舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

きのこのこ

スーパーきのこ汁を食べ続けて、きのこのおばけに襲われる夢でも見そうです。あるいは体臭がきのこ。
うーむ。どっちも嫌だ。
でもやっぱり奥出雲の舞茸はんまい。

今日は節制生活の反動でやけ食い、というと聞こえが悪いので、お疲れ様明日からも頑張ろうね会。ま、一人ですけどね。

焼き菓子屋さんの、おいしいタルトとキッシュ。地元素材。久々に、高いけど美味しくていいもの食べましたが、こういう日も必要だなあとしみじみなのですよ。毎日鍋物で不満はないけどやっぱりね。

食べるの好きだけど、苦痛でもある。

はあーがんばろ


明日は多分凍結バリバリ警報なので早起きせんといけんため、今日はあまり深堀できんのですが。

歴博の展示をみてのまず触りね。

一通り、フムフムしながら見てまわって、最終的にふと気がついたのが、佐陀神能が、今でいう採り物神楽、演劇性のあるストーリーと構成を伴う能舞をもつ出雲流神楽の「源流」とは、やっぱり言えんのんじゃないかなあ、ということ。
中国地方広い目で見たときに、逆に神能が異質に見えるような気がするのです。

たしかに、あれでもなんでも「源流」、先祖と定めてしまえば、いろいろ判断基準として便利なのですけど、あれに当てはまらないというか、うん?というのが、出雲(この場合佐太は松江なので松江)周辺の神楽だけをとってもあまりに多すぎるのではないでしょうか。

式三番とかそういう感じのハード面を整えて、ありゃそれ便利ね、確かに都でもやってるしね、みたいな感じで周りが取り入れていったことはあると思いますが。
演目という面から見れば、ある意図を働かせて、それまでもっていた演目を改編するだけではなく、捨てた可能性もある。

という風な視点もあると考えられるような展示でしたね。


その辺の話をもうちっと掘り下げたい。

あと、ビジュアル的に全国共通認識のある「鬼」の不在とか。こっちは書くの難しいかなあ。



やっぱりもうちっと岡山のへんの神楽も、勉強してみないとなんとも言えんのですが。

ふむ。

でも今年は仙台便ができるから東北の方へ神楽見に行きたかったりするのよね。


はあー。お金があればなああって感じ。

とりあえずそほど。