舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

へのへのへ

どうにも、体がいたしい気がしますよ。わからないけど。

日曜日に発生した口内炎が、実は3つあって、順調に大きく育って、今回は加えて何故か唇がやたら腫れましてね、ナチュラルにへの字になっていますよ。

弟まあさんみたい、と思ったけど、改めて写真見た感じ、兄まあさんも弟まあさんもわりと口はひん曲がってないのね。

はあー痛いわー。喋りにくいわー。

噛んだというより、潰瘍のほうっぽい。

どこかでリセットしないと、ちょっとまずい予感。去年もヤバかったけど、トータルでは今年のほうが不安。

疲れ…といっても睡眠はそれなりに取っているはずなので、なにがどれが原因やらやら。


嫌だなあああ

再燃すると、痛すぎて動けなくなるので、やれません。嫌だなあああああ


なんかいいことないかなー。


もうちょい、精神削られない生活って、無いもんなんでしょうか。



そんななんかもう、なんかもう、みたいな毎日を過ごしておりまして、今日も今日とてたい焼きくんは運転をしながら、幸せの形について考えたのであります。

自分が一番理想とする、幸せってなんなんかな、って思って、一番最初に浮かんだのは、
好きなとき、思い立ったときに、サクッと好きな場所の神楽を見に行ける、財力と時間と心の余裕、教養があること。

って思って、いやー待て待て待て。
それは大資産家の娘に生まれ直しましょうね、という話なんじゃないの?と思わずセルフツッコミ。


お金と時間、教養がある、資産家。

努力必須とはいえ、普通より、選ばれた人たち。

はたと、民俗学、芸能学の視座の礎を築いたのはそういう人たちではなかったか、と思ったのです。

世に影響を与えた書を書き残したのは、そういう人たちではなかっただろうか。


幅広く、深く、踏み込んではいる。
でも、あくまでも一面を写しているにすぎない。
お客様、な視点。

受け入れる側が、はいはいどうぞどうぞ、とお膳立てしてあげたところから見る祭り。


わたしは、かつて、彼らの本でそう感じたのではなかったか。

だから、わたしは、彼らと違う道を選ぼうとしたのではなかったか。


だから、わたしは、島根に来たのではなかったか。


だから、石見神楽だったのではなかったか。


それを忘れてお金だ時間だ望んでいる限りは、その他大勢の研究者の足元でキイキイ喚く程度の面白味もないじゃあないか。
いつからそんな低俗な思考になったんだい、わたしは。

いま、直近で、ずっとお金の心配をしているからかもしれない。だけれど、反省。あまりにも落ちぶれた己を今とても恥じている。


そこから先、考えを巡らす時間がなかったから、それ以上もそれ以下も進んでいないのだけれども、ああ汚れちまったなあと、悲しくなったのでありました。



幸せねえ。なんだろうなあ。