舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

おなかぐーぐー

なんか久しぶりな感じでござる。
ここのところずーっとイライラがひどいのと、眠りが最悪なのに耐えかねて、先週ついに薬を買って飲み始めたら夜何かする気力がなんにもなくなりましてな。良いんだか悪いんだか。常用しないように気を付けなきゃ。

一昨日昨日となんかたっぷり甘やかされて、今日は一日うだうだの日。そしてご飯を食べ損ねている。
頭も体も痛いので途切れ途切れに本読んだり寝たり家のことしたり寝たり。

はあなんて自堕落ー。


本とか読んでのメモをいろいろ。かきかき。


ちょっとソースは怪しいんだけれど…
絵本の構成とか、読み聞かせについてネットで読んでいたら「結末を知っているからこそ」物語の世界を冒険できるとあって…
神楽を含む「約束事を楽しむ芸能」もこれに当てはまるんだろうなーと思ったのでした。
時折師匠が話しておられる、漫才の鉄板とか、チャリにおける鉄板とかそういうのも、「オチを知っているからこそ」やりとりを楽しめるんだろうなあ。

でも同時に、それは暗黙の了解でもあって、オチは知っているが皆までいうな、なのよね。
誰かの口によって種明かしはされたくない。

なんて難しい乙女ゴコロ。
だいたいおじさんだけど。



あと、恩師にいただいた本を読んでいて興味深かったのは、江戸時代には、既に舞のなかで花火プシャーする演出が生まれていて、それがウケてたってことね。
興福寺の延年舞だったかな。
扇に花火仕込んで燃やしながら舞ったり、華やかで凝った装束で舞ったり。
最近になっての、やもすれば"過剰演出"なのかと思いそうなのが、既に先人たちがやって楽しんでいたというのはなかなか面白いし、しかも宗教者が率先してやっていたという。
現世とか煩悩にしがみついとるやないかいという気もしないでもないけど、たまのお祭りだから、とっておきのことをしたい、人を驚かせたい、楽しみたいという思いは昔も今も変わらないんですなあ。

師匠が、生活と共に生きてきたからこそ、お祭りでとびっきりの衣装と演出で、人も楽しむ神にぎわいは、形は違っても昔も今も一緒、って言っておられて、なんか納得。
いまはいろんな情報や人や思惑が、コミュニティの内外で入り乱れるからややこしくなるんかな。


先生が書かれた本は、なんか先生の声が聞こえてくるようで、愛情が感じられるようで、読むのが楽しい。ボリュームがそこそこあるので、なかなか読み進められないけど、じっくりじっくり。


あとは高千穂の本を読んでるけど、こっちはちと読みにくい。

でも、興味深いのは、こっちはあんまり神楽歌とか、舞い遊ぶ神々とか、ビミョーに合致しないのね。
一方は面白いくらい地域や舞いぶりを越えて神楽歌が似通っているのに、こっちは似ていない。
岩戸信仰とか、影響は与えていないはずはないんだけれど、神楽形成における重要な部分を担った宗教者が多分違うんだろうな。

東北の神楽も神楽歌がわかる文献がほしくなってきた。うずうず。


一週間の半分働いて半分自堕落プラス勉強・フィールドワークで、いまよりちょっとだけ余裕のある生活ができたら、私とっても幸せ。
ま、夢のまた夢。