舞ひあそぶ

神楽のこととか、備忘録の掃き溜め。

まいあそぶ

最近つとに思うのが、結局のところ大いに思考して知り得ない世界を垣間見て楽しむためには、衣食住と心身が調ってないと難しいんですわね。

考えたくても、今日のご飯どうしようが頭のなかを占拠していたらいけんのです。


心も荒れ荒れなので、途中だった恩師の本をまた途中まで読んでみた。
先生の本は難しくて一章ずつ進むのが精一杯なんだけど、なんだか読むのが楽しい。先生の声が聞こえてくるようで。中世の芸能への愛がモリモリで。
最近こういうひたすら愛を叫んでる本を読む機会少ないな。


で、また神楽とかについても通じそうなこととか。めもめも。

平安後期から中世にかけて、新嘗祭のときに行われた五節という…ようは宴会芸的な?のが宮廷であったみたいで、それがまあ時代を下るごとに盛大な乱舞となったらしい。「芸能尽くしの宴」とな。

もとは、貴族たちが、娘の宮廷出仕の絶好のチャンスとして、天皇を前に舞を奉ずる娘たちをとびっきり美しく着飾り、つかいの人たちや控えの場をいかに美しくしつらえるかとしのぎを削ったのが、院政になって外戚関係とか望むどころじゃなくなって、自分達が楽しんじゃおーぜーに変化していったらしい。
だんだん、娘たちの舞メインから、今様とか白拍子とか?即興で舞っちゃうとか?

モノクロだからわからんけど載ってる絵巻の人たちの頬が赤く見える。しこたま飲んでそうな感じ。

行くとこまで行くと、もう、帰るのも名残惜しくて、宴でやった芸能とかをもう一回ループしちゃうし、それぞれ立つたび歌を歌って足を踏み鳴らして帰ったらしいとか。

どんだけ好きなんじゃ。

というか、一番上のほうがそうやって舞い遊び狂っていたんだから、そりゃあ、下のほうも熱狂するも当然なわけで。
雅楽が公式にせよ、もっと世俗に近い芸能もまた大いに楽しんでいて、同じようなものを上も下も見ては喜び笑い享受していたんですね。


結局この構図って、特に今の石見とか、本当に変わらんのじゃないかなと思うのです。
芸能の本来の姿って、こうなんじゃないかなって思うんです。

みんなが楽しい。みんなで舞い遊ぶ。
上も下もない。
人を唸らせる名手は評価されるし、反対に身を持ち崩し滅びる人もいる。

その前段階として
天皇であったり、神であったり、一番敬っているものの前に立つとき、自分のもてる一番の設えで、一番の美しさで、一番のセンスで着飾る。
そのさらに前には、新嘗祭とか秋祭りのように一番の初物、一番良いものを捧げ奉る行為や心がある。

儀式として、心構えとして、それは踏襲しつつも、やっぱり自分達も楽しみたいよね、という気持ちがだんだん出てくるのでしょうか。
みんなでわいわい、酒を飲み交わしつつ、歌を歌いつつ、時には体も動かして、舞い遊ぶ。

そしてそれが、天皇や神を喜ばせる。

ある意味これが日本人、大和のDNAなのかな。


それが、宮廷だって辻だって戦場だって関係ない。
いや、だからこそ舞うのか。今この時この場所だからこそ舞う。歌う。この時代だからこそ。


乱舞の系統でいくと、僧侶もまた担い手らしくて特に奈良の辺が多いのかなあ。延年というと、なんか岩手とか奥州藤原氏、平泉なイメージだけど、その元祖ってよく考えたら都だもんなあ。

なんと読んでたら我らが頼長殿が出てきた。ビックリしたなあ。もう。
クッソ真面目な頼長殿は「僧に似つかわしくない」って眉をひそめちゃうくらい、舞とか歌とか、そういった身体表現が自然と出てくるような時代だったんだということなのでしょう。

それがまた、身分を越えて心を通わせることもあったりして。きっと、頼長殿はクッソ真面目すぎてその時代に適応できなかったんじゃないかとも思うね。うん


読んでいると、抱腹絶倒な乱舞で超大盛り上がりしたで、みたいな記述も結構出てくるんですが、抱腹絶倒する乱舞って想像つかなくて、当時どのようなものが舞われていたのか本気で気になる。

岩戸でも、ウズメちゃんが神楽を奏して神々が大笑いしたってあるけど、もともと、多分少なくとも古代から中世は確実に舞と笑いがセットだったってことよね。
それが「舞」なのよねえ。
「踊り」じゃない。

今はどちらかというとそういう要素は「踊り」が担っている気がする。
そもそも「踊り」が発生したのはいつの時代なんだ?

一遍のなんとか踊りは「踊り」だし、阿国のかぶき踊りも「踊り」。時代がよくわからんけど。
一遍は鎌倉か?
うちの近くっちゃ近く、地元ら辺にたしかお寺あるし。鎌倉仏教だったかしらね。
むむむむむ


今神楽で抱腹絶倒系というのは、全国的にいわゆる男女和合・五穀豊穣系。おかめとひょっとこ、翁と嫗がポピュラーじゃないかな。

石見でいえばチャリだけど、チャリ舞は案外男女和合系少ない。
「五穀種元」くらい?五穀豊穣を表してるから、あれは大元信仰の名残というか、大元祭りの時にはすごく大切な舞。なくしたらいけない舞。って、師匠もいってた。
「大蛇」でじいじとばあばがいちゃつく時があるけど、あれもこれの部類なのかな。

でも、「八十神」「日本武尊」「黒塚」「五神(の使い)」、おおよそやられる「貴船」とかとか、あれは男女和合じゃない。なんでだ?
これだけ全力で笑いをとる系で、男クサイのって珍しいと思う。多分。

とはいっても舞で笑いをとってる訳じゃないしなあ。

舞で、腹がちぎれるほど笑うってどんなんなんだろう。見てみたい。それを目撃しにできればタイムスリップしたい。


これだけ妄想させる先生はやっぱりスゴい。
はあ。

至極の舞と楽の空間のなかに身体を浸してそのまま空気中に粒子となって溶けて無くなってしまいたいよ。