舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

書いたり消したり書き加えたり

いくらヒモノでも、お肌のケアは多少気にして潤わせとかんと、乾燥カイカイささくれイテテになって自分が辛いことに気づいた。
自前の水分じゃ補えなくなってることを悟る25歳。
こ、これが加齢か…こりゃあ本物のヒモノになるでぇミイラやでぇ


今日はひじょーーーに凍結でございまして。
道路がつるっつるぺかっぺか。反射するくらい。
いつもの道で4,5組くらいどっつんことか自爆とか脇にいて、たぶんいままでで一番事故車見た気がする。
ヒヤヒヤ。体はバキバキ。
田んぼんなかの川をまたぐ橋がですね、まーこりゃこりゃ滑る。上がり口で一瞬滑ってほんとに焦った。
事故渋滞と凍結で陸の孤島状態だったので、午前中は全部キャンセルで引きこもり。ふう

明日も凍ってそうで嫌だなあ。

つかれてねむい



さいきんはしなくなったけど、前に台本もって歩いていたときに、なんか歌が迷子になったり、いろいろ聞いててなんか聞き覚えないなとおもったりすることはある訳なんですけれど

師匠が、台本にないことを書いたり消したり書き加えたりして歌ってるんだといっておられて、ははあそういうことかと長らくにわたっての疑問が解決したわけであります。

歌がないぶんについてはわかるんだけれど…
変えたらいけん歌を、自分よがりの判断と知識で再編成するのは、なんというかそれだけ身近な存在であるからというのと同時に、その価値判断取捨選択する能力がほんとうにあるのかなという疑問。


国学者神職が一生懸命考えて整理したものに敵うことがあるんだろうか



ふー寝てた
寝ぼけながら書くとわりとデリカシーなく書くな。眠くて良し悪しは考えられんからとりあえず、明日書き直すか考えよう


オリジナリティもクリエイティブさも欠片もない人間からすれば、すごいなあーと思うですけどね、でも、あんなに美しい歌ばっかりなんだから、あえてそんなことしなくても美しいのにって。なに基準で詞歌の取捨選択するんだろか。


あーでも「君が代」の詞なんかなら、別に創作でもないか
たまーーーに、うん?ってとこで聞く気はするなあ
あんまり意識して聞いてないからわからんけど


聞く側が頭の片隅に留めておかんといけんのは、その社中の伝統としての、変則なのか。

口伝で識字があまりお得意でないとかなら、伝わる過程で変形していくのはもう前例の通りなわけだけど、台本読んでて台本のままやってるんなら、変形させる意図が働いたと考えるほうが自然かと。

うちの社中の台本、とかもあると思うけど、えーと書くのめんどくなったから以下略。

社中の伝統として、校訂台本を社中の台本として採用している社中において、台本にない書いたり消したり書き加えたりというのが見られた場合、伝統を無視してそういうことしようとする人が潜んでるということになる。
かつ、全然違うところでやっていることの模倣である可能性は大いにある。

かっこよくもなんともないと思うがなあ


自然発生的な変形ではないものにたいして、うん?と感じとる力なくいると、気がついたらとんでもなく違うところまで来てしまう、なーんて危険性もあるじゃないかなとか。
もよもよもよ

変えるのはわりと簡単。残すのはエネルギーがいる。この微妙な力加減をいままでしてきたんだろうと思うのですが
ナンセンスな方に変わられるのは嫌だなあ
でもそれも後世が判断することではある。

また眠くなってきたので強制終了


もうあの頃のようなハイセンスが生まれることはないと思うね。私は。