舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

種を蒔く人

さあ、今週末、4月の第三土曜日は石見神楽の東京公演ですね。

不思議なことに年間を通してそれで検索してこられる方がおられるようで、それだけ関心のある方が一定数おられるんだろうなあと思ったりして。

なんか参考にならんようなことばかり垂れ流していて申し訳ない感じですが。まあ愛だけはある。

もちろん、行きますとも。かめのふだもの。
というか、仕事かかめのふかじゃないと帰らないですからね。もし亀山が行かなくなったらどうするんですかね。


いろいろとおっしゃる人もおられますけれども、そもそも何故亀山なのかといえば、それは実行委員さんの強い想い故なのでしょうが、それにしたって、助成をとらずに毎年公演することがどれだけ大変かと。
社中の想いとか、どういう状況?で行っておられるのかを多少なり知っているだけに、自分としては行くことで、あるいは周知することで、ほんの少しだけ応援できたらなあと思う次第なのです。
ただ、行政は自分たち噛んでないからPRもなんとなくあんまり乗り気じゃないよね。ううーむ。
石見とか、神楽とか、その他とか、PRするいい機会なのにね。

観光資源にするにしろなんにしろ、よそ者に知ってもらわなきゃそもそも始まりませんと思うのですが。

まあまあ、いいや。


ただ、よそ者も心にとどめておくべきは、
石見神楽亀山社中を見れば、石見神楽を知ったことになるとはいえない。
もっと神楽は複雑で深遠。
当然、大元神楽見たからって石見神楽を知ったことにもならない。
いろんな顔を持っている。
亀山はその顔の一面でしかない。
そのなかでも「神楽」でありながらどこまでいけるんだろうって、綱渡りをしてる顔。

まあ、いろいろ思うことのある人もおられましょうけどね。
いちいち説明するのもなんか違うしな。


はあ、神楽ってこんなこともできるんだなあ
こんな神楽もあるんだなあ、っていう楽しみかた。

そもそも石見にはいろんな個性のある神楽があるから、亀山がすべてではないし、自分の好みに合う神楽がきっとあるんだと思います。
誰かの好みに合ってるから、たくさん団体があるんだろうし。

誰も求めなくなったら、消えるしかない。


師匠は、
自分らぁは巡業なんよ。石見に、本場所に来てもらうために、知ってもらいたいから行くんよ。だから、どっちかというと営業用。
みたいなことをいつも言っておられて、相撲はよくわからんけど、ははあなるほどーと思っていつも聞いてるんですけれども。

私がそれを自分の言葉でいうとするなら、
彼らは"種を蒔く人"なのだと思うのです。

受け取り手、つまり種の落ちる場所によって、それは毒麦にも大木にもなるんだろうけれど。むっかしから思うけど毒麦ってなんやねん。まあいいや。

石見神楽という種を蒔く。

そもそも蒔かなければ芽を出すこともないし、実をつけることもない。一粒だけ蒔いても、それが芽を出すとは限らない。一度っきり蒔いても、それも芽が出るとは限らない。

たくさん、継続的に蒔いていれば、きっと、ほんの少しだったとしても芽が出て青々と葉を伸ばすかもしれない。

ほんの数人だけでも、石見へ来て祭りを体感してくれるかもしれない。石見という土地を愛してくれるかもしれない。


師匠にとって、私自身がその若葉のひとつと思ってもらえたらいいなあ、といったらおこがましいけれども。
でも、東京公演が、石見神楽をライフワークで見たい、フィールドにしたいと思ったきっかけであるのは間違いないのです。

伝統あるところには、みんな行くけれど。
ちょっと違うんだよなあ。ううん。

また酔っぱらって何いってるかわからなくなってきた。そんな寝台特急