れきはくの展示
歴博の展示をみてのまず触り。
一通り、フムフムしながら見てまわって、最終的にふと気がついたのが、佐陀神能が、今でいう採り物神楽、演劇性のあるストーリーと構成を伴う能舞をもつ出雲流神楽の「源流」とは、やっぱり言えんのんじゃないかなあ、ということ。
中国地方広い目で見たときに、逆に神能が異質に見えるような気がするのです。
たしかに、あれでもなんでも「源流」、先祖と定めてしまえば、いろいろ判断基準として便利なのですけど、あれに当てはまらないというか、うん?というのが、出雲(この場合佐太は松江なので松江)周辺の神楽だけをとってもあまりに多すぎるのではないでしょうか。
式三番とかそういう感じのハード面を整えて、ありゃそれ便利ね、確かに都でもやってるしね、みたいな感じで周りが取り入れていったことはあると思いますが。
演目という面から見れば、ある意図を働かせて、それまでもっていた演目を改編するだけではなく、捨てた可能性もある。
という風な視点もあると考えられるような展示でしたね。
その辺の話をもうちっと掘り下げたい。
あと、ビジュアル的に全国共通認識のある「鬼」の不在とか。こっちは書くの難しいかなあ。
やっぱりもうちっと岡山のへんの神楽も、勉強してみないとなんとも言えんのですが。