舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

はいごんはいごん

夜中の3時くらいまでかかって、なんとかミッションは遂行しまして、案の定、寝坊したハナ金。会社は間に合ったけども。
モーニングコールで目が覚めたけど、多分、意味不明な言葉を発していただろうし、自分がなに話したかも覚えていません。

わやくちゃなところに、母きたる。
もーーーはいごん。大騒ぎ。

ずーっと喋り続けているので、去年録画しておいたきすぎたかおの番組かけてそっちに意識を向かせてその間にブログ更新して寝ようという魂胆。


近頃は、ながはまさんのはなしを師匠から伺うこともあるのですが、聞いていて、新しい視点というか、あーなるほどね!たしかにね!と思ったのが、
神職の神楽組がわかれたとき、それぞれの得意演目の面を持って帰った。
その点からすると、鬼舞の名手は、ひなしにいた。
でも、ながはまは、面を作れる根付職人がいた。ほかの、職人もそろっていたし、財力を持っていた。
だから、無ければ作りゃ良いわぁ、で面を作ったし、発展させていった。
今でこそ古きものに価値をつける時代だけれど、それまでは無ければ作りゃ良い、古くなれば作り直せば良い、だったろうし、それに応える技術と財があった。
…それが、今のもろもろに繋がってるんじゃないかなあ、というようなこと。

無ければ作りゃ良い、というのは、何となくいままでのいろんな点が繋がる感じがして。


BGM あるとなかなか思考に集中できんなあ


しかもたぶんあれよね、どーせ新しく作るんならもっとこうしちゃろう、ああしちゃろう、があったろうし、あの地区のすごいところはそれに応えられる技術があったということ。またそこに出資できる財があったということ。
それと、時代の流れ。文化的素養。
受け皿となる人々。
新しい文化というか、そういったものが生まれうる動力源が揃っていた。

それって、すごい。
前線だったんだなあって。
それもあってこの前の益田で見た地図みたいなのに「長濱浦」とあったのは、ふおおおと思ったですよ。


でも、いまは、むかし。時代は変わりました。
彼ら自身は、もう変わってはいけないというか、できるなら「保存」しないといけない。

でもねー、コピーもいけんしねー

ナマモノは、難しい。



んもおおお集中できんので、ひとまずこのくらいにしますが、価値判断をするのはいま同時に生きてるひとではなくて、後世なのよね。