読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

時速40キロ

いまスマホをいじっていて気付いたけれど、中指の爪を切り忘れている。あれまあ

落ち着いたし薬ひとまずやめようと思って昨晩飲まずに寝たら、寝付けないわ何度も目が覚めるわ散々だったのでまた飲んでしまったよ。あーねむねむ。あたまいたー

今日は一日なんだかどこへいっても前の車が40キロで走ってる日でした。あーあ。たまにあるのよねー。
きっと外回り仕事あるある。



温故知新。

故きを温ねて新しきを知る。


言うのは易し。


古きを知り、尊ぶのは大切なことで、それは文献だけではある一面しか知り得なくて、古老の言葉とか、土地の記憶とか、あらゆる面、パーツパーツを組み合わせながら、思いを馳せること。過去だから、想像しながらなことも多い。
そのなかで、「古きを継いでいる」存在がどれだけ貴重であろうかと。
だから、あの手この手、良いんだか悪いんだかいろんな方法で保存、時を止めてしまおうと、ずうっとしてきた。

ふと立ち止まったとき、あるいは迷子になったとき、道しるべにはなる。

でも我々が意識をして思いめぐらさなければならないのは、それがいつから"古い" "伝統"と呼ばれるものになったのだろうか、ということなのかなとも、思うのです。

それは後世の人が判断したことであって、もともとはその時代その時代で流行ってきたこと、面白かったこと、あらゆる"最新"であったはず。
それがいつしか、失速したのか、世界が速すぎたのか、あるいは止まってしまったのか、古いものとなった。

もちろん残っている、伝えている、継いでいる、それはものすごいエネルギーを使うこと。偉大だなあと思うし、ありがとうって思う。素直に。だから、敬意を払うし、尊敬する。
ただし、胡座をかいていいかは、それは違う話。


むかーしむかし、
衣装も、面も、見せ方も。
ああなんてイケてるんだろう。ああ真似したい。どうせならもっとかっこよく。もっと、もっと。そういう気持ちが、本当はあったと思うの。自分達ができる範囲、調達できるもので、どうしたらいいんだろう?って考えていたと思うの。

それがいつしか、気がついたら古式になっていた。

どこで止まってしまったのかは、よくわからないよ。
きっと主に昭和あたりなんだろうと思うけど。



知り得ないから、思いを馳せる。
いろんなパーツを拾い集めて、たずね求める。
真実とか、答えとかじゃなくて、なんかもっと小さくてはっきりしない感じ。主観の寄せ集めみたいな。

それをごっくんと呑み込んで、なんか新しいものがまた出てくる。
感覚とか、知識とか、思いとか。

それがまたながーいながーい目で見たら、文化となっていく。いろんな人の吐き出した新しいものがまた、寄せ集まって大きく大きくなって、文化となっていく。


そのなかには、ちょっと思ったのと違って一発屋的な感じとか、物理的とか何らかの事情で分断されたりとか、するものらもあるんだと思う。あるもんなんだと思う。
でもそれらもまた、いつか誰かが、気がついて拾うかもしれない。


私の考える温故知新。
絵で描いた方がイメージわきそうだけど、なんたって絵心ない。

理念とするかめやまは、師匠は、どういうふうにその言葉を考えておられるのか、いつか聞いてみたいであります。


ともあれ、多分、いままでは、そのサイクルがゆっくりゆっくりだったんじゃないかな。時速40キロかそれ以下。

それが、気がつけば今は超加速していて、常に首都高を走っているような。
でも、気を付けて。
スピードの出しすぎは事故のもとだから。
煽ったらダメだから。
なにより、気が短くなるというか、セカセカセカセカして他者に優しくなれなくなっちゃうから。

時速40キロで、春の風を感じながら、景色を楽しみながら走るくらいが本当は良いのかもね。


と、思うけど、打ち合わせに遅れるからほどよい速さでというか、せめてやたらブレーキ踏まずにコンスタントに走ってほしいぞ。


朦朧。何いってるかよくわかんないな。からだがだんだん重くなってきた。