舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

土足の来訪者

一人暮らし三年目、ついに、ついにやつが来た。
茶色くてテラテラした、不快なあれ。土足厳禁ッ!!

最後に包丁握ったのがいつなのかわからない程度に人間辞めていたので、反省しかないわけなんですが、久しぶりにスーパー寄ったら青ネギが98円だったので、じゃあ切って冷凍しましょうかねとか思って台所に立ったら飛び出して来おった。
ほんとにヒエッて声が出た。キャーではない。

しかし、出現は想定していないので、気の利いた撃退グッズなんてあるわけもなく、たまたま沸かしていた熱湯で滅したのでした。
お前は俺を怒らせた…ビジャアアアア
隠れてたのに、わざわざ飛び出して悶えて、片付けるのにありがたいやら最後の最後まで気持ちが悪いやら。

今年一番の憤怒の表情だったに違いない。

洗剤かけろやら、捕まえて叱って放りだせやら言うけどさあ、無理だよね。うん。そもそもそんなトロくないよ。私がトロいよ。触りたくもないよ。

ただでさえ疲れてるのにもっと疲れたー。
ごみの日の前の晩で良かったー。


昨日は昨日で、日曜の振休で、えっちらおっちら邑南の中野さんの神楽にでかけたら、真っ暗で、?!ってなって里人里人にお尋ね候わば、なんと9日の晩に終えたと仰る。
終わったものはゴネても仕方のないことなので、泣く泣く帰ってきたのが、夜中の3時。丑三つ時も過ぎた頃。
途中多伎で撃沈したからね。平田から先がもーエラくて覚えとらん。


なんてこったいだわほんとにもー。




そうそう。
神楽が別に好きでもないというか興味がないという人にとっては、どうして毎回同じ演目を飽きずに見ているのかが不思議で仕方ないというふうに言われるし、そういう顔をされるんですけれども。

同じ演目でも、違うから楽しいわけで、そういう意味でひろしまのほうのいつなんどきも変わらないクオリティで提供くださる地域の神楽は、ちと合わないかなと思ったりするのね。

見ていたら、全く変わらないなんてことは、ナマモノだからないにせよ、ほんとに、いつ見ても変わらん感じなのよね。


それで、同じ演目なはずなのに、あるいは同じ人が舞っておられるはずなのに、なーんか違うなーピンと来ないなーとか、なーんか変わっちゃった気がするなーとか思うときが、ほんとたまーーに、あるんですけれども。というか、多分最近なんですけれども。

最近師匠が優しくしてくれてるのでせっせといろいろ聞いているついでに、訊いてみましたら、…何だったかいな。眠くて思い出せん。

舞じゃなくて、小技、見せ方に意識がいくと、そう感じられてしまうんよ、というようなことを仰ってた気がする。

次はこうしちゃろうとか、そっちに集中しちゃって、舞そのものの所作とか、面の持つ性格だとか、そういった芯の部分が二の次になっちゃうのね。
面との対話ではなくて、自分との対話に終始してしまうというか。

そして、大体においてそれが観客の求めることと合致するとは言いがたいので、きっと違和感を生じてしまうのね。


変えようと思わなくても変わるんだから、無理して変えなくてもいいのになーとか、私は思っちゃう。
基本がまだやわやわ柔らかい状態で、所作を崩そうとすると、品がなく見えるのね。イヤらしい。

萬斎さんだって、基本がすべてっていってたよ。たしか。

基本、基礎が、しっかりと心身に打ち込まれていないと、応用はできないってこと。たとえ、できたつもりでいても、それは芯がないゆえに危うい。見かけ倒しのハリボテだってこともある。


私自身はどうなんだろうか。


他人の目の中の棘には気が付くが、己の目の中の丸太には気が付かないといわれないように、私も基本、基礎がないといけんなあ。
見る目を、耳を、肌を、心を、養うためにも、見続けないといけないということなのでしょう。
身の内にないからこそ、

ねむいからおわり