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舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

私信と私心

ドキドキはじめての免許更新!わっしょい!
なんと前の写真より若返って、ちとご機嫌。いいカメラですねー。
坊っちゃんとか、かと思いきやおばさんとか、散々失礼なこと言われまくってるけど実はこっちのが若げに見えるのかしら。むむ。どういう髪型がいいのかなー。

頭と言葉をまとめるのがトロすぎて、返信とブログがこなせませんので、ひとまとめにさせていただきたく。こりゃまた失礼。



まず、私と島根の関係的なのを含めていえば、「神楽が好きでIターン」との認識で問題はなく。
最近は特にこれで、イコール 私、という感じが周辺にできつつありますので、ちょっと身バレ警報。

神楽好きが高じて石見へ移住の話は、顕著なのは温泉津の辺りでしょう。言及された某氏を巻き込んで、最近はいろいろと動きもあります。
これの原稿がでたときは、私は就職終わって卒論のフィールドワークの最中。裏話もあるけど裏なので。

懐かしいなー。師匠に、お世話してください!ってお願いしてから本当にいろんな方にお世話になったなー。
ま、いまもだけど。


そういう自己紹介を一般にしていると誤解を生むといったところで、それが「神楽」なのか「石見神楽」なのかの違いなだけで、あながち嘘でもないことだし、誤解されたところで誰が困るのでしょう。誤解した人?私?その他のそういう人?

石見神楽が宣伝として利用する、というのがよくわかりませんが、したければすればよいのだと思います。神楽が宣伝するんじゃなくて、あくまでその周辺の人たちですが。

どうであれ、そういう生き方、好きなものがあるから好きな場所で生きる、それが島根だった、というロールモデルのひとつであればいい。そういった文脈で、私自身は利用されているし、それを許容しています。

少なくとも、ある誰かにとっては、それほどまでに、石見神楽が価値のあるものであることにはかわらない。

あえてこのタイミングで、私は石見神楽より島根ゴーゴーが先、と申し上げた理由は、私という人間を分析なさっているんだと思いますが、違うから違うといったほうが優しいかなと思っただけのことでした。



神楽と女性について。

これが一番いいたかったのですが。
そもそもが、神楽って「男性の」芸能なのですよね。
能楽も同じ。歌舞伎は、もともとは阿国のかぶき踊りに始まって当初の担い手は女性で、それが卑猥だなんだっていって若衆歌舞伎、野郎歌舞伎となっていまに至った経緯があります。白拍子とかもあることを考えるに、「踊り」は女性が主だっていたのかもしれない。日舞とか?
あーでも鹿踊りは男性だったなあ。田楽踊りはどっちが多いんかな。早乙女が女性で囃子は男性?

話ずれた。

能楽や、神楽…全国的にほぼ当てはまると考えられる、芸能は、むかしっから、男性。
だから、「巫女神楽」というのはそれ以外の里神楽と明確に区別されています。

なぜなら、宗教に関わることを、男性が担ってきたから。多分、大陸伝来の儒教とかあの辺りが入ってきて以降でしょう。
現在の日本において、宗教世界のなかで女性が優位なのは、琉球文化圏ではないでしょうか。
ヤマト文化圏では、男性。
巫女だって、巫女よりも神職のほうが上。

話は戻って、多少の例外もあるとしても、宗教者であり芸能の担い手であった修験山伏が、土着の神職となり、中心となって神事と合わせて執り行ってきたものを、明治期に軒並み農民へくだした。
農民というのは、おもに青年たち。

高千穂だったかな?今でこそ炊きだしとか裏方を女性がやって祭りを支えているものの、本来は男性がそういった支度も全てひっくるめてやっていたはず。
あとは、どこだったか、実は土地に根付くといっても昔神楽を見ることができたのは、ある程度寄進?お金を奉じた家の家長のみであった、とかそういうのがあったと思います。

ということは、本来「神楽」という場に女性は不要だったのかもしれない。
大陸伝来の思想が強い時代はなおさらに。


男女が仲良く集って楽しむには、歌垣とか盆踊的なのとか、別の場があったから、神楽はあくまでも神事とか悪魔祓いとかが主目的なので、ほんと、今みたいにみんなで楽しくわいわいは、もっと後世だと思います。江戸末期とかではないかな。


石見神楽に限らず、そしてつい最近に限ったことでもなく、ノボセとか、狂いとかはいる。

花祭には「花狂い」と呼ばれるノボセの女性がおられて、ものっすごく前から花祭の時期には来て、一緒に舞い遊んでおられました。
資料写真とか見てると、かならず写ってるというくらい。あそこまでいくとすごい。
最初は、えーなにあの人ーくらいだったんだろうけど、もうずうっと来られるから、地元の人も、その人がいて当然。一緒に舞っているのを囃したりだとか、自然に受け入れてる感じ。
先生が、あの人はすごいのよって、いってたとおもう。

折に触れて示唆する通り、「石見では」と断定したり限定して論じたりすることは、実は難しい。あらゆる地域で見ることができる事象はそこそこの数あるわけで。
総合的、多角的に、中から外から、見聞き理解して、知り尽くしたときに、はじめて断定ができるんだと思います。

そこまで到達していないものを、知ったふう、あるいは常識であるふうに断定したり、流布したりすることは、結局某大先生とか、先人の困った君たちとなんらかわりありません。

と、思います。


あ、誰に聞いたかな。先生だったかな。
女性の追っかけ、ノボセが増えたのは、社会的要因が少なからずあるのとか、いろいろ要因があるんですよね。社会学的領域に入る感じ。

が、"ちやほや"については、たしかに主語は「メディア」やビジネスとしてみている人でしょう。

まーでも、女の子がいると頑張れる!というのが、神楽以外のところから聞こえてくる声。
そこんところは師匠とかに聞いてみないとわかりませんが。


本音をいえば、逃げるつもりが最初から頭にあるのなら、変に構わなければいいのに。一生懸命生きている神楽にちょっかいかけなければいいのに。と、感じています。



やっぱりすごく時間かかったなあ