。


武士文化が根付いているし、文化レベルが高いのかな?みたいにいわれたけど…
本当に高かったら、もっと佐陀神能あたりも生き生きしていただろうに。
金銭的に能楽堂はつくれなかったかもしれないけど。

でも、城を、ボロボロにさすような人たちやん。
大半、撃沈して寝とりますやん。

悪口言いたいのではないけど、なんかもやもや。

なんていったらいいんだろう。

なんか、複雑な気持ち。


ハイカルチャーへの興味感度、知的好奇心的なものは高いのだと思うのだけど、神楽の時とみんなの態度が違いすぎてね、なんかね、もやもやしちゃうのよ。
媚を売っているような。

先人たちが大切に大切に守ってきたものは変わらないのに、それを、誰が、優劣、文化レベルの高低を決めていいのでしょうか。誰にそんな権限がありましょうか。自分達の一番そばに寄り添ってきたものを、どうして卑下して蔑ろにしていいのでしょうか。

卑下が美徳?それで失ってしまったものは、もう戻らないのに。
誇りと魅力がなければ、義務だけでは、本当の後継者は生まれないのに。



ふぐぐぐぐぐ…苦しいよう


文楽が偉いなら、益田の糸繰人形も偉いんだ。
むしろ、希少で、残してくれてありがとうなんだ。
でも、なんで、そっちにもっと優しい目を向けないの。

なんで、何を根拠に、能楽は偉くて、神楽は三の次四の次なの。とりあえず呼んどけみたいな。なんで、そっちにもっと優しい目を向けないの。なんで「とりあえず」が通用することのありがたさに気がつかないの。


それは、島根の人みんなに言いたい。
継ぐ人にも見る人にも。


神楽があって当たり前なんじゃあない。

ぐぬぬぬぬくやしいいいい



みんな、変わらずいとおしいのに。



ああ、あつくなって脱線してしまいました。
落ち着けー。ふうふう


そうそう、それでね、一階の後ろから2列目で思ったより後ろでびっくりポンしたわけなんですが。
そんな遠くから見たのは、相模国一宮の薪能くらいなんですけど…あのときは自然の囃子と相まってなんも見えないなりに、そこそこ気持ちよく、寒さに震えながら居た記憶があるのですが、それとはまたちょっと違う、ひたすらアウェイ感。

いつも以上に傍観者だったのかな。

神能あたりは比較的見る人は空間の傍観者、石見では空間の共有者、みたいな違いがあるんですが、その傍観者の最たる感じ?

入り込めなかった感がある。



うーん。

はじめての人たちだったから、自分的には慣らしだったのかな。



カジュアルだったり、なんかいろいろ挑戦してみたり、能楽もするのですよ。
ちなみに能楽は、能と狂言を合わせての呼び方なんだって。

能も狂言も。

舞台神楽と一緒で、ホールでできるのです。
奉納神楽と一緒で、神前にも奉ります。

柔軟に、柔軟に、時と場所を見ながらそっと寄り添う芸能です。能楽も、神楽も。人と神とが楽しむ芸能です。

生きていくために、使い分けだってします。

でも、ホールでできるんだけれど、舞台演出だって時には受容するんだけれど、やっぱり、そのものが生きてきた場所、地域のお宮、能楽堂での、そぼくな舞が、やっぱり一番のごちそうなんだよなあ。


あ、よく考えたら、神社での能楽の奉納って、だいたい舞台を組むので、拝殿とかで舞わないんじゃないかな。それともそういう小さいとこに呼ばれたことがありませんとか?
それはあるかも…



ふう。
ちょびっとが長くなってしまった